Diary of November    Makko's Diaryの目次へ   ホームへ戻る

 

11月30日(土) K君宅ディナー

ブラインドを開けると昨日の夜にまた雪がふったようである。M子さん宅からの帰りの足跡が消えていた。

午後過ぎにショッピングモールに買い物に行く。衣類や生活雑貨の買えるお店はカートを一杯にした人達でごった返しており、スーパーマーケットはガラガラ。
やっぱり人々の過ごし方が日本のお正月に似ている気がする。

夜はK君宅でディナーをお呼ばれ。クラブケーキやタンシチュー等、凝ったメニューの数々に舌鼓を打ちながらの会話ははずみ、あっという間に日付が変わる
時間となってしまった(とっても美味しかったです!ご馳走様でした)。
久しぶりにI田家のSお兄さんを1人占めできた娘は、今朝テレビで見たばかりの「パワーレンジャー」ごっこにSさんをつきあわせっぱなし。
Sさん、どうもすみませんでした。

11月29日(金) クッキー作り

粉雪がしんしんと降り続けた一日。

朝9時にM恵さんと一緒にメディカルのSさん宅へ。毎週金曜の午前中にプレイグループを開いていらっしゃるお宅なのだが、学期中はスペイン語のレッスンと
重なっていて参加できないのである(まずい、スペイン語の宿題まだ始めてないや。。。)。
今日はサンクスギビング休暇中という事で、クッキー作りというイベントを用意してくださったSさん。テーブルの上には生地の材料と共に手作りのチーズケーキが
並べられていた。今回の参加者は主にメディカルの日本人達。子持ちのパートナーはメディカルの方が多いので、子供達だけでも総勢10人である。

メアリーアンさん宅でのイベントとは違って今日はクッキー生地から作る。子供達は生地をのし棒でのばして型抜きをする作業になるとわぁ〜っと集まってきて
のし棒やクッキー型の奪い合いに。Sさん宅の広いキッチンは小麦粉だらけになってしまった。
焼きあがったクッキーとチーズケーキを食べながらお茶をして解散。

自宅に戻ってまもなくソファーで寝てしまった娘のおかげで、夕食の煮物を火にかけながらホームページの更新作業やメールの返事等に没頭。
ご近所のM子さんからお茶にお誘いがかかってきたので、娘が目覚めてから夕方になって久しぶりにお邪魔した。
帰り際には昨日のターキーのおすそわけまでいただいて帰宅。予想はしていたものの、M子さんお手製のターキーとグレービーソースはやはりホテルのより
美味しかったのであった(笑)。

11月28日(木) Thanksgiving

11時半にHotel Coolidgeへ。先日のモニカ&クラウディアのパーティー会場である。今日はモニカの提案でここの「サンクスギビング・ランチ」に有志で集合。
参加者は我が家(母子のみ)、K君一家、M恵さんと産まれたばかりのR君(ご主人は我が家と同じく帰国中)、モニカやクラウディアの一家に韓国人の2家族
等、子供を入れて総勢25名。
ホテルのロビーで集まった友人達と"Happy Thanksgiving !"の抱擁をして食堂に入ると12名用テーブルが2つ。Widow中のM恵さんと我が家は子供と一緒
に座ったのだが、気がつくと2つのテーブルは「パパ&キッズ」テーブルと「ママのみ」テーブルに分かれていた。かくして子供の食事にバタバタする男性陣と、
バイキングテーブルと自分の席を何度も行き来して食事とおしゃべりを楽しむ女性陣、という明暗際立つ構図に(笑)。
正直いってランチ自体にはそれほど期待していなかったのだが、バイキングテーブルにはターキー以外にもポークにビーフ、サーモン、マッシュルームスープにライス
ピラフ、マッシュポテトにマッシュパンプキン(?)、クリームオニオン、サラダにフルーツ等、そしてデザートにはパンプキン、ピーカン、アップルパイ、キャロットケーキに
チョコレートケーキ等、とても食べきれない種類のご馳走が並び、そしてどれも予想外に(失礼)美味しかった。
定番メニューをほおばりながら親しい友人達とのおしゃべりを楽しんだはじめてのサンクスギビングを満喫。

