Diary of June    Makko's Diaryの目次へ   ホームへ戻る

 

6月23日(月) さよならハノーバー(日記最終日)

ハノーバー最後の今日は快晴。セイチャムを引き払う直前まで必要だった品々を各譲り先に届ける。スタンドライトをSachem内のアメリカ人宅に、電話と
電子レンジを中国人宅に、TV&VTRその他次の1年生達に譲る予定の品々をハノーバーに残っている一年生宅に配達。荷物が1度に車に入りきらない
ため、出かけては戻るダンナは息をつく暇もない忙しさである。
この忙しさの中で、最後の最後に番狂わせな結末となったのが車の売却手続き。個人売買には必要不可欠な"Title"という書類が我が家にない事が
2日前に発覚したのだが、"Department of Motervehicle"(日本でいう陸運局?)に問い合わせても残り数日ではなんともならなかったのである。
通常は車の登録後に自宅に送付される書類が、我が家が渡米1ヶ月後にレバノンのアパートからセイチャムに引っ越した事、そしてそれ以外の様々な要素
によって結果的に我が家に届かなかったというのが直接の原因。引越しの際には転送手続きは済ませていたし、事前にそのような書類の存在について説明
があれば等、持って行き場のない憤りはあったものの、早朝から陸運局、ディーラー、元々の買い手だった中国人宅等あちこちをかけずりまわったダンナに
よると今日中にディーラーに売る事ができただけでもラッキーだったよう。我が家の愛すべきオンボロ車には全く最後まで苦労させられたものである。

2時半過ぎ、ダンナよりも先にハノーバーインまで送ってくれるK君夫婦が到着。今日はデイケアの日なので、最後にK君に会う事はできなかった。
3時発のダートマスコーチに乗るため、時計の針を気にしながら荷物をK君夫婦の車に積み込んでいると、やっとダンナがT内氏の車で到着。2台でセイチャム
を出発する。
バスは既にハノーバーイン前に止まっていた。手持ち無沙汰にベンチに座っていたMさんが「もう来ないかと思いましたよ」と笑って立ち上がる。
K君カーから荷物を全て運び出し、バスの運転手に預けてからT内氏、K君夫婦そしてMさんと向かい合った。突然、朝から全く考える余裕のなかった事実を
思い出す。今日、我が家はとうとうハノーバーを離れるのである。
皆に挨拶をし、K君ママと抱き合って目が合った瞬間込み上げた涙をかろうじて抑える。運転手が席に着いたのにほっとして慌しく車内に乗り込んだ。
席に着いて皆に手を振ると同時にバスは出発。ハノーバーインが、鮮やかな緑がまぶしいダートマスグリーンが、みるみるうちに遠ざかっていった。

見慣れた景色が遠ざかっていくのを、ただ見守るしかない事に呆然としながら窓の外を見た経験は過去にもあった。ドイツから帰国する時、大阪から東京へ
引っ越す時、そしてミュンヘン留学を終えて帰国する時。たとえ新しい生活が希望に満ちているとしても、充実した時を過ごした場所との別れは寂しい。
抑えきれなくなった涙をぬぐいながら思わずダンナの方を見る。その目が潤んでいる事に少し救われた気がして娘に話しかけた。「さあ、日本に帰ろうね。」

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読者の皆様へ
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6月22日(日) そして最後までゴルフ

今日は夫婦別々に(しつこく)ハノーバー最後のゴルフ。まずはダンナがT内氏、Mさん、K君パパと一緒にラウンドするために早朝に出かける。
11時半頃、タック1年生パートナーのイザベルとそのご主人が洗濯機とFUTONを引き取るために到着。2人はまだボストン在住のため、週末のみハノーバー
に来てこちらでの生活セットアップを進めているそうだ。小型トラックをレンタルして友人を1人連れてきた彼らは手際良く大物2つを運び出して行ってくれた。

ダンナ帰宅後、3時からは私がT内氏の奥様Kさんとゴルフ。最初から怪しげな空模様だった私達のラウンドは、果たしてハーフにも達しないうちに大雨に
見舞われる。しかしながらこれが本当に最後のラウンドとなる私達、しかも午前中にダンナ達が無事に周りきっていると思うと、途中で止めるのはなんとも
悔しい。結局びしょ濡れになりながらそのままラウンドを続行する。14ホール辺りからなんとか雨もやみ、18ホールを周り終えた頃には服も大分乾いていた。
頑張った甲斐あって自己ベストもちょっとだけ更新。とはいえ、キャディー付きで日本のコースを周るにはまだまだ修行が必要のようである。

