Diary of March    Makko's Diaryの目次へ   ホームへ戻る

 

3月31日(月) 地味な生活

今日もなんとかダンナをたたき起こして朝一の"Top Management Team"を聴講。この授業はミニコースなのであと6回で終わるのだが、ダンナの夜更かし癖の
ため、毎回遅刻せずに出席できるか冷や冷やもの。精神衛生上良くないのである。
授業は今日もとても面白く、昨夜のホッケーで4時間程度の睡眠しかとっていないにも関わらず集中して聞く事ができた。雲の上の存在である「トップ・マネジ
メント」達のかかえる悩みの中には共感できるような身近なものも結構あるのである。

学校前でダンナとスイッチして自宅に戻り、娘と昼食を済ませてからはソファーで昼寝。短期集中のつもりだったのに、気がついたら2時間以上寝てしまった。
今学期に入ってからは家事以外の時間のほとんどはリーディングに費やしているという地味な生活(別にママ友達とお茶をする事が華やかな訳でもないが)。
英文を読むスピードが早くなるのと、あきらめて手を抜くようになるのと、さてどっちが先になる事やら。

3月30日(日) シーズン最後のホッケー

久しぶりに冷え込んだ一日。朝から降り続けていた雨が午後過ぎになって何と雪に変り、夜には10cm以上積もった。
今日は終日育児・家事・リーディングに費やす。

夜10時からはT内氏が再び企画してくれたホッケーに一家で参加する。カンピオンリンクの今シーズンの営業も4月9日までで終了。冬が本当に終わるのだ。
今回は全体的に参加者が少なく、パートナーはご近所のM子さんと私の2人のみだったため、なんと1・2年対抗のゲームに一緒に入る事に。1年生チームに
T内氏とご近所のI氏が入り、2年生チームにはパートナー2人が入るというチーム編成。ちょっと1年生にハンデをあげすぎ?

実際にゲームに入ってみると学生達のレベルは先日のパートナーホッケーよりは大分上(当たり前だが)。私は終始全くのノーマークで動けてよかったのだが、
せっかくパスをもらっても上手く次に繋げなかったり、時にはパス自体が強くて受けとめられなかったり。アイスタイム(氷上でプレイしている時間)が短かった事も
あって、なんだか消化不良で残念なゲームであった。
ゲームの前に40分ほど練習時間があったのだが、最終日の今日になって「もえちゃんもほっけーすべろうかな。」等と言い出した娘。シーズン中はずっと嫌がって
滑ろうとしなかったくせに今更なんなんだ。最後だから少しでも長く滑りたかったのに、練習時間の半分は娘のスケートもどきにつきあわされるハメに。
はなはだ迷惑な遅過ぎる決心であった(笑)。

3月29日(土) もったいない一日

久しぶりに寝坊したため、あっという間に終わってしまった日。やり遂げた用事もこれといってなく、なんだか勿体無く感じる一日であった。
午後は娘を連れてウェストレバノンへ食料や日用品のまとめ買いに出かける。週末だと道路も駐車場もレジも混んでいるため、同じ買い物でも普段より
時間がかかる。娘が珍しく扱いにくかった事もあり、自宅に戻った頃には頭痛がする程疲れていた。

8時からはSachem 11/12でフィルの誕生日パーティー。ここ数日間、なんとなく風邪気味だったダンナは今日は微熱も出たため、パーティーには娘と2人で
ちょっとだけ顔を出す事に。普段はキッズパーティーでしか行かない会場が、今晩はキャンドルとイルミネーション、お酒におつまみと、すっかり大人の雰囲気に
変っており、参加者もEちゃんと娘以外は大人のみ(子持ちの人は片方のみ、または交代で来ているようである)。頭痛が消えないので1時間程おしゃべり
しただけで失礼する。

3月28日(金) 1週間が終わる

朝は久しぶりのスペイン語レッスン。予想していた事ではあるが、春休み中勉強をサボっていたのですっかりビギナー以前のレベルに逆戻りである。
今期は授業も聴講するし、卒業後にスペイン語を使う機会もないし、等の消極的な考えが頭をよぎる。カンクン旅行であがったモチベーションは一体どこへ?

自宅に戻ると娘と公園へ。今週に入ってからというもの、公園内の雪は日毎に少なくなり、姿をあらわした芝生はみるみるうちに乾いてきている。ママ・キッズ達
もすっかり「冬眠」から覚め、連日様々な時間帯に大集合するようになった。クララとマルコスを連れて公園に出てきたパウラとひとしきり遊んだ娘はそのまま家
までついて行ってしまった。

午後からはダンナが娘を連れてスペイン語レッスンに出かけ、私は同じ授業を聴講しているガビの車で送迎してもらって学校へ。
授業は教授が事前に作成したスライドに沿って進められるのだが、同じものが手元に配られるのでストーリー全体を見失う事はないのが嬉しい(他の授業も
ほとんどが同じような形式で行なわれているらしい)。今日も授業は学生の挙手と教授の「コールドコール」(その場で生徒を指名して答えさせる事。授業前
に「今日は君を指名するよ」と事前に教えてくれるのがウォームコール)による発言のやりとりを中心に進んでいったのだが、昨日に比べてテンポがやや緩慢。
当たり前の事だが、生徒の発言・質問内容は事前に教授がコントロールできるものではない。各回の授業の質や進み具合は、学生達の発言や質問に
左右される部分もかなり大きいんだろうなあ。ダンナが時々口にする「授業への貢献度」という言葉を改めて実感。

夜はT氏宅に10人以上の大人達が集まって焼肉をご馳走になる。独身のT氏は1年間の寮生活を経て2年目からオフキャンパスの一軒屋に住んでいるの
だが、最近料理に目覚めたのかポットラックパーティーにも手作り料理を持参するようになった。今夜も客人達がわいわいとホットプレートを囲んでひたすら
食べる中、T氏はまめまめしく台所に立ち続けていた。Tさん、本当にご馳走様でした。