ランチ後はモニカが自宅にさそってくれたので行こうと思っていたら帰りの車の中で娘が寝入ってしまう。夕方5時前に電話を入れてみるとまだ何人か残っている
人がいるというのでちょっとだけ顔を出す。ランチには来ていなかったGabiとその家族にも久しぶりに会えた。彼らは明日からエクアドルに一時帰国の予定。他
の人達もそれぞれ旅行や一時帰国等で、年末にかけてハノーバーは夏休み同様少し淋しくなりそうである。

6時過ぎに帰宅してからは夕食とお風呂を早めに済ませ、珍しく10時前に就寝。本当はご近所のM子さん宅のターキーづくりパーティーに顔を出したかった
のだが、夜更かし癖のついた娘(今に始まった事ではないのだが)を明日の朝早めに起こさなければならないのであきらめる事に。

11月27日(水) ベビーシッター慰労ディナー

今夜は先日のモニカ&クラウディアのバースデーパーティの時にM内家にて我が家の姫を見てくれていた一年生の方々を夕食にご招待。M内さんの奥様が
合同にしようと言ってくれたので(Eちゃんママは既に帰国)、ベビーシッターの会場を提供してくれたM内家にも1品だけお願いする事に。

お料理の準備が一段落したところで、追加のワインを買いにCOOPへ。街中も店内も予想外に多くの人々でにぎわっている。レジのおばちゃま達の挨拶は
"Happy Thanksgiving !"や"Happy Holiday !"だ。明日からの休暇に備えて買い物に追われる人や帰省する人達の慌しさは日本の師走を思い出
させる。実際、ターキーやパンプキンパイ等にはじまる数々の定番料理を用意し、実家等に家族全員がそろって祝うのが一般的だというこの祝日は、日本の
年末年始にあたると思っていいのではないだろうか。

夜6時半以降から次々と1年生の方々が到着。総勢大人7名、子供3名のにぎやかなパーティーとなった。毎週のようにM内家に集まっているという1年生達
の会話はまだ3ヶ月ちょっとの付き合いにも関わらずとても打ち解けた様子。普段1年生パートナーに会う機会はあっても学生達とはあまり接点のない生活
なので、とても貴重で楽しい夕べだった。

11月26日(火) ダンナ帰国

久しぶりに朝の定例プレイグループに顔を出す。先々週辺りから場所は我が家前の公園から室内であるSachem11/12に移ったのだが、たまたまなのか
今日は人数も少なめで2年生パートナーはK君親子と我が家のみ。常連メンバーがそろそろ決まってくるきているのかもしれない。

夕方の出発直前まで荷造りおよびその他の帰国準備に追われたダンナ。私の方も明日のディナー用の買い出しでゆっくりと家族の時間を過ごす間もなく
見送りの時間がきてしまった。ハノーバーイン前からダートマスコーチに乗ってボストンに向かったダンナ。いつもはほぼ貸切に近いバスが、乗客で一杯だった。
夜になって「ぱぱ、おそいねえ。まだかえってこないよ。」と娘。パパにはクリスマス前までのしばらくの間、会えないんだよ。

たった2年間のMBA留学の間に、ダンナは結果的に3度も帰国している。去年の年末にはインターン用のインタビューで3週間程、今夏にはインターンで3ヶ月、
そして今回は大学の授業の一環である「フィールドスタディー」で3週間。昨年まではこのフィールドスタディーの行き先はネパールやシンガポール等で、未体験の
国を楽しみにしていたダンナだったが、行き先はなんと母国「日本」(ポーランドに決まったフィルは日本に行きたがっていたのでうらやんでいたが)。
ダンナは2年間の間に4ヶ月半、私は6ヶ月以上日本に帰っているのである。渡米当時、ただでさえ2年間なんてあっという間だと思っていたのになんだかとても
もったいない気がしてしまうのであった。

11月25日(月)  のんびりデー

今週からダンナはテスト週間。授業がないので自宅で日頃の睡眠不足を十分補ってから自分で大学へ。
私と娘は終日自宅でのんびり過ごす。

家の前の公園も寒くなってからは人が来なくなった。娘も「外にいってくる」と飛び出しても、ものの5分で帰ってくる。そんな中、以前と変わらずしょっちゅう遊びに
来ているのは1年生TUCK生の1人娘であるマーシャ(とそのママまたはパパ)。ロシア出身である(笑)。