帰宅してシャワーを浴び、Sachem仲間のMさんを訪ねてゴルフセットを譲りがてら最後に挨拶をする。まだ数年以上ハノーバーに残る予定のMさん一家。
日本人同士ならではの「いつかまた会える」という安心感をどこかに感じつつも、気軽で親密な近所づきあいに別れを告げるのは残念である。
夜8時半頃にK君一家宅へ。ハノーバーに残っている日本人卒業生のMさん、T内一家と一緒に最後のお呼ばれ。T内一家と我が家は東京、Mさんは
アメリカ(都市は未定)、K君一家はニューヨークと、今後の引越し先は様々である。この2年間の事、今後の事等、今夜も深夜までおしゃべりに花が咲いた
のであった。
帰宅すると気持を切り替えてスーツケースの荷造り。明日はとうとうハノーバーとお別れである。

6月21日(土) 親子ゴルフ&ラテンパーティー

朝7時に起き、おにぎりをにぎり、ペットボトルにお茶を詰め、娘とお菓子を用意して親子3人でクラウン・ポイントへ。今日は初の親子ゴルフである。
基本的には娘のベビーシッターのため交代でラウンドしてきた私達夫婦だが、最後にカートフィーを払って思い出作り。
快晴のゴルフ日和の中、風をきりながら走るカートを娘は大いに気に入ったらしく、18ホール全てを実に順調に、楽しみながら周る事ができた(調子の悪かった
私が時折娘にやつあたりした以外は。。。)。

夜9時からはガビのご主人フランシスコの誕生日パーティーに参加。うちと変わらない広さのタウンハウス内はラティーノ中心に賑わう。フランシスコはつい先日、
米系企業のチリ支店に就職が決まったばかり。彼らの出身国であるエクアドルにも近いため、一家全員にとって何よりの誕生日プレゼントとなったようである。
会場で様々な人と話をしながら、この中で再び会う事のある人が何人いるだろうか、と考える。本当に仲良くしていた友人でさえ、再び働く生活に戻って海を
隔ててしまえばなかなか会えないだろう。今日が最後になる人もいるんだ。そう思うとちょっと感傷的になる。
6月末にはほとんどの学生達がハノーバーから出ていく。友人達の多くが遅かれ早かれこの地を離れていくのだと思うと、ハノーバー生活が終わる寂しさも
少しは紛れるのであった。

6月20日(金) お引越し

今日はいよいよお引越し当日。といっても、日本向けの荷物をクロネコヤマトに運び出してもらうだけである。昨夜既に大小16個のダンボールを詰め終わって
いた私達の準備は万端、10時半頃到着したトラックへの運び入れも順調に終了した。船便で1ヶ月半程度かかって日本に到着するという私達の荷物だが、
まるまる一ヶ月半かかるとすれば、ダンナの入社日である8月1日に間に合わせるため新住所も既に決まっているはずである。
もって帰りたかった物達は全てダンボールに無事収まったし、一番気がかりだった作業が終了してやっと一安心。

引越し作業終了後、電話で電気、ケーブルテレビ、電話会社での引越し手続きを済ませ、銀行と大学のハウジングオフィスに立ち寄る。
そして3時からは現地で待ち合わせたT内氏一家と一緒にゴルフの打ちっぱなし。まだまだ最後まで力1杯遊ぶ私達である。
ゴルフ後はT内一家と我が家に戻り、私はムービングセール品のピックアップを待つために自宅に残り、ダンナ達は裏のグランドで先日買った凧を揚げに。

夕方、同じセイチャムに住んでいる東欧出身のカップルがソファーベッドの引き取りにやってくる。「これからハノーバーでの生活が始まるなんて羨ましいわ。」と
言うと、女性の方が「私は帰国できるあなたが羨ましい。」と一言。2人ともそれぞれ別の学部の学生としてダートマスに留学してきたそうだが、祖国では就職
口も見つからないので、卒業後もアメリカに残る予定だという。南米出身のタック生にも、「自国で就職すると学費ローンが返せない」から就職口が見つから
ないまま、引き続きアメリカに残るという人がいる。
同じ私費留学生とはいえ、出身国が日本というだけで私達はずっと苦労の少ない立場にいるのだ。その事を忘れてはならない。

6月19日(木) 夫婦ゴルフ&引越し前夜

朝7時過ぎにSachem仲間のMさんに娘を預けてクラウン・ポイントへ。Mさんの好意で初めての夫婦水入らずゴルフが帰国直前になって実現したのである。
ダンナと一緒に周るのは3回目。他に人がいないとついつい甘えが出てしまい、調子がいまいちだった私は何度かゴルファーにあるまじき「やつあたり」をして
ダンナにたしなめられる。結局ダンナは自己ベストをちょっとだけ更新、私はさっぱりという結果だったのだが、最高のゴルフ日和の中夫婦で仲良くゴルフを
楽しめたのはなによりの思い出となった。Mさん、本当にありがとうございました。