3月27日(木) にわかパートナー、にわか学生

今日は"Marketing Topics"という授業の聴講。3時前からの開始なのでダンナはのんびり朝寝、私は午前中からリーディング。
「ままをがっこうにおくっていく」事を娘はすんなりと受け入れたようある。ダンナの時と同じく、タック校舎前で車を降りる私にむかってニコニコを手を振ってくれた。

"Marketing Topics"にはダンナの悪友T内氏とT氏の他にママ友達のガビの姿も(彼女は2人の子持ちにも関わらず、この2年間でマーケティング関係の授業
のほとんどを聴講している)。
タックの聴講制度は事前に教授の許可さえ取れれば学生だけでなくパートナーにもオープンになっている(無料。ダートマス大学の他学部の授業も許可が
取れれば聴講可能)。授業中は原則として発言をしてはならず(ダンナ曰く「空気のような存在」であるべきとか)、そのかわりコールドコールやスタディグループ
での作業、テストやレポート等の心配もない。実に「美味しいとこ取り」のシステムなのである。最後のチャンスである今学期になってやっと実現した聴講だが、
実際に授業に出席し、その楽しさに改めて「聴講してよかった!」と思うのである。

授業後のお迎えの車内には娘の姿がなかった。K君父子と家の前の公園で一緒に遊んでいるとの事。
K君ママが水曜から仕事でNYに行ってしまったため(普段は在宅勤務)、木曜以降は授業のないK君パパが目下「にわかフルタイム主婦」。私が授業に出て
いる間娘を公園で遊ばせていたダンナ、まだまだ家に入りたがらない娘に手を焼いているところにK君父子が登場したらしい。公園で久しぶりに会ったJeniと
しばらく立ち話をしてから家の中に入ると、先に戻っていたダンナとK君パパはお茶をしながらおしゃべり。2人とも立派な「にわかパートナー」である(笑)。

今日はまるで学生とパートナーが入れ替わったかのようなダンナと私の生活。もちろんダンナは家事の全部をこなす訳ではないし、私等は嫌になったらいつでも
リーディングを放り出せる実に気楽な立場だ。それでもそれまで端で見ていただけの相手の生活を「ちょこっと体験」できる事は、双方にとって様々な意味で
良い経験になるだろうと思う今日この頃なのである(ダンナがそう思っているかどうかは甚だ疑問だが)。

3月26日(水) リーディング、そしてリーディング

昨日と同じ授業に出席。今日はなんとかダンナをたたきおこして学校まで送ってもらう。第2回目の今日もやはり授業は興味深く、あっという間に1時間半が
過ぎていった。ミニコースなので学期の途中で終了するのが残念。
授業後は昨日と同様車と娘をバトンタッチし、自宅に戻って木・金に聴講する予定の"Marketing Topics"のリーディングにとりかかる。今日は終日雨模様の
ため、娘も公園で遊べず。娘の絵本やビデオと行きつ戻りつしながら少しずつ資料を読み進む。しっかり準備をしようとしたら他の事には全く手がまわらなくなり
そうである。気楽な聴講生の立場をつくづく有り難く思ってしまう。

今夜は夕食後にK君宅に誘われていたのだが、ぎりぎりまで迷った挙句に私だけキャンセルする事に。本当は娘も一緒に留守番させたかったのだが、昼頃
からすっかり「Kくんのおうちにいく!」モードになっていた娘が今更納得するはずもない。結局ダンナと娘の2人で出かける事に。
集中するには理想的な環境を手に入れたにも関わらず、今夜も居眠りを繰り返しながらリーディング資料と格闘。

3月25日(火) 初めての聴講

ご近所のI家の車に乗せてもらってFinkelstein教授の"Top Management Team"に出席。授業開始前に個人的に挨拶をしてから後ろの方の席に座る。
初回のリーディング・アサインメントは本日扱うケースの他にマネジメント論のような分厚い資料が2部。全てを読む事などはとてもかなわず、とりあえずケース
にはひととおり目を通し、他の資料はパラパラとめくってみた程度である。
今日のケースは外部からあるベンチャー企業のCEOに就任した人物の就任後半年間の資料である。その人物のこれまでの経歴や会社の概要、就任後の
半年間、本人が会社の現状や着手している事等について語った定期的なインタビュー記事等を元に教授と学生達がディスカッションを繰り広げていく。
学生達が積極的に手を挙げて発言し(授業中の発言は成績にも関わってくる)、教授がジョークを交えたコメントで答えつつテンポ良く授業を進めていく様子
は聞いているだけでも興味深く、自分が昔受けた授業とはかなり異なるものである(笑)。
授業終了直前にケースの「その後」を教授が種明かしをしてくれるというスタイルは1時間半のクイズのようでとても楽しかった。しかしこれらのケースとその顛末
がどれも現実におこったものである(企業名・個人名等も全てそのまま使用)事を考えると、企業のトップマネジメント達の責任の重さを痛感。卒業後にビジ
ネスの世界に戻っていく学生達にとっては、決して「気楽に楽しめるクイズ」等ではないのである。

授業終了後に迎えに来てくれたダンナと車・娘をバトンタッチしてそのまま自宅へ。娘の相手をする合間にたまりにたまったHPのダイアリーを書き進める。
2時頃にモニカが娘と一緒に公園に遊びに来たので娘も一緒に遊ばせ、夕方K君親子が来たので再び娘と公園へ。
どうやら公園通いの毎日がいよいよ(とうとう?)到来したようである。

夜は明日のリーディング。話すならともかく、読むとなると本当に遅々として進まないのにイライラ。読んでいる時間と居眠りしている時間、どっちが長いんだか。

3月24日(月) 予習 

明日からは卒業前最後の春学期の開始。今回は私も授業の聴講に挑戦する予定である。
ダンナの履修予定の授業スケジュールを見せてもらい、そこと重ならない範囲で聴講しやすそうな授業を物色。とはいえ、多少なりとも理解できそうなテーマの
授業はかなり限定されているので消去法による科目選択である(笑)。チンプンカンプンのファイナンス系と、作業が多くて聴講しにくい授業を取り除いた結果、
選んだ授業は"Top Management Team"(前半だけで終了するミニコース)と"Marketing Topics"の2科目。これにより月・火は朝一、水・木は午後2時過ぎ
にダンナに送迎を頼む事になった。水・木はともかくとして朝一の授業の送迎がなんとも不安。。。「。。。頑張ってみます。。。ま、聴講だし。」と言っている
ダンナの言葉はてんで頼りないのである。