11月24日(日) アピチャイ送別会

夜、ダンナのクラスメートのOさん宅にお邪魔。新潟国際大学のMBAに在籍していて3ヶ月限定でTUCKに来ていたタイ人のアピチャイがいよいよ日本に帰る
ため、今夜は彼の送別会である。
Oさん宅ではうなぎやマグロ等、ハノーバーでのディナーとは思えない豪華日本食を毎度のようにお呼ばれしてきたのであるが、今回はまたびっくり。なんと
アラスカから空輸でとりよせた新鮮な魚三昧のディナー。ピンクマグロ、ホタテに甘海老(しかもエビフライ用程の大きさ!)の刺身、たらこ、シメサバにブリ等。
T内氏夫妻、T氏達も含めて大人総勢8名がお腹一杯食べても(というより食べ過ぎ)まだ余りある量であった。T子さんの手料理だけでなく、ご主人みずからも
茄子の煮付けやローストビーフ等を作って下さっており、どれも絶品で大満足の夕食であった。
送別会の最後にはアピチャイに全員からTUCKのポロシャツとダートマス・ムース(ヘラジカ)のぬいぐるみを進呈。複数のスタディグループが一緒だったダンナに
とってはちょっと淋しいお別れだったようである。

11月23日(土) ダンナ帰宅

昨日のパーティー疲れで母子ともにのんびりと寝坊。シュターンとプライスチョッパーに買い物にいった他は自宅でのんびりと過ごした一日。
夜6時にダンナがダートマスコーチでハノーバーインに到着したのでピックアップ。夕食を食べながら昨日のパーティーの話やNYでのインタビューの話等で
盛りあがる。

11月22日(金) 長〜い一日

1時前にダンナとクラスメートのMさんをレバノン空港まで送る。2人はNYにインタビューを受けにいくのである。Mさんはその後直接日本に一時帰国するとの事。
2年生は授業が既に終了しており、お持ち帰り試験を済ませれば晴れて自由の身なので来週辺りから帰国する人もちらほらといるようである。我が家はダンナ
がフィールドスタディーという授業の一環で帰国するが母子はハノーバーに残る予定だ。

一旦自宅に戻ってお昼を済ませてからメディカルのSさん宅へ。昨日突然ベビーシッターのお願いが来たのである。Sさんはご自身もお仕事をしているので、
普段はイギリス人のベビーシッターがいらっしゃるのだが、彼女の一時帰国中に突然仕事が入ってしまったらしい。日本よりは恵まれているとはいえ、ワーキング
マザーはやはり大変である。
3時過ぎまでお昼寝をしていたSさんの愛娘Aちゃんは、目を覚まして私と娘しかいない事に気付いてもまったく泣く事もなくニコニコと一緒に遊んでくれた。
Sさんが戻っていらしてから5時半に帰宅。

自宅に戻って五目豆を煮ながら娘と夕食を食べる。今日はモニカとクラウディアの合同バースデーパーティーが近くのホテルのラウンジで開かれる予定である。
当然子供抜きという事で、いつもはタックパートナー同士でベビーシッターをしているママ達も先々週あたりからベビーシッターの手配に奔走。
我が家は最終的には普段ベビーシッターをしているD君&G君のパパ(!)であるM内さんにお願い(ママは一緒にパーティーに参加)。M内さんのクラスメート
達が自宅に集まって飲んでいるというので、全員で子供達をみてもらえる事になったのである。おつまみがわりに五目豆を差し入れて奥様と一緒にホテルへ。
ホテル自体はこじんまりとしたアットホームな感じの大きさだったが、会場であるラウンジは予想外に広く、ダンスホールまで隣接している。各々が好きなドリンクを
バーでもらうとオードブル等をつまみながらあちこちでおしゃべり。タック関係のパートナーや学生等、大勢が集まって会場は賑わっていた。
私にとっては娘から解放され、着飾って(ちょっとだけだけど)参加するパーティーなんて久しぶり(しかもダンナなし)。楽しい〜。
宴たけなわになるとダンスホールで音楽がかかり、クラウディアを含むラテン系の男女がホールで踊り出し、モニカやEちゃんママ等も次々とホールへ。私も途中
から参加したが、やはりラテン系はどの人も踊る姿がかっこいいのである。歌と踊りの民族だなあ、と改めて実感。