午後からはM内家およびN家がムービングセールの品々を引き取りにきてくれる。本棚やオフィスチェア、ロッキングチェアにチェスト等の大物家具が次々と
部屋の中から消えていくと、普通の話し声が室内に響くようになった。
久しぶりの日本で再び始まる新生活を楽しみにする気持が全くない訳ではない。ダンナにとってはMBA取得という大きな「前進」期間だったが、会社を退職し
専業主婦として同行した私にとってはある意味では長いモラトリアム期間。帰国すれば自分自身の今後をも考える事ができるのである。そして何よりも、
やっと定期的に収入のある生活に戻れるという安堵感!
帰国する事の様々なメリットを自分に言い聞かせてみるのだが、それでもハノーバーを離れなければならない無念さばかりが胸に広がる。まだまだやってみた
かった事や行ってみたかった場所だって山のようにある。見渡す限りの芝生を窓の外に眺めながら生活できる家なんて、きっと2度と住む事はないだろう。
自分の事は先延ばししてでもあと数年ここに残りたい。。。そんな事を考えてしまう心とは裏腹に、両手は夜中までひたすら荷造りを進めたのであった。

6月18日(水) ベビーシッター&荷造り

朝7時からT内家の愛息Pちゃんを預かる。T内家初の夫婦ゴルフを実現させてあげたいと思い、遠慮する彼らを説得したのである。本当はダンナがお供する
はずだったのだが、昨日の酒量では起きあがれるはずもなく、結局夫婦水入らずで行ってもらう事になった。
「とにかく手がかかる」とT内夫婦が恐縮するPちゃんだが、今朝は終始ご機嫌。娘が目を覚ますまではだっこしながら雑誌を読み、ミルクを飲ませるとそのまま
寝入ってしまったので私も一緒に仮眠。2人だけでさくさくっとコースを周り終えて戻ってきたT内氏ご夫妻にびっくりされたのであった。
ダンナに娘、寝太郎が2人もいる我が家のオーラが伝染っちゃったのかしらん。

午後2時過ぎに、我が家の車を購入予定の中国人がもう1度試乗したいとやって来る。ダンナは二日酔いの状態で無理して同乗し、帰宅すると再びベッド
に倒れこむ。結局終日気持悪さはとれなかったようであった。
引越し日ギリギリまでは何も考えずに残り少ないハノーバーでの日々を楽しみたいというダンナと、少しずつ計画的に準備して気持にも時間にもゆとりを持ち
たい私。ペースの違う者同士、引越し準備に関しては今日までに何度も口論したのだが、結局ギリギリまでダンナを動かす事はできなかった。
しかし引越し2日前の今日、終日寝込んでしまったダンナはさすがに私の堪忍袋の限界を感じ取ったらしい。夜になって相変わらず気持悪そうな顔をしな
がらも自らせっせと荷造りを始める。
2年間にわたる「勉強の結晶」である分厚いテキストやノートが次々とダンボールを埋めていき、書籍用の箱のほぼ全てが予想通りダンナのもので一杯に。
残りの箱には娘のおもちゃをなるべくたくさん詰めてあげなきゃね。。。

6月17日(火) 朝まで飲み会

12時にウェストレバノンの日本レストラン"KOTO"にハノーバーに残っている日本人タック生で集まる。住宅探しにいらした9月入学のYさんご夫婦を囲んで
最後の歓迎ランチである。Yさんの奥様は初めての地に不安ばかりが募っているようだったが、間もなくこの地を去らなければならない我々としてはこれから
ハノーバーでの2年間が目の前にある彼らが羨ましい限り。
ランチ後はレストランの目の前にある練習場で1時間程打ちっぱなし。T内一家も一緒だったので、帰りにホットドックを食べながらしばしおしゃべり。
ダンナの学年一のホッケー狂だったT内氏だが、やはり最後の最後になってゴルフにもはまってしまったようである。

6時からはハノーバーに残っている1年生のNさんご夫妻とSさんを天ぷらディナーにご招待。我が家で用意していたビールにワイン、Sさんからいただいたメキシコ
土産のテキーラ、そしてNさん持参のウィスキー等を少しずつ飲みながらしみじみとおしゃべり。
牧歌的な雰囲気のまま終わるかと思われた夕べだったのだが、近所にお呼ばれしていたK君パパが深夜に登場したのをきっかけに場の雰囲気が一変。
思いがけないサプライズに興奮した飲兵衛達はK君パパにワインとウィスキーを混ぜた代物の「かけつけ3杯」を強要、一気コールに合わせて自分達もかわる
がわるグラスを飲み干す。目の前で各お酒のボトルがみるみるうちに減っていくあまりにも不健康なその飲み方に、途中私が激怒し、周囲が縮み上がる場面
もあったのだが、当のダンナは全くこたえていないようであった(その頃には既に記憶がなかった事が翌日になって発覚)。そのうちお約束のEカラが始まり、
しばらくしてダンナとSさんがソファーで高いびき。残りのメンバーで朝の5時過ぎまで歌ってからお開きとなった。夢の中のダンナはお客様の見送りも出来ず、
残りの人々はお互い目の下にクマをつくって最後の挨拶。
ハノーバー最後のおもてなしは、鳥のさえずりがチュンチュン聞こえる早朝5時半、爽やかに(?)終わったのであった。