早速、夕食や娘の相手等の合間にダンナが買ってきてくれたコースパケットの予習をはじめる。固い英文を読むのはもしかして以前勤めていた会社を休職
して以来では(しかも当時だってまともに読んだためしはなかったっけ)?未だ解消しきれていない睡眠不足のため、読んでいるつもりが気がつくと意識喪失、
という状態を何度となく繰り返し、11時頃にようやくあきらめて寝る事に。聴講しにいって授業中寝てしまったらそれこそ意味がない。

ちなみに明日の朝はスケジュールが一緒だというご近所のI家に乗せてもらえる事に。これで少なくとも出席だけは確実にできそうである。

3月23日(日) 鍋

夕食に元「バーS」の店主、Sさんをチリ鍋にご招待。日本からは炊飯器以外のキッチン家電を持ち込んでいない我が家なので、鍋型ホットプレートと変圧器
はお客様に持参していただくという、少々失敬な企画である。奥様がお仕事の都合で先に帰国されて現在にわか独身生活のSさん。今夜の副菜は「野菜
だくさん」と「おつまみ系」をテーマに、ポテトサラダ、インゲンの胡麻和え、もやしのナムル、はりはり漬け、五目豆等を用意した。娘が夕食後まもなく寝て
しまったので、2時頃まで大人だけでのんびりとおしゃべりを楽しむ事ができた。

Sさんの提案で夕食前にキャッチボールをしたダンナ。2人が家の前でキャッチボールをしている間中、娘も隣で遊ぶ。
カンクンから戻って来てみるとハノーバーにはすっかり春を感じさせる暖かさが到来しており、公園のフェンスの周りに積もっていた雪かさも入り口の扉を開ける
位にまで減っていた。それを待っていたかのように家の前の道や公園内にも親子連れの姿が見うけられるように。当然娘の外遊び熱も再燃、久しぶりに
「くんちゃん」(娘の人形)をブランコにのせる事ができてご満悦なのである。

3月22日(土) バースデーパーティー

昨夜の徹夜飲みがたたって終日ぐったり状態。夕方にはいくらも残っていない元気を振り絞り、1人ピンピンしている娘と共にガビの長男フランシスコの誕生日
パーティーに参加する。カンクンで日焼けした肌に睡眠不足はトドメの一発である。ほんと、もうこんな事をしている年じゃないって。

バースデーパーティーに行く直前、プレゼントを買いにハノーバー市内のおもちゃ屋へ。ここはまだ出来て5年も経っていないお店らしいのだが、いつもレジにいる
40代程度の女性がオーナーである。小さなお店なので選んでいる時に声をかけられるのがなんとなく憂鬱だったのだが(特に買うかどうかも決まっていない時に
店員につきまとわれるのは苦手だ)、以前K君のプレゼント選びの際に非常に適切かつ押しつけがましくないアドバイスを受けて以来時々利用するように。
子供の性別と年齢を伝えると、店内に点在している様々な商品を予算に応じてテキパキと紹介してくれる。商品説明を聞いていると、彼女が自分の店に
置く品々を知識と愛着を持って厳選している事が伝わってくるのである。質が良い分値段もこの辺りではいい方に入るお店だが、それだけの付加価値を感じる
お店である。

3月21日(金) 徹夜飲み

夜7時からM内家にて夕食をご馳走になる。今年の9月にタック入学が確定したMさんが奥様同伴でハノーバーの下見にいらしたというので、M内家が歓迎会
を企画してくれたのである。ハノーバーに戻ってきている日本人はまだそれほど多くはなく、我が家以外の参加者はEちゃん一家と1年生のSさんのみ。少なめの
人数で落ちついたディナーの夕べになるかと思いきや、気がつくと日本酒やメキシコ帰りのテキーラ等がテーブルに並んですっかり飲み会ムードに変っていた。
「旅行から戻ってきたばかりだし、今日は早めに失礼しようか。」等と言っていたはずのダンナ、あんたが一番はじけてどうするの。

Mさんご夫妻をハノーバーインに送っていったのが3時頃(私とM内奥様以外にはそもそも素面の人がいなかった。。。)、そしてSさん以外の男性陣が全て
寝入ってしまった中(もちろん子供達はとっくの昔にご就寝)、気がついたらM内奥様とSさんの3人でとりとめのない話をしながら朝を迎えてしまったのであった。
本当に長居してしまって申し訳ありませんでした。。。

3月19日(水) 旅行が終わり、戦争が始まる

朝食後、プールで一泳ぎしてから荷物をまとめてチェックアウト、カンクン空港に向かう。予想通り、あっという間の楽しい1週間であった。行きと同様、帰りも
終始時間通りの順調なスケジュールで夜の11時50分にボストン空港に到着。
旅行の楽しさも覚めやらぬ私達が空港内のテレビで聞いたのはイラクとの戦争開始の速報だった。

3月18日(火) 帰国前日

明日の帰国を控えて今日はふたたびのんびりデー。プールで泳ぐ合間に読書や日光浴を楽しむ。いまや娘は両親が交代で付き合わなければならない程、
プールに入りっぱなしである。
期間中ダウンタウンの方には行っていなかったので(カンクンは観光目的で開発された地らしく、ビーチ沿いの「ホテルゾーン」と地元の人が住む「ダウンタウン」
の場所が見事に分かれている)、4時半頃にダウンタウン行きのバスに乗る。わかってはいたのだが片道40分以上かかるダウンタウンにつく頃にはもう帰らな
ければならない時間になっており、買い物どころか本当に「見た」だけのダウンタウンであった。こんな事なら先日無理してでも女性陣だけでいけばよかったな。