1時間程で戻ると言いながら、ついついパーティーが楽しくてM内家に戻ったのは12時過ぎ。そのまま集まっていた一年生の方々の飲み会に参加させて
もらい、気がつくと3時になっていた。ちょっとハメを外し過ぎてしまった気もするけど、たまにはいいよね。

11月21日(木) クッキーづくり

1時にメアリーアンおばあさんのお宅にメアリーさんを含む有志が大集合。今日は「Thanksgiving前にクッキーをつくりましょう」という趣旨である。
既にクッキー生地は用意されており、一部は焼いてある。「型抜きをするグループとデコレーションのグループに分かれて作業をできた方が効率的」と、
メアリーアンさんが事前に準備をして下さったらしい。
今日はママ率が高かったため、子供達も新生児含めて10人以上。交代でベビーシッターをしつつ、わいわいと作業にとりかかる。生地はジンジャーブレッドの
素を使った生地と、日本にもあるような基本的な生地の2種類。クッキー型はモミの木に人型、ハートや星型等、デコレーションはピンク・青・緑・黄色・白等
のカラフルなアイシング(色はやはり結構アメリカチック)、それに小粒のマーブルチョコのようなふりかけるタイプの物もあり、最初はおっかなびっくりで塗っていた
人達も気がつくと結構真剣になって色々と趣向をこらした作品を作っていた。
帰る際には作った作品と、あらかじめメアリーアンさん達が焼いて下さっていた異なるレシピのクッキー2種、そして全てのレシピのコピーのお土産付き。
至れり尽くせりの心配りに感動。

ご近所のM子さんと一緒に自宅に戻り、電話を確認するとディーラーから車の修理完了とのメッセージ。そのままディーラーまで乗せていってもらってめでたく
我が家の車のご帰還となった。まったく音がしなくなったマイカーの乗り心地は高級車並み(な訳ないって)。
一番うれしそうだったのは、相乗りを求めて「流浪の民」化していたダンナであった。

11月20日(水) Gabi宅Tea Party

午前中から昼過ぎにかけて今年最後のG君ベビーシッター。今日も娘と2人、実に仲むつまじく遊んでくれた。(それにしても以前見ていたK君といい、G君と
いい、お別れの時はなんとも悲しそうな顔でママを追い求めるのだが、姿が見えなくなった途端に「ふう。」とため息を一つついてケロリとして私に抱きついてくる。
働くママの方々、我が子にだまされてはいけませんね。サバイバル精神たくましい彼らは結構したたかなのです。)
ベビーシッター後はPaula宅でこれまた今年最後のスペイン語レッスン。明日には帰国するPaula、熱心な彼女はわざわざ授業を事前にふりかえ、たーんと
宿題を出していった。休み明け最初の授業はなんとテスト。いやはや。。。

4時過ぎにGabi宅のTea Partyに参加。今日はClaudiaの誕生日当日という事でラテン系パートナーを中心に家の中はにぎわっていた。ラテンタイムでは夕方
はまだお茶の時間。アルゼンチン特有のキャラメル味のクレープやケーキ、一口サンドイッチ等をたらふく頂いて6時頃に自宅に戻ると、ダンナは既に帰宅。
Sachem仲間に家まで送り届けてもらったそうである。