6月16日(月) 最後のBBQパーティー

今日はインターナショナルの友人達を呼んで最後のBBQパーティー。メニューは食品庫の在庫一掃を兼ねてカレーと中華風コーンスープにし、焼肉は昨日の
うちにマリネ、カレーは午前中のうちに作っておく。
3時からダンナの提案でコネチカットリバーへ。服の上からライフジャケットを装着してカヌーをレンタルし、日差しがじりじりと照りつける快晴の中を約1時間
カヌーを楽しんだ。最初は足元が揺れるのを不安がって顔がこわばっていた娘も、カヌーを降りる頃には大分慣れて手を水につけてみたり。1時間たった5ドル
のレンタル料で実に気軽に楽しめるカヌー、2年間近くハノーバーで生活していながらこれが初めてというのはかなりもったいなかった気がする。

夜7時からはBBQパーティー。モニカ&フィル一家、クラウディア&サウル一家、K君一家、そしてガビ&フランシスコ一家達が子供達を連れて我が家へ。
今回は子供部屋にテレビとビデオを移動したため、子供達がリビングに出てくる事もなく落ち着いておしゃべりを楽しむ事ができた。しかしながらこの時期は
皆何かと忙しく、パーティーは1時過ぎという異例の早さ(?)で終了。最後のBBQパーティーはカラオケもダンスもないまま終わったのであった。

6月15日(日) Quechee Balloon Festival

"Quechee Balloon Festival" で早朝6時から行なわれる気球の打ち上げを見るはずだったのだが、家族そろって果たして寝坊。
それでもせっかくなので1時過ぎから遊びにいってみると、湖畔で行なわれていたそのお祭りは予想外に大規模なものであった。3日間行なわれるこのイベント
には、遠方から泊りで参加しに来ている人々も多く、駐車場にはキャンピングカーがずらりと並んで壮観。気球はとっくに出発してしまっていて影も形もなかった
のだが、びっしりと立ち並んだ白いテントの屋台には様々な食べ物や地元のクラフト職人達の作品が並び、ロッククライミングコーナーや子供用の巨大滑り台、
草バレーボールのトーナメントまで行なわれていた。会場を一周しながら娘を遊ばせ、トーナメントを冷やかし、最後には凧を買って広い芝生で揚げて遊ぶ。

3時からダンナはOさん、Mさんとゴルフ。ゴルフ後はそのままOさんとNさんにお好み焼きを食べに来てもらった。彼らはアメリカで就職が決まっているため、今後は
しばらく会う機会もなさそうだ。Mさんはまだしばらくこちらにいるのだが、明日ハワイに発つOさんとは最後の挨拶。
苦しくも充実した2年間を共有したクラスメート同士の繋がりは今後も完全に切れたりはしないのであろう。しかし、この場所でこのような時間を過ごす事は
もうないと思うと、やはり寂しそうなダンナなのであった。

6月14日(土) お見送り

1時にハノーバーインの前に行き、ダートマスコーチでボストンへ発つNちゃん一家のお見送り。昨日のパーティーでお会いしたメンバーやそれ以外の日本人達で
バス停は大賑わいであった。Nちゃん一家とはまた日本ですぐに会えそうなので明るいサヨナラだ。しかし、私達も1週間後にはこのバスに乗ってハノーバーを
後にするという事実を目の前に着きつけられたような気がして複雑な気持になった。
お見送りの帰り道、メインストリートにある「ダートマス・コープ」に入り、ダートマス大学グッズやタックグッズ等をチェック。これといったハノーバー名物もないので、
やっぱりお土産は大学グッズになってしまいそうである。
夕方からダンナはゴルフ。ハノーバーカントリーのシーズンパスの有効期限もいよいよ明日まで。

6月13日(金) お隣でBBQ

娘の熱は昨日から下がらず。すっかり「甘えっ子モード」になっているので今日は買い物に行っただけの一日。お天気の方も雨が降ったり止んだりだったので、
自宅日になってもあきらめがつく。
夜はお隣さんであるメディカルのS氏宅のBBQパーティ−に誘われていたので、娘を寝かせて夫婦交代で参加。ほとんどのお客様はメディカル関係の日本人
だったのだが、明日には帰国するNちゃん一家やSachem仲間のMさん一家等もいらしていて、とても賑やかなパーティーであった。2年間ハノーバーに住んで
いても、まだ会った事のない日本人も結構いるものである。

6月12日(木) 完璧な妻(?)もたまには怒られるのであった

今朝はK君ママと2人でゴルフ。12時半頃に18ホールを周り終えると、クラブハウスのテラスでハンバーガーを食べながらおしゃべり、話が盛りあがっているところ
にムッとしたダンナと娘が登場。ダンナのラウンドは3時からだと思っていたら2時からだったらしく、なんの連絡もなしに一向に帰ってこない私におかんむりで
あった(もちろんゴルフに遅れるからではなく、何かあったのではと心配してくれたからである)。
普段とすっかり立場が逆転して平謝りした後、そのままラウンドを周り始めたダンナを残して娘と一緒にK君ママの車で帰宅。