昨夜我が家と同じウェスティンに到着したOさん夫妻と一緒に7時半にアルゼンチンステーキ・レストランへ。Oさん以外は今夜がカンクン最後の夜である。
Oさんの到着に乾杯し、今回の合同旅行を企画してくれたモニカに乾杯し、旅行中のツアーやレストランを決めてくれたサウール(彼とクラウディアはメキシコ系
アメリカ人)に乾杯し。。。カンクン最後の夜はあっという間にふけていったのであった。

3月17日(月) チチェン・イッツァ(Chichen Itza)ツアー

数時間の睡眠をむさぼり、朝8時過ぎに先日のシカレ・ツアーと同じエージェントの貸しきりバンで再び出発。
今日はチチェン・イッツア・ツアーの日である。かなり歩く事になるので、子供達が元気一杯なのがせめてもの
救い。3時間近くの往路のおかげで、到着した頃までに大人達も少し体力を回復できた。

世界遺産であるチチェン・イッツア内には様々な遺跡が点在しているので、エージェントの説明を聞きながら
敷地内を2時間近く歩きまわる(左の写真は天文台)。プールサイドで過ごすなら快適なカンクンの気候も、
洋服(といってもTシャツ・短パンという軽装)を来て水のないところを歩きまわるとなるとかなり辛い。帽子を
かぶっていても熱気で頭がぼうっとしてくるため、エージェントのおじさんが非常に強いスペイン語なまりの英語
(南米各国から来ているタックパートナー達で慣れているつもりだったのにほとんど意味がつかめない。彼女達の
英語はやはりお国でも相当レベルが高いらしい)でしてくれる各遺跡の説明も、後半になるとほとんど聞いて
いなかった。2度と来る機会はないであろう世界遺跡なのに情けない。

ハイライトはやはりカスティージョとよばれるピラミッドもどきの
建造物(ごめんなさい。外観撮影を忘れちゃいました)。
90何段という階段は傾斜がかなり急で高所恐怖症気味の
私にとっては脅威である。登る時は上しか見ないようにして
一気にのぼったのだが、てっぺんから見下ろす景色(左)の
怖い事。人によっては壮大で感動する光景なのだろうが、
とてもそんな心境にはなれない。見知らぬ観光客にも吹き
出される程のへっぴり腰で四方からの眺めを確認すると早々
に下山する事に。階段の中央にはつかまる事のできるロープ
があり、多くの人がそれにつかまって尻餅をついた状態でずり
ずりと降りている(右)。最初はそれに習ってみたのだが、
あまりにも遅々とした進み方にまもなくうんざりし、結局横向
きの体勢で立ったままさっさと降りてしまった。それが出来る
ぐらいならどうして頂上でもう少しシャンとできないかなあ。

 

チチェン・イッツアからの帰り道、セノーテの泉(左)という場所に立ち寄る。地底湖のようなその観光スポットでバンを降りた
途端、ハンカチや絵葉書を持った小学校低学年程度の10人近くの子供達にわっと取り囲まれた。彼らの持っている品を
買い取れという事らしい。あまりにも執拗なので、一枚ぐらいはと1人から買うと「彼女から買ったんだから私のも買ってよ!」
(皆持ってる物は同じなのだが)。
泉に下りて見ていると、頼まれもしないのに水の中にダイブし、ガタガタと震えながら急いであがってきてはチップをせがんで
くる男の子達。遥か昔にチチェン・イッツアのような偉大な建造物を作り遂げたマヤ族の末裔であるはずの子供達の
そのような姿を見るのは切なく、観光客としての自分を後ろめたく感じるのであった。

 

 

3月16日(日) 子供いらずの夜

昼前に娘と2人でヒルトンへ。モニカとクラウディアは朝からダウンタウンにあるマーケットへのショッピングにでかけ(彼女達は昨日のツアー帰りのバスの中で翌朝
9時の約束をしていた。信じられない体力。。。)、プールサイドにはベビーシッターを頼まれたフィルとサウールのみ(Eちゃんパパはなんと試験を一本残していた
ので部屋で勉強!)。私とEちゃんママもそこにちゃっかり娘を預けてホテル前からバスに乗る。本当はモニカ達と同じマーケットまで行きたかったのだが、時間が
中途半端だったので近場のショッピングモール内を散策し、娘のTシャツを数枚買ってからヒルトンに戻る。

彼らのホテルのプールを夕方まで楽しんでから一旦ウェスティンに戻り、身支度を済ませてダンナと再びヒルトンへ。今夜はベビーシッターを雇って大人だけで
夜遊びをする予定なのである。子供達を寝かしつけてからホテル経由で手配したベビーシッターに託し、めでたく夜の町へ出発。
「マリア・ボニータ」というメキシカン・レストランでゆっくりとディナーを楽しみ(ただゆっくりと楽しめるというだけで、子持ちにとってはとても贅沢な事である)、その後
でクラブへ。明日はハードなツアーだというのに、お酒と子供がいない開放感から3時過ぎまで楽しんでしまった。

ベビーシッターを頼んだのは今回が初めてあという我が家にモニカやクラウディアはびっくり。なんでもかんでもアメリカの真似をしたがる日本だが、ベビーシッターの
利用に関してはまだまだ後進国である。

3月15日(土) シカレ(Xcaret)ツアー

朝9時半頃、Eちゃんママ、モニカ、クラウディアとその家族達が乗り込んだバンがホテル前に到着。久しぶりの再開に盛り上がりつつ全員でシカレへ出発した。
シカレはマヤ文化と自然を楽しめるように作られたテーマパークのような場所。フラミンゴやジャガー、ワニや亀等様々な動物が見られたり、ダイビングやシュノー
ケリングが楽しめるビーチがあったり、一日ではおそらく全てを楽しむ事ができない程。コブ付きぞろいの我々はエージェントの案内でひととおり園内を歩くと、後は
ビーチでのんびり過ごしてから"Underground River Swimming"に挑戦。入り口で借りたライフジャケットを水着の上から装着し、いざ川の中へ。
Eちゃんは「屋根のある暗い川」を最初は恐がったものの、Eちゃんパパが抱きかかえて無理やり泳ぎ始めるとまもなく落ち着いてくれた。浮輪にすっかり慣れた
娘に気をよくした我が家は娘の手を離してみようと試みたのだがライフジャケットではバランスの取り方が浮輪のようにはいかないらしい。娘が恐がったため、
最後までダンナと交代で抱きながら泳ぐ事に(ライフジャケットがなかったらとても無理である)。
途中に用意されている数々のExitを「あと1つ、あと1つ」と泳ぎ進んでいった川だったが、気がつくと1時間程度の全コースを泳ぎ切って無事に最終出口に到達
(後半娘はなんと寝入ってしまったのでかなり大変だったが)。