今まで全然知らなかった。ダンナの送迎がないってこんなに楽な生活だったんだあ。。。

11月19日(火) Kさん宅でランチ

朝、こちらからはまだ連絡もしていないディーラーから電話が入って目が覚める。早朝から、と思ったら時計は既に授業開始の時間を示していてびっくり。
昨夜、Vladに学校まで送ってもらう約束をしていたダンナも「やっべー!!」と跳ね起きる。
ダンナがあわてて身支度をしている間に窓の外からお向かいのVlad宅を見ても当然ながら車はない。同じくお向かいのPaula宅の車を見つけて「どうしよう、
2人も子供のいる彼女にお願いしようか。。。」と決心がつかないまま、ご近所のM子さんにまず電話。スノータイヤの交換にいって不在のはずの彼女が予想外
に早く帰宅していたため、なんとか無事にダンナを送り届けてもらう事ができた(M子さん、どうもありがとうございました)。
ディーラーの整備担当者、Kenからの電話によると「ファンベルト周りの部品交換と、場合によってはバッテリーも。明日かあさってには仕上がると思う。」との事。
修理費用も$200以内で済みそうでひとまずは安心。

自宅で電話待ちをする必要もなくなったため、先週からの約束通りM子さんと一緒に12時にKさん(ダンナの悪友T内氏の奥様)宅へ。
美味しいカルボナーラスパゲッティ−とサラダをいただく。6月に日本で結婚式を挙げてこちらにはいらしたばかりのKさん、式の写真等を見せてもらいながらの
おしゃべりははずみ、あっという間に失礼する時間になってしまった。

11月18日(月) ついにマイカーが。。。?

朝ダンナと一緒にレンタカーの返却に行き、そのまま大学へ。一旦自宅に戻ってタイヤ屋に電話をしてからお弁当やお菓子等を用意して娘と一緒にお店へ。
先日以上の長時間を覚悟して準備万端で出向いたのだが、30分も待たないうちに「部品がやはり発注できなかった。明日の午後に来てくれ。」と言われて
拍子抜け。なんのために事前に電話をしたんだか。
帰りにBJ'sで買い物をしてから帰宅し、スペイン語の宿題をしたり「大地の子」を読んだり。風邪も昨日ですっかり直って久しぶりに気分良く過ごせた午後
であった。

お迎えコールがあったのは6時過ぎ。大学からの帰り道、タイヤ屋での経緯を話しながらSachemへの下り坂を走っている時に異変は起きた。アクセルを
踏んでいるはずなのにスピードがあがらない。「あれ、もしかしてブレーキ踏んでる?」と確認してみたが、やはりそうではなく警告ランプが次々とつき出した。
ダンナと2人「ああ〜、もうだめだ〜。」。ちょうど右側にあらわれた墓地へに続く小道に入った途端、とうとう車が止まった。
こんな所で止まってしまってどうしよう、というよりも、とうとう車が止まってしまった事の方がショックである。今さら車の買い替え等のなったら、うちの家計は
間違いなくビンゴだ(どういう家計なんだ?)。
止まった場所はSachemとSachemに一番近いI家(M美さん宅)のちょうど中間ぐらいの位置。娘と私は車の中に残り、ダンナがI家まで電話を借りに行った。
エンジンが切れると少しずつ車の中が寒くなる。これがボストン往復の道中じゃなくて本当に良かった、と改めて実感。こんな状況にも関わらず娘がご機嫌
なので、私も余裕を持って助けを待つ(途中、通りすがりの車が止まり、女性が心配して声をかけてくれた。ハノーバーは本当に親切な町である)。
30分ほどしてM美さんの車でダンナが到着したので選手交代。既に連絡済みのAAA(日本のJAFみたいなもの)を待つべくダンナは車に残り、母子は
M美さんに自宅まで送ってもらう(M美さん、本当に助かりました。どうもありがとう)。

夕食の仕度がちょうど終わった8時前にダンナが帰宅。車はホンダのディーラーに置いてきてもらったとの事。本当はタイヤ屋に持っていってもらえるのが一番
有難かったのだが、場所が遠いので別途料金がかかってしまうらしい。明日は朝一番でディ−ラーに連絡して車の修理内容を調べてもらわなきゃ。
ディーラーの返事が今から恐い。。。