自宅に戻ってからは洗濯、たまったメールへのお返事にホームページの更新、ムービングセール関連の連絡等をする。夕方にはEちゃん一家もボストンに
発っていった。「日本でもえちゃんと一緒の幼稚園に入る!」と言ってくれているらしいEちゃんだが、日本では今程近所に住む事はないだろうなあ。

夕方辺りから娘が熱を出したので、今日誘われたメリッサのお宅には結局行けず。帰国前にはもう会えそうもないので残念であった。
娘の症状を見る限り、どうやら以前にも一度やった「手足口病」のよう。自宅安静以外に対処方法もないのでまずは様子を見る事に。

6月11日(水) 1人ゴルフ&お呼ばれ

目覚ましが朝5時に鳴ってから20分近くベッドの中で迷いに迷った末に起床、6時にハノーバーカントリーへ。今日は誰とも約束していないので、初の1人
ラウンドである。私の前をよく見かけるタックの韓国人1年生がやはり1人で周っていた。最初の3ホールは好調だったので、「これは自己ベスト更新か?!」
と思ったのだが(最近日本人タック生達の間では「1人ゴルフで自己ベスト更新」がとても流行っているのである)、4ホール目で芝刈りのお兄さんが待つ中、
緊張して打ったティーショットを失敗。それ以降はすっかり調子が狂ってしまった。ゴルフは本当にメンタルなスポーツなので、"chicken-heart"な私にはあまり
向いていないと思ったりする。好調な時はずんずん進めるのだが、調子が崩れると1人で黙々と歩くのは結構退屈(もちろん、そういう時に自分で立ち直って
こそゴルフなんですが)。やっぱり仲のいい人達と周った方が楽しいなあ。
前の韓国人が結構ゆっくりしたペースだったのでティーショットの度に休憩したにもかかわらず、3時間で18ホール全てを終了。自宅に戻るとダンナも娘も
まだ夢の中であった。

午後からはダンナがゴルフ、私は娘と自宅で過ごす。8時頃、ゴルフから戻ったダンナと一緒にT内家へ。明日ハノーバーを出発するT氏と一緒に
餃子・焼肉をご馳走になった。
家族単位で集まって美味しい料理を食べ、お酒を飲み、様々な話をしながら大笑い。ハノーバーに来て以来、何度このような夕べを過ごした事だろう。
小さな田舎街のここには東京やNY等、大都市では当たり前の美味しいレストランもなければお洒落なショッピングモールもない。スポーツ好きやアウトドア好き
には様々な可能性があるが、美術館等の知的好奇心を満たす事のできる選択肢はどうしても限られてしまう(それぞれのレベルは意外に高いのですが)。
ごくごく単純で質素なハノーバーでの生活が、まもなく東京に戻る私にとってはこの上なく贅沢に思えてしまうのである。

6月10日(火) NY行きとりやめ

2時間弱の睡眠のみで6時からK君ママとゴルフ。よりによってグローブを忘れてしまったのだがショットにはあまり影響がでなかったようで、ハーフのスコアは過去
2番目の出来(それともこれってグローブを忘れた影響?)。お互い時間があまりなかったのでハーフのみで止めたのだが、天気もよく会話も楽しいゴルフ
であった。

自宅に戻ってNYに先日の罰金を払いに行かなければならないダンナを起こす。NY Criminal Courtに11日までに出頭しなければならないため、一応1日の
余裕を持って行くというスケジュール、しかし出る直前にふと罰金チケットを見直すと「出頭期限:6月9日」。
。。。もしかして、これって。。。やっちゃった?。。。
わざとではないとはいえ、期限内に出頭しなかった場合の取り扱いが不明なままNY行きを決行しても仕方ない。ひとまずNY行きをキャンセルする事に。
いっその事踏み倒してしまおうかとも思ったりするのだが(今回の罰金額は聞かされていないのだが、NYの交通違反料金はべらぼうに高いらしい)、将来NY
で運転する機会があった場合のリスクを考えると不安が残る。タックで商法を教えている教授にダンナがメールで問い合わせたところ、「刑務所に入る等という
事は絶対ないが、まずは裁判所に電話して指示を仰いだ方がいいでしょう」との返事が来たので近々連絡を入れる事に。

久々に食材の買い出しに行き、明日が引越しのI田家に用事で立ち寄って最後の挨拶。I田家は関西に戻る予定なので、帰国しても簡単には会えそうも
ないのが残念である。
同級生達が1人1人ハノーバーを離れていくのを見送るのはとても淋しい。そして、あと10日ちょっとで自分達もその日を迎えるのだ。