5時過ぎからは館内で行なわれたナイトショーを見物。メキシコの歴史やマヤ族の伝統的なスポーツ(腰で蹴るサッカーや火の玉ホッケー!)や踊り等を堪能。
再びバンに乗ってホテルに戻ったのは10時前。ぐうたら生活に慣れてしまった身には楽しいながらもなかなかハードな一日であった。

3月14日(金) ぐうたらな生活

今日もホテルのプールサイドでのんびり過ごす。昨日買った浮輪で娘も泳ぎに初挑戦。最初は嫌がって親の手にしがみついていたものの、沈まないとわかると
少しずつ足を水の中で動かし始める。娘の一挙一動をダンナと二人で誉めちぎった結果、大はしゃぎでぱちゃぱちゃと泳ぎ回るように。
よかった、よかった。娘がプールを気に入るかどうかは楽しいカンクン滞在を左右する最大ファクターなのであった。

午後遅く、なかなか連絡のとれない(リゾート地ではお互い部屋にいる事などありえないんだから無理もないか)Eちゃん達が泊っているヒルトンホテルにアポなし
で行ってみたものの、不在だったのでプールサイドでしばらくのんびりしてから帰宅。夜はこの辺りで一番美味しいと評判のホテル内イタリアンレストランに入る。
味は評判どおりで大満足。旅行に来て嬉しい事の1つは食事の心配をしなくてもいい事である。しかもアメリカと違って美味しい。こんなぐうたらな生活を1週間
も続けていたらハノーバーに帰るのが嫌になっちゃうかも。

夜になってやっとEちゃん達一団と連絡がとれる。明日は彼らのツアーに同行する事に。

3月13日(木) 本当に来た!

昨夜遅くに我が家を出発し、早朝のボストン発アトランタ経由の飛行機で昼過ぎにメキシコ・カンクン空港に到着。旅行など夢のまた夢とあきらめていたため、
機内に座っていても実感がわかなかったのだが、刺さるような強い日差し、肌にまとわりついてくる熱気、そして気温は30度以上。わー、本当にカンクンに
来られたんだー(笑)。

「ウェスティン・レジ−ナ」のチェックインをすませて部屋に入ると早速水着に着替えてビーチへ。深い青
とエメラルドグリーンが混ざり合った海は遠浅でとても美しい。しかしながらいかんせん波が強いため、
数回(親が)トライしただけで娘は抱かれて入るのも嫌がるようになってしまった。ダンナと交代で娘の
砂遊びに付き合いつつ、久しぶりの海を楽しむ。プールにも入ってみたが、浮輪のない娘は親にしがみ
ついて不安そう。一応笑ってみせる(変なところで気を遣う?)のだが、明らかに体がこわばっているので
ある。水が嫌いにならないうちに浮輪を見つけなきゃ。

夕方、レストランを探しがてらホテルから車で10分程度の"La Isla"というモールへ。ブラブラとウィンドー
ショッピングをしながら見つけたシーフードのお店に入る。水族館に隣接しているそのレストランのテーブル
につくと、片側の窓下からは数頭のイルカが遊んでいる様子を見ることができ、反対側の壁は水槽に
なっていて大きな魚がゆっくりと泳いでいく。待ち時間の間には2階からサメの水槽を覗く事もでき、子供が喜びそうな場所であった。モール内で朝食用の飲み物やパン、浮輪等を買ってからホテルに戻る。

3月12日(水) 浮輪がない。。。

午後、旅行に必要な細々としたものを買いに娘とWal-martへ。お目当ての品がひととおりそろったところで、一番肝心な品である「浮輪」を探す。子供服
コーナーに水着があったのでそこにいた店員に聞くと「スポーツコーナーにあるよ。」との事。スポーツコーナーでは「ライフベスト」しか見つけられなかったので、
再び店員に聞くと「おもちゃコーナーだと思う。」。おもちゃコーナーでいくら探しても見つからないので近くにいた店員に聞くと「僕の担当部門じゃないから
分からない。」。自分の探し方が悪いのかと再び全てのコーナーを丹念に見てまわったのだが見つけられず。誰かに聞くたびに違う事を言われ、歩き疲れて
しまった。「一体、誰だったら正解を教えてくれるの?!」と叫びたい気持を抑えつつ店を後にする。こうなったら向こうで探そう。

Wal-martはこちらではサービスのいい方に入ると思うのだが、今日は久しぶりに日本のサービスとの違いを実感。日本ならば誰に話しかけても担当部門の
人を呼んで来たり聞いてきてくれたりして、話しかけられた人が最後まで責任を持って処理してくれるのではないだろか。あれだけあちこちに店員を配置して
おきながら、Wal-martは探し物が見つからなくて怒って帰った客がいる事もわかっていないに違いない。彼らの制服の背中には"How may I help you? "と
大きく書かれているのだが。