11月17日(日) 幸せな時間

今朝は全員が朝寝坊。一番元気だった娘につられて起きたのは10時頃。普段は5時頃から起きている両親がこんなにゆっくり寝ていたのは初めてである。
2人よりも早く起きなきゃ、とプレッシャーを感じていた身としては有難や有難や、である(笑)。
ブラインドをあげると、目に飛び込んできたのは一面の雪景色。昨夜、寝ている間に大雪が降ったようである。夏のハノーバーでもなく、紅葉もすっかり終わった
今となっては、少々寒くても雪景色の方が美しいハノーバーである。両親に見てもらうにはおあつらえ向きというべきか。
ダンナの実家の普段の食事になるべく近い形で用意した朝食を気持ちよく食べてくれた2人の今日の希望は「とにかくゆっくりしたい。」。昨日の夜の時点で
Quechee観光も中止にしていたので、我が家でのんびりと疲れをとってもらう事に。しかし、久しぶりの雪に元気一杯の娘は「じーじ、ばーば、はやく!」。

朝食の後片付けをしながら母とおしゃべりをし、外を見ると父と雪だるまを作っている娘がきゃっきゃっとはしゃいでいる。ダンナは昨日の寝不足とドライブ疲れ
で高いびき。のどかで幸せな時間に思わず顔がほころぶ。アメリカで両親とこんな時間が過ごせるなんて、とても不思議な気分であった。

帰りもボストンまで送るつもりだったのだが、天気予報はまたもや"snow shower"。息子を気遣った(恐怖のドライブに懲りた?)両親は、1時間程Sachem
や大学等を見てまわってからダートマス・コーチで再びハノーバーを経った。何週間も前から「もうすぐだね。」とダンナと話し合っていたはずのイベント、
楽しくてにぎやかな時間はあっという間に終わってしまったのであった。

11月16日(土) 遠路はるばるの再会

まだ寝ているダンナと娘をそのままにして朝7時半に"Tire Kingdom"に到着。タイヤの交換のついでに異音の原因も調べてもらう事にして待合室へ。朝から
降り始めた雪のためか、先客が既に10人以上いるのに驚きつつ、空いていた席を見つけて「大地の子」の続きを読み始める。
1時間ちょっとで終わると言われていた作業だが、1時間経ってもマイカーは相変わらず元の場所に止まっている。「アメリカ時間だし。。。」と、またしばらく本を
読み、1時間半経ったところで車が元の場所から移動されているのを確認して受付の男性に仕上がり時間を聞いてみた。
修理場に行ってしばらくして帰って来たお兄さん曰く「あと少しで終わるよ。それから音の原因だけど、ファンベルトの周りの〜がかなり痛んでるから取り替えが
必要だけど、部品を発注しなければいけないからまた月曜に来て。NYまで行ったりしない限り、市内を走る分にはまだ大丈夫だから。」
え。。。いや〜な予感。「NYまではいかないけど、ボストン往復とか。。。?」とおそるおそる聞いてみる。"You can't make it."真面目な顔で首を振るお兄さん
なのであった。。。

忙しい思いをしてタイヤ交換に来たのに。いや、このままボストンまで迎えに行ってた事を考えると、やっぱり不幸中の幸いなんだよなあ、等とため息をつき
ながら電話を借りて自宅に連絡。電話に出たのは娘。「もえちゃん、ないちゃった。。。」大丈夫だろうとは思ったが、1人で家の外に出ていなくて一安心。
ダンナに替わってもらい、事情を簡単に説明してレンタカーの手配をお願いして電話を切る。
結局タイヤ交換が終わったのは11時半頃、帰りにシュターンで買い物をして12時に帰宅。滑り込みセーフでレンタカーを借りてきてから(土曜は12時で営業
終了のアメリカ。稼ぎ時だっていうのに)自宅に戻る。徹夜明けでひどい顔をしているダンナは1時間仮眠してからボストンへ出発。
野菜以外の食材をコープまで買いに行き、家をざっと片付けると1時間程仮眠。久しぶりに両親に会えるというのに鼻風邪のせいで頭痛までする。それでも
薬を飲んで夕寝をすると具合も大分よくなったので、夕食の仕度等、受け入れ準備の仕上げにとりかかる。