6月9日(月) ラーメンランチ&ボウリング

12時過ぎにOさん宅へ手作りラーメンをご馳走してもらいに行く。今日招待されていたのは日本人クラスメートとアジア系インターナショナル総勢15人以上。
行ってみるとラーメンの前に茄子の煮物に鶏の中華風丸煮、餃子等のご馳走が出てくる。「こういう時しか料理しないから」と謙遜するOさんの手料理は、
ラーメンも含めてとっても美味しかった。
会場は数日間住みこみでキャット・シッティングをしているというOさん夫妻宅のご近所の一軒家。色とりどりの花が植えられた庭にはウッドデッキのテラス、
ハンモックに池まであって、本当に素敵なお宅であった。日本でも北海道ならこんな家に住めるんだろうか。

7時半からは日本人7名でボウリングを楽しみ、その後は我が家へ流れて飲み会。卒業式のビデオを見ながらおしゃべりしているうちに、気がつくととっくに
日付も変わっていたのであった。

6月8日(日) ダートマス大学卒業式

今日はダートマス大学全体の卒業式。ダンナ達の卒業証書は今日授与されるのである。昨日と違って空は明るく、雨など降りそうもない。
朝9時前にダートマスグリーン集合のダンナを送ってから一旦自宅へ。洗濯をしながら地元のチャンネルで生放送されている卒業式を録画。タック生達の
卒業証書の授与を確認してから再び11時過ぎに娘と一緒にグリーンへ向かう。
人で埋め尽くされたダートマスグリーンを娘と一緒に一周しながら途中で会ったK君母子やメディカルのパートナー達等と立ち話。グリーンの後方でお目当て
のNちゃん母子を見つけ、一家で見に来ていたSachem仲間のMさん達も一緒に芝生に敷いたシートに座りピクニック気分で式を見守る。
式の終了後、学生達が一斉に帽子を投げる壮観なシーンを見たかった今回の卒業式だが、肝心の帽子投げはチームワーク(?)が悪い五月雨式になって
しまいちょっとイマイチ(笑)。しかも式後に見つけたダンナの頭の上にはちゃんと帽子が。タック生達はなぜか誰も投げなかったらしい。

本日、ダンナがDartmouth University/Tuck School of Businessを卒業致しました。2年前、いつかその日が来るという事が信じられない程遥か先に思えた
今日の日を、おかげ様で無事に迎える事ができました。ハノーバーでの2年間はダンナのMBA取得という目に見える結果以外に、様々な人達との出会いや
新たな価値観への気付き等、数々のかけがえのない貴重な経験を与えてくれました。そして、十分な準備もしないまま子連れでの私費留学に踏みきった
私達にとっては、本当に多くの人達に支えられて生活してきた2年間でした。
渡米前から精神的・経済的に支えてくれたそれぞれの家族、アメリカで大きな事件があるたびに心配してメールを送ってくれた友人達、偶然このHPを
見つけて時折励ましのメールを下さった方々、この場を借りて心からの感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。

6月7日(土) 雨の卒業式

ダンナ達"Class of 2003"の2年間を締めくくる卒業式の今日はなんと雨。朝はまだ降り始めていなかったため、MBAオフィスからの全体メールの内容は二転
三転した結果、最終的な会場はタック生とは縁もゆかりもないダートマス大学体育館に決まった。
快晴の下、タック校舎前の芝生で行なわれた去年の卒業式を見守りながら、「来年はダンナ達の学年もここでフードを授与されるんだなあ。」と感傷に
ひたったものだったのだが、まさかこんな事になろうとは。なんとも口惜しくて仕方がない。

集合時間よりも40分程早めに車で体育館近くに向かう。小さなハノーバー市内をかつてない程多くの人が行き交い、道路は渋滞し、駐車場は一杯。
去年のクリスマスも人の多さに驚いたものだが、やはり卒業式のこの時期がハノーバーで一番賑わう瞬間である。今日はタックやマネジメント・エンジニアリング
等の大学院の卒業式、明日はアングラも含めたダートマス大学全体の卒業式。そしてこの時期に合わせて様々な学年の「リユニオン」(同窓会)まで企画
されているため、この辺りのホテルは老若男女のタック関係者やその家族達で一杯になるのである。

会場にはかなり早めに入ったため、たまたま学生席の端の方に座っていたダンナの、通路を隔てて斜め前の席という理想的なロケーションを確保。式が
始まる前から空腹を訴えていた娘もまあまあいい子にしてくれたため、フードの授与をデジカメにおさめ、スピーチの一部等をビデオカメラで録画。
全員分のフードの授与が終わり、会場内の全ての人が立ち上がってMBAホルダーとなったばかりの学生達に惜しみない拍手を送った時はさすがに
少し目頭が熱くなってしまった。
式後は雨のあがったタック校舎前の中庭で学生の家族も含めた立食パーティー。

一旦自宅に戻ると8時過ぎからNorwich Innのレストランでディナー。中庭で一緒に話した日本人クラスメートの有志と一緒に卒業を祝う。東京に戻る
人も多いとはいえ、ハノーバーで時間を共有できるのもあと少し。名残惜しい気持はお互い一緒なのだろう。