夕食後は荷造り済ませ、借りてきたビデオを見たりして夜中の出発まで時間をつぶす。明日の早朝にはカンクン行きの飛行機に乗っているはずである。

3月11日(火) 上手くなるのは楽しいのである

昼過ぎにダンナが起きてきてからは買い物に行く予定だったのだが、話をしているうちになぜかポンドスケートに行く事に。スケート靴とスティック、娘のスケート
グッズ一式も一応持参してポンドに向かう。通い慣れているダンナによると氷はやわらかめだそうだが、今日は気温も低めだったので氷は滑りやすい。クラブ
ハウス前のベンチに座った娘はやはり氷に近づこうとしないので、「じゃあここで見ていてね。」と言って私とダンナのみスティックを持って氷上へ。
カンピオン・リンクの「オープンスケート」はスティックの持ち込み禁止、「オープンスティック」はハイレベルな人達がゲームを始めてしまうので、私のような初心者が
ホッケーの練習をするにはやはりポンドが一番である(アイスホッケーを習える有料のコースはあるが)。今日はパスやシュートの打ち方のコツを教えてもらい、
結局1時間近くダンナとパス練をしてから帰宅。娘は終始ご機嫌で雪遊びをしてくれた。
日本にいた頃は、スケートなんて素人は前向きに普通に滑れれば十分だと思っていた。しかし、誰もが2、3才の頃から当たり前のようにスケートを始め、アイス
ホッケーやフィギュアを気軽に楽しむこちらの人達を見ているうちに「練習すれば素人でもあんなに滑れるんだ」と、自分の中でスケートがすっかり身近なスポーツ
に変り、そのおかげでスティックを持ってハの字にバックにスケーティングするコツもつかめた。最近では足を交叉させてバックスケーティングをしている人や、とも
すればアラベスクやジャンプをしている人をじーっと睨みつけてしまっている自分に気付くように(笑)。久々に「上達する喜び」を経験している今日この頃である。

3月10日(月) 旅行仕度

ダンナを学校に送り、図書館に寄ってからショッピングモールへ。娘の水着を買うためである。
休みの度に周囲が一時帰国や旅行等続々とハノーバーを離れていくのを横目に見ながらひたすら土着生活を続けた我が家だったが、今回は卒業前最後、
いや、アメリカ生活最後の休みである。残り3ヶ月という安堵感もあり、思いきって見きり発車のメキシコ/カンクン旅行を敢行する事にした。
「卒業前に皆で旅行しよう」と、Monica、Claudia、Eちゃん一家に誘われていたカンクン行きだったのだが、我が家の最終決断が遅かったため多少遅れて
合流するスケジュールにする。旅行はアメリカに来て初めて、南の島は新婚旅行のニューカレドニア以来である。楽しみ、楽しみ♪

買い物といっても本当に必要なのは娘の水着と浮輪ぐらい(旅行用各種便利グッズ、リゾートちっくな洋服やサンダルにかばんや帽子等と言い始めたら旅行
仕度というものはきりがないのだが)なので、今日は水着を見つけるために洋服屋を2軒はしごする。
途中までは嬉しそうに選んでいた娘だったのだが、「これを着てママと一緒に海で泳ごうね〜。」と言った途端に状況が一変。どうやら水辺で砂遊びをするだけ
のつもりだったらしい。お魚のアップリケがついた子供らしい一着は、「おさかな、いや。もえちゃんおよがないから。」と却下され、ビキニタイプ(長く着れるかも、と
セコイ事を考えてしまった)も「おなかすっぽんぽんはいや。」。
最終的には紫ベースの非常にトロピカルな水着に決定。背中にリボンとフリルが付いていたその水着はもともと私が気に入ったのだが、「ばりばりしょーゆ顔に
まんまるほっぺ、しかも日焼けしていない黄色肌」の娘に着せると微妙な違和感。。。明らかに水着に負けているのである。こういう水着はやはり彫りが
深くて大人顔、金髪に色白のマケイラの方が似合いそうだなあ。
しかし最初に私が水着を誉めすぎた事もあって娘は譲らず。こうなったらたっぷり日焼けしてパープルの似合う褐色の肌を目指すか。

3月9日(日) のんびりデー

娘と一緒に昼過ぎに起床。目の下の大きなクマを昼風呂に入って解消してから娘とブランチ(というか、お昼ですね)。昨日は娘もなかなか寝なかったため、
母子そろってお疲れモード。今日はどう考えても自宅日である。昨日の後片付けの仕上げをし、洗濯機を2回まわして家の中をすっきりさせた後は終日静か
に過ごす。

ダンナは夕方に起床、食事をし、インターネットをすると再びソファーにゴロリ。次に起きたのは夜の11時前であった。完全に親子すれ違いのスケジュールに
なる前に昼夜が逆転した今の生活パターンを見なおして欲しいものである。

3月8日(土) ビデオ上映会

今夜は先日のパートナーホッケー&1・2年生対抗戦のビデオの上映会を我が家でやる事に。お持ち帰りテストやレポート等を残している学生も多いものの、
大学は既に春休みに入ったため、ハノーバーに居残っている人はそれほど多くなかったのだが、それでもダンナの悪友のT氏&T内氏、ご近所のI家夫妻、
I田さんと交換留学生のAさん、Eちゃん母子&K君母子と、大人8人が集まる事になった。

今日は独身組のみ夕食から、家族持ちの人達は飲み会から参加という形をとったので、料理の準備もそれほど
忙しくない。かわりにという訳ではないが親子3人でかまくらを完成させる。この陽気では寿命いくばくもないかまくら
だが、今夜の飲み会にはギリギリ間に合ったようである。
明日からの旅行・一時帰国等に合わせてパッキング等に追われている人も多かったため、参加者が全員がそろった
のは9時前後。対抗戦のビデオを見てからパートナーホッケーのビデオを見、Eちゃんママ持参の「ジェンガ」(積み木
くずしゲーム?)をしてからEカラを歌う。「かまくらで熱燗」もめでたく実現。
今夜も声が枯れるほどしゃべり、笑っているうちに気がついたらとっくに日付も変っていた。最後まで残ってくれた
Aさん、I田さん、T氏とK君ママ(&K君。もちろん娘と共に就寝)達とは空も白み始めた頃になぜかスプーン曲げ
や怪談話が始まる(皆が寝静まっている頃にいい大人が6人も集まって灯のともったロウソクを囲み、スプーンを
睨んでいる光景はどう考えても異様である。アメリカ人が我が家を覗いたらさぞ気味悪がったに違いない)。
最近ではすっかり「朝までコース」が定着し我が家での飲み会。遅くまで、もとい、早くまで大変お疲れ様でした。