9時頃に到着予定だったダンナ達が帰宅したのは10時半。帰り道は行きよりも大変な吹雪で、高速では6台玉突き、スピンしている4駆、はたまた逆走車
等、雪の止んでいたハノーバーで待っているだけの私が想像もしなかった恐ろしいドライブだったようである。
待ちくたびれていた娘は久しぶりの「ぐらんぱ・ぐらんま」に大興奮。私がお願いしていた100cmの冬服以外にもおもちゃや千歳飴(!)等、たくさんのお土産に
囲まれて嬉しそうであった。
かなり遅い時間になってしまった夕食は、鶏の水炊きに豆ご飯、大根のごまサラダ、トマトにブロッコリー、金時豆に五目豆等。アメリカの食事に疲れきっていた
お2人は、久しぶりの和食をとても喜んでくれた。今日は母の誕生日だったので、食後にヨーグルトムースのケーキと紅茶でお祝い。
それぞれのたまった疲れを癒すために、全員が12時頃に就寝したのであった。

11月15日(金) セジョン宅にお邪魔

スペイン語レッスン後、自宅に戻ったばかりの娘がまた外に飛び出していった。同じく自宅に戻ったPaulaが子供達とお散歩する姿を見かけたのである。
ここのところ、私の風邪のせいで友達とも遊ばせずに家の中で過ごしていたので、さすがにもう止められない。しばらく遊ばせてから頃合を見て迎えに行きがてら
Paulaと立ち話。彼女が子供達を公園で遊ばせているところにしょっちゅう加わっている娘は、最近では"Hola Paula!"とスペイン語の挨拶をするそうである。

家の周りに見当たらない娘の三輪車を探しに(外用のおもちゃは子供達が勝手に遊んではそこら辺に乗り捨てていくのです)South Sachemの奥の方へ。
「あ、あったねー。」と見つかった三輪車と一緒に帰ろうとすると、目の前のハウスから韓国人の1年生パートナー、セジョンが顔を出して家の中に誘ってくれた。
中に入ると、彼女の1人娘の「ハナ」ちゃん以外に男の子がもう1人。1年生の韓国人パートナー同士でお互いのESLの間のベビーシッターをしているらしい。
韓国のお菓子、とパウンドケーキのような物をいただく。ドライフルーツ等のほかに餅粉を使ったそのケーキは、甘さ控えめでもちもち感がとっても美味しかった。
お祝い事にも焼くお菓子だそうだが、どうも特別な食材が必要な様。今度作り方を教えてもらおう。
びっくりしたのは食卓の隣にあった洗濯機ぐらいの冷蔵庫。てっぺんが扉になっているその大きい冷蔵庫はキムチ専用の物で、韓国でも主婦に人気の家電
だそうだ。韓国では普通の冷蔵庫とは別に使うものらしいのだが、そうすると韓国のキッチンは日本より大分広いのかなあ。

夕方、タイヤ交換のためにお店にいったダンナは時間切れで帰宅。今夜は徹夜で勉強のため、私が明日の早朝にタイヤ交換に行く事に。
当初の予定よりかなり忙しい一日になりそうである。

11月14日(木) メアリーさんThanks Potluck Lunch

12時からSachem 11/12でPotluck Lunch。今日の趣旨は、毎週お茶会を開いてくださっているメアリーさんとお茶会の常連のアメリカ人のおばあちゃま達
(BettyさんとDorothyさん)に日頃のお礼をしようという事で、ハノーバー在住の日本人パートナー達が1品持ちよりでわんさか集まった。TUCK、メディカル、
セイヤー、コンピューターサイエンス等、ダートマスの各学部のパートナー以外にも、国際結婚をしてこの辺りにお住まいの女性等、まだまだお会いした事の
ない日本人が結構いたのねー、とびっくり。コープ以外のスーパーでも多少の日本食材が入手できるように、ハノーバーの日本人比率って結構高いのである。

日本人ポットラックの食卓は相変わらずの充実ぶり。餃子、タイ風春雨サラダに春巻き、おにぎり、チラシ寿司に巻き寿司、かぼちゃサラダ等のお惣菜だけ
でなく、デザートもパンナコッタ、プリン、水羊羹、シフォンケーキにアップルパイ、レアチーズケーキ等。とっても楽しく美味しいイベントでした。