6月6日(金) 早朝ゴルフ&K君シッター

今日はご近所のI家とEちゃんママと4人で早朝ゴルフ。天気には恵まれ、スコアもベスト更新とはいかずともまあまあ。
ゴルフ場で会うのは地元のおじいさん達以外にはタック生ばかり。皆最後の最後までやってるのね(笑)。

3時からのダンナのティータイム前に娘とシュターンに野菜を買いに行き、その帰りに懐かしのソフトクリーム屋へ。今シーズン初めて行ったそのお店は相変わらず
繁盛しているようで、店先でソフトクリームを食べているたかだか10分足らずの間に客が次々と入ってくる。今回選んだフレーバーは"Blueberry Maple"。
大変美味しゅうございました。

6時半からはK君シッター。卒業式に合わせてハノーバーにいらしたK君パパのお母様とK君パパ・ママがディナーに出かけている間のベビーシッターを申し出た
のである。しょっちゅうK君ママの豪華ディナーをご馳走になっている我が家は、料理の腕が足りない分をベビーシッターでお返しするのであった(笑)。
今日の娘はあれこれとK君の世話を焼いたかと思うと、次の瞬間にはおもちゃを取り合ってけんか。まだまだお姉ちゃんに徹するのは難しい年頃のようである。

6月5日(木) 懐かしい再会

バーSの店主であるS氏とダンナは早朝ゴルフ、私は10時過ぎに娘を連れて店主のいないお宅にお邪魔。昨日奥様のYさんが日本から到着されたのである。
Yさんは去年の夏に職場に復帰するために帰国されたので約1年ぶりの再会なのだが、話をしていても全く違和感がない。1年という時間の短さを実感した。
なんとかとれた有休の日程の関係上、Yさんは今週末のご主人の卒業式まではいられないとの事。MBA留学の2年間を締めくくる晴れ舞台、夫婦で迎える
事が出来ないのはさぞや残念な事だろうに。

午後に用事でEちゃん母子が立ち寄り、ご近所のI家の引越し作業を手伝っていたダンナも帰宅。M子さんもほどなくして余ったビールやおつまみを持ってきて
くれたので、即席宴会をしながらしばらくおしゃべり。
I家の引越し日は卒業式前、式の翌日には帰国という非常に忙しいスケジュールである。タックは元々他のビジネススクールに比べて卒業式が遅いせいも
あるのかもしれないが、去年の上級生を見ていても会社派遣の人のほとんどが卒業と同時にあわただしくハノーバーを去っていく。
我が家の引越しは20日過ぎ。卒業後もしばらくハノーバーで過ごせるのは私費留学生の利点の一つかもしれない。

6月4日(水) 早朝ゴルフ&天ぷらDinner

今日の早朝ゴルフはI田氏とT内氏の奥様Kさんの3人。Kさんは今日がコースデビュー、I田氏は初心者女性2人を連れてのいわば「接待ゴルフ」である(?)。
午後からはトーナメントがあるため、今日の一般開放は午前中のみ。ティータイムを予約したグループが別々のホールから同時にスタートする「ショットガン
方式」だったので、第1ホールからスタートになった私達はすぐ後ろのグループに先に行ってもらい、後は最後までのんびりペースで周った。
コースで球を打つ事に慣れていないKさんは当然ながら何度も球を打つ事になり、また小走りで移動する事も多かったのだが、気になったのは彼女が恐縮
しながら言い続けていた「私の事はマメだとおもって先に行っちゃって下さい。」の一言。。。マメ。。。???

夕方の5時半からはT氏とT内氏一家が我が家へ。以前コープで買っておいた天ぷら粉を使って今晩は天ぷらDinnerである。
トンカツやコロッケは作った事があったのだが、アメリカで天ぷらをするのはこれが初めて。"HIME"という、訳のわからないメーカー(多分日本の会社がアメリカ
向けに名前を変えているだけなんでしょうが)の天ぷら粉で揚げたエビや野菜達は普通にサクサクと揚がってとても美味しかった。事前準備も簡単だし、もっと
作ればよかったなあ。
お客様が来ているにもかかわらず、珍しく10時前に寝たがった娘と一緒に一旦寝室へ。すぐに眠ってしまった娘を置いてリビングに戻るつもりだったのだが、
早起きしたせいか、不覚にも私までそのまま眠りに落ちてしまったのであった。

6月3日(火) Burlington Jazz Festival

今日はダンナが早朝ゴルフなので私は留守番。午前中に先日のヤードセールでテレビ台を買ってくれた中国人への引渡しを行なう。
ほとんどの大物は私達の引越し日ギリギリまで引渡しを待ってもらえる事になっているので、直前まで生活には不自由しなくて済む予定。テレビをロッキング
チェアの上に置き、ビデオテープ等をダンボールにしまって隣に置くと、部屋が少しだけ殺風景になった。ダンボールで様々な物を間に合わせた渡米直後の頃
を思い出す光景である。当時はそれぞれのダンボールが少しずつ家具に変わっていったのだが、今回はその逆。