3月7日(金) 残り3ヶ月

ちょうど3ヶ月後はTUCKの卒業式。暖かい日差しに春の到来を心待ちにする一方で、最近では食料や日用品の買い物の際に「残り期間で使いきれ
るか?」を考えるようになってしまった。帰国準備について考える事は残された時間をなおさら短くしそうな気がしてつい先のばしにしたくなりながらも、
To Do Listを作ってみたり日本の賃貸物件を検索してみたり。無収入の生活がやっと終わってくれるという安堵感や新たな環境へのワクワク感、その一方
で2年間のモラトリアム期間から「現実」に戻る事に対する一種の気の重さ・緊張感。自然の豊かな今の環境を手放さなければならない無念さ。
去年帰国した2年生達も同じような事を考えていたのだろうか。

午後遅めの時間にEちゃん母子が遊びに来る。Eちゃんママとも最近は卒業後の話をする事が多くなった。お互いにまだ不確定な要素も多々あるのだが、
帰国して首都圏近郊に住む事になるのはかなり間違いないだろう。
こちらにいる間は「タックパートナー」という一言で済んでしまう奥様達だが、帰国後の立場は実に様々である。仕事をする人、しない人、子供のいる人、
いない人。人によって全く生活パターンが異なる上に「車で10分程度で行き来できる」という立地条件まで失われると、付き合い方もかなり変ってきそう
である。ダンナ達だけが外の飲み屋で会ってくるという、日本のサラリーマン特有の付き合いになってしまうのだけは避けたいなあ。

3月6日(木) M美さんvisit

午後からM美さん宅にお邪魔。先日のヘルピング・ハンズの際にはデリバリーをダンナと娘にお願いしたため、会ったのは約1ヶ月ぶりである。
長い間自宅安静に耐えていた彼女もやっと37週目に入るところ。アメリカ生活最後の1年が自宅のベッドの上で刻々と過ぎていくのは本当に辛い事だろうに、
M美さんは相変わらず明るく、次から次へと楽しい話をしてくれるのであった。あともう一息で日本人タックパートナー3人目のbaby boyが誕生し、M美さんも
再び外出できるようになるはず。がんばれ、がんばれ!

3月5日(水) 天気の悪い日の過ごし方

今日は終日雨模様。ここ数週間は本当に暖かい日々が続いており、たまにマイナス10何度という日があっても寒さが長続きしなくなった。道端に積もって
いる雪の高さも目に見えて低くなっている。まだまだOccum Pondではスケートが出来るとはいっても、春がすぐそこまで近づいているようである。
溶けた雪で道路のあちこちに大きな水たまりが出来て車は「真っ白に」汚れ、歩くとズボンに泥水が跳ねる。こんな天気の日は自宅でのんびり過ごすのも
いいのだが、いっその事全ての雑事を集中的に片付けてしまうのも結構気分がすっきりするのである。今日は先に延ばせない用事があったので後者の
過ごし方を選び、ウェストレバノンのお店をはしごした後、帰りに図書館でビデオを返してから帰宅。

ホッケーの試合のビデオを確認するついでにふと思いついて昔のビデオをまわしてみる。娘が産まれた時、実家の全員でプレゼントしてくれたビデオカメラなの
だが、もうすぐ4才になる娘の成長記録は120分テープ3本ちょっと分しかない(親ばか度の高いK君ママには「信じられない!」と言われてしまった。ちなみに
K君は2才にして既に12本以上あるらしい)。今更ながら「もっと撮っておけばよかったなあ。」と思いつつビデオを全部流してみると、生後すぐの頃、寝返りを
打てるようになった頃、おすわりができた頃、「いざる」ようになった頃(娘はハイハイは最後までしなかった)、つかまり立ちから歩くまで、と、まあ節目節目の
記録は残っていたので少し安心。しかし渡米後に撮ったのは3才の誕生日の時のみであった。卒業までにもっとビデオカメラを有効活用しよう。

3月4日(火) ひな祭り

全く忘れていたのだが昨日はひな祭りであった。Eちゃんママからお誘いがあったのでダンナを大学に送った後、昼過ぎにお宅にお邪魔。3月末に帰国が
決まっているメディカルのK君ママ&K君も一緒。一日遅れのひな祭りに、Eちゃんママはチラシ寿司、鶏肉料理にお吸い物、デザートにはチーズケーキまで
用意してくれており、タイミングよく頂いたこんぺいとうとK君ママの持参したひなあられ等もそろって食卓はとても華やかに。
今学期はダンナの在宅時間が以前よりも長くなったため、ママ友達を呼んで開いていた大人数でのお茶会もしばらくご無沙汰している。K君ママと会うのも
久しぶりだったのだが、お互い帰国すれば今よりももっと会うのが難しくなるに違いない。
K君ママは3時過ぎに小学1年生の長女Hちゃんのピックアップのために帰宅。我が家はダンナが久しぶりに夕食不要のため、そのままEちゃん宅に残って
夜もご馳走になってしまった。夕方にはリビングの正面に広がる森の中に鹿の姿を発見。庭に足跡はあっても実物を見るのはEちゃん母子も初めてとの事。
こんな経験ができるのも本当に今のうちである。

深夜には日本人1年生VS2年生の対抗戦(もちろんホッケー)。先日のパートナー・ホッケーの様子をダンナがビデオカメラに記録してくれたのだが、その時に
自分のホッケー姿を1度も撮っていなかった事に気付いたらしい。今夜は私がカメラマンをつとめる事に。普段は夕寝が長くて夜更かしになってしまう娘を
しかりつけているのに、今日はEちゃん宅で夕寝に入った娘にしめしめ。全く身勝手な親達である。
防寒対策をしっかりしたおかげで、寒さを感じる事もなく最後まで楽しみながら試合を撮り続ける。娘もご機嫌で全く手間いらず。試合は11−7で2年生の
勝利に終わったが、費やした時間を考えれば妥当な結果でしょう。
去年は観戦できなかったが、ホッケーシーズンの終わり頃にこの企画があった。そして卒業前の5月には1・2年対抗ソフトボール大会。日本人タック生達の
学年対抗イベントは、いやがおうでも留学期間が終わりに近づいている事を気付かせる。

3月3日(月) Gちゃんベビーシッター

ダンナは早朝から学校に出かけたので、娘を連れて12時からのオープンスケートへ。パートナーホッケーも終わってしまって本日の「影練」者は他になし。
娘はやはり今日も大人しくボックス内に残り、誘っても出てこようとはしなかった。パートナーホッケー以来、家の中ではヘルメットとスケートを装着して遊ぶよう
になったのだが。退屈し始めた娘のため、小1時間で切り上げる。

2時半から英会話レッスンのため、M内さん宅のGちゃんを預かる。5才になったばかりの長男のD君とは仲良しの娘だが、2才のGちゃんは最近苦手。まだ
言葉が通じない上にお兄ちゃんに鍛えられてたくましく育ったG君は、娘にとっては空恐ろしい相手の様である。最初は仲良く遊んでいるのだが、「あ、それは
こうなんだよ、Gちゃん、こう!」等と、娘が遊び方を教えようとしておもちゃの取り合いになると最終的には娘の方が泣かされてしまうのである。
いくら男の子とはいえ、丸2才も年下の子より弱いなんてちょっと情けないんじゃない?

3月2日(日) 自宅日

ダンナは朝から終日学校へ。送別会以来引きずっている睡眠不足とホッケーによる筋肉痛のため、車は譲って自宅日にする。
何気ない動きにも、体の意外なところがギシギシと反応する。全身筋肉痛になるのは久しぶりである。最低限の家事を済ませると、あとは終日ソファーで
本を読んだりビデオを見たり。気がついたらダンナが帰宅する夕食時まで娘と寝てしまった。昨日とは対称的なのんびりデー。

3月1日(土) パートナーホッケー

11過ぎまで寝たにもかかわらず、眠気と疲れは取れないまま。今日はM美さんのヘルピングハンズ・デーなので昨日の後片付けと洗濯、ブランチを済ませると
早速夕食の準備にとりかかる。ダンナはもちろんこころゆくまで夢の中。ホントにおめでたい奴である。起きたらこきつかってやろう。

夕方起きてきたダンナに娘をお願いしてSachem 11/12で行なわれる"World Tradition"へ。今年のキッズ・コーディネーターが発案したこの企画は、インター
ナショナルのパートナー達が持ちまわりで自国の文化について小さなプレゼンテーションをする会である。今までも既に何回か行なわれているこの企画(日本の
回もEちゃんママ&K君ママの2人がやったらしい)、今回のテーマ「インド」にやっと初参加する事ができた。
プレゼンターは去年のASW時に我が家に停まってもらった1年生パートナー、サンギ−タ。サリーを来てインドについてあれこれと語ってくれ、最後にはインド料理
2品をご馳走になる。インド料理というと辛いイメージがあったのだが、パンと一緒に食べるという豆たっぷりのソースは辛味スパイスは全く入っておらず、とても
味わい深くて美味であった。

夕食後の後片付けを済ませるといよいよ待ちに待ったパートナーホッケーの準備。慣れないうちは30分近くかかるといわれるホッケーユニフォームの装着指導を
ダンナから受ける。ラッキーにも出産前までホッケーをしていたM恵さんの道具一式を借りられたおかげで、ユニフォームのサイズは靴も含めてピッタリであった。
10時過ぎにカンピオン・リンクに到着。ごわごわの防具で肩をいからせているのは本日はパートナー達である(それでなくてもご主人の大きいユニフォームを着て
いる人がほとんど)。日本人以外の参加者は普段からダンナ達とプレイしている学生のアガサと、ダンナが誘ったモニカ&クラウディア。普段プレイしている学生
達は今日は装着指導、ベビーシッターにカメラマン、審判、防具なしゴーリーに交代用控え選手等、裏方に徹してパートナーのどたばたホッケーゲームを完全
サポートしてくれる予定である。
整氷が終わるとまずはパックをリンク上にバラまいて、各自で練習。といっても慣れるまではスティックを持って滑るだけでも精一杯である。スケーティングも
不自由な状態でドリブルやシュートまでしなければならないのだから、リンクの上は試合前からかなり楽しい(?)状況。あちこちでスティックを持ってヨタヨタと
滑るパートナー達に、学生達の口元は自然にゆるんでしまっている。
15分ほどのウォーミングアップが終わるといよいよ試合開始。パックが滑り出すと同時に、フラフラと動き出す私達。滑る事はなんとかなっても止まる事はまま
ならず、ましてパックのコントロール等は出来るはずもない。敵味方関係なくパックがあちこちとさまよう中、転倒する人、ぶつかる人に奇声をあげる人。自分
でプレイしていても笑ってしまうぐらいだから、学生達からあがる笑い声にも文句は言えまい。
プレイ前は「素人なんだし大怪我にだけはならないよう、熱くなりすぎちゃいけない。」等と自分に言い聞かせていたはずなのだが、試合が始まった瞬間に
そんな考えは忘却の彼方へ。自らのスケーティングレベルを超えた無理な体勢でパックを取りにいこうとして転倒する事4、5回、後頭部を2度、アゴも1度
強打したのだが、完全防備だと本当に痛くないのである(もちろん転び方にもよるのでしょうが)。転倒が怖くなくなると動きはより大胆になり、後半にはなんと
シュートまで決める事ができた。しかし残念ながら勝利は3‐6で相手チームに。押しの強いEちゃんママが4ゴール、ホッケー狂T内氏の奥様Kさんが2ゴールを
決めるという、実に順当(?)な結果となる。しかし、ホッケーがこんなに楽しいスポーツだったとは。
1時間近くの間、もどかしいパートナーホッケーを見守りつつ、うずうずと交代を待ちわびていた学生達だったが、交代するパートナーはほとんどおらず(笑)。
まさに裏方に徹していただいた今宵の企画であった。学生の皆様、本当にありがとうございました。

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