午後3時過ぎ、車で1時間程離れたバーモント州バーリントン市へ向かう。
今週はタックの"Disorientation Week"。まもなく卒業する予定の2年生達を対象に各種「追い出し企画」が催されており、今日の
"Burlington Jazz
Festival"
もその一貫である。タックサークル前から出るバスで参加する人も多いようだが、子連れの我が家はフレキシビリティーを優先して車で行く事に。
街の中心地であるマーケット通りを歩いていくと、あちこちでタック生に会う。我々と同じく車で来た人もいるようだが、運転の心配のない学生達は店先の
デッキチェアでビールを飲みながらおしゃべりを楽しんでいた。私達も市役所前の野外ステージで行なわれていた地元の素人達(子供も!)によるジャズ演奏
を聞いたり、湖の近くを散歩したり。バーリントンはハノーバーに似て豊かな緑にレンガ作りの街並みが美しい街なのだが、ブティックやレストラン等のお店の
充実度はかなり上。日帰りドライブで来るにはちょうどいい街だ。2年間もこちらで生活していながらアメリカの主だった大都市どころか、近所の観光地でさえも
全く知らない事を改めて実感。

ビストロで軽い夕食を済ませてから7時半に市内にあるFLYNN Hall へ。ジャズ・フェスティバルではあるが、今晩のコンサートはサルサ。バイオリンを初めて
サルサにに取り入れた、元々はクラシック畑の
"Alfredo De La Fe"というおじさんバイオリニストとそのオーケストラの演奏である。
演奏は素晴らしく、エレキバイオリンの官能的な音色は情熱的なサルサ音楽にピッタリ。踊りながらバイオリンを弾き、ステージを降りて会場内を歩きまわる
(2階席まで!)彼に誘われて席を立って踊り出す観客も多く、通路で踊り出したカップル達が次々と会場スタッフによって後方へ追いやられるのを見るのは
可笑しかった(演奏している本人達が「踊れ、踊れ」と誘うのに、なぜか会場の事前アナウンスは"Dancing in front of the stage is strictly forbitten"
だったのだ)。ステージ後半になると、会場内の両端の通路及び後方ではかなりの人数が踊っていたのであった。
残念ながらコンサート終了間際に娘が騒ぎ出したので、後ろ髪をひかれつつも会場を後にし、帰路についた。

6月2日(月) 早朝ゴルフ&K君宅にお呼ばれ

今日の早朝ゴルフはSachem仲間のMさんと韓国人のクリスティーンと。クリスティーンはベストスコアを出し、コースに出るのが初めてだったMさんもゴルフの
楽しさを実感したよう。私だけは早々とスコアをつけるのを止めてしまった程調子が悪くてやけになりそうだったのだが、楽しそうにプレイしている2人のおかげ
で「やっぱり楽しまなきゃもったいない。」と、気持を切り替える事ができたのであった。
止まっているボールを打つだけだし、打つ合間はおしゃべりしながらダラダラと(?)歩くだけ。以前は「あんなおじさんスポーツ、何が面白いんだろう」と思って
いたのだが、どうしてどうして、なかなか奥が深い。誰と競う訳でもないのに、自分の精神状態1つで球の飛びが全く変わってくるし、めげそうになっている時に
周囲に配慮しながら楽しくプレイするというのは、忍耐力のない私にとってはかなり大変な修行である。逆に気持よくショットが決まり、鮮やかな緑の中を歩く
時の爽快な気分は素晴らしい。日本でも最近では不況のためにプレイフィーが下がってたと聞いてはいるが、こんなに楽しいスポーツを金持ちやビジネスマン
だけのものにしてきたなんて、なんて勿体無い事なんだろう。

夜の7時からはK君宅にお呼ばれ。私達が到着する直前に転んで額を切ったK君がパパに連れられてDHMCのERに行ったりというハプニングがあったが、幸い
にして傷はそれ程深くはなかったよう。最終的には9時過ぎからスタートした遅めの夕食会は、ご近所のI家も含めた3家族で深夜まで賑やかに続いたので
あった。

6月1日(日) 雨の日は雑事をこなすのであった

今日から6月。今月末には2年間のアメリカ生活を終えて再び日本に帰国している予定である。

今日はほぼ終日雨。ゴルフのシーズンパスを買って以来、帰国準備をはじめとした様々な雑事が全て後回しになってしまっている。今日のように雨が降ると、
ゴルフが出来なくて残念に思う一方で少しホッとして様々な雑事を片付けるのであった。
という訳で今日は荷造りの一部を済ませ、たまったメールの返事を書いたりホームページを更新したり、食料の買い出しに行ったり。夕方には雨が止んだので
少しだけ打ちっぱなしに行く。わが娘はまだ見ているだけだが、打ちっぱなし場に来ている10才近くの子供になると、綺麗なフォームでいっぱしの球を打って
いるのに感心。ハノーバーではスキーやスケートと同じく、ゴルフも敷居の低いスポーツだ。改めてうらやましい環境である。

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