授業が3時に終わったダンナを迎えにいったその足でホンダのディーラーへ。マイカーの異音を調べてもらうためである。こんな時に限って車は快調、ディーラーの
店先でしばらくエンジンをふかしてみたりしても全く音はしない。
今週末にダンナの両親がハノーバーに来るのでダンナはボストンまで迎えに行く予定なのだが、週末の予報は雪。レンタカーにしようと言っていたのだが、
「これならスノータイヤに交換するだけでなんとかなるかなあ。」とそのまま帰宅。

11月13日(水) ベビーシッター

午前中からひさしぶりにベビーシッター。M内家の長男D君は水曜にも幼稚園の空きが出来たようで、今週からはG君のみである。
年の離れた娘と2人だとどうなるかと思いきや、「Gくんはちーさいからね。もえちゃんはおねーさんだから」と実にまめまめしく世話をする娘。年の近いD君と3人
だった時は、仲良く遊んでいても何かとけんかがおきたものだったが、2人は最後までけんかもなく一緒に遊び続けた。
大人でも3人だと2人と1人という構図になりがちだから、3という数字が問題なのかもねえ。

ベビーシッター終了後はスペイン語の宿題と読書。しかし夕方になるにつれて再び鼻風邪と頭痛がひどくなる。「しんどいなあ。」と思いながら夕食の準備を
終えたのだが、昨日でやめた風邪薬を再び飲んでみると、しばらくしてすっと体が楽になった。こんな事ならもっと早く飲めばよかった。あまり薬に頼りたくない
からと、体調が少しよくなるとすぐに薬をやめ、またぶり返すという繰り返しだ。覚悟してしばらくの間薬漬けになってみよう。

11月12日(火) 読書&日本の味

明日のベビーシッターに備えて最後の休養日。午前中に食材の買い出しをした以外は自宅で過ごす。
直り具合も「あと一息」というところで、昨日よりも元気が出たので借りている山崎豊子の「大地の子」を読み始める(まだスペイン語の本を読むほど元気では
ない。。。)。ハノーバー在住パートナーの山崎豊子本の所持率がとても高い気がするのは気のせいなんだろうか?

昨日の夜から水につけておいた"Kidney Beans"を金時豆と同じ要領で甘く炊いてみた。見た目といい味といい、予想以上に「金時豆」になったのにびっくり。
チリ・コン・カンを作ってみようと思いつつ、未だモニカにレシピをもらいに行っていなかった私。WICプログラムでタダでもらえる豆の使い道もこれで一つ発見できて
(しかも和食)嬉しいのであった。もともと乾燥豆はあまり使った事がなかったので、他の豆でも色々と試してみようかな。

Pricechopperの冷凍野菜コーナーで枝豆も発見。さやにはいったものと豆のみのものの2種類があり、袋に大きく「枝豆」と漢字で書いてあった。
お目当ての品を見つけた後だったので通りすがりにボーっと見ていただけなのだが。やっぱり漢字は自然に目に飛び込んでくるのねえ。

11月11日(月) 無為な一日

ダンナの送迎以外と食事の仕度以外は何もしなかった一日。Sachem仲間のR君&K君ママ宅にいつものママ・キッズ達の集いのお誘いを受けたので、
「家も近いし、行けばきっと楽しいし。。。」と迷ったのだが、やはりじっと我慢。未だに風邪が直らないのはちゃんと休養しないからである。
今回は鼻風邪だけで熱もなければ喉も大丈夫なのだが、どうも直りが悪く、薬(日本製)を飲んでも普段は感じない眠気が襲ってくる。普段からよく寝て
くれる娘のおかげで、昼間も娘と一緒に惰眠をむさぼった。

人との約束もなく自宅でこれだけ過ごす機会はめったにないのだが、鼻風邪の辛いところは頭がぼーっとしてなんにもする気になれない事である。こんな時に
こそスペイン語でも勉強すれば少しは上達するだろう、と考えつつおっくうで取りかかる気になれない。働いていた頃は風邪ぐらいでは休まなかったのだから、
気力が出ないというのは単なる甘えなのかもしれないが。
結局もったいないなあ、と思いながらもぼんやりと過ごしてしまった一日であった。

11月10日(日) 焼きいも

自宅で大人しく過ごした一日。季節はずれの暖かいドライブ日和なのにもったいない事である(ダンナは勉強があるので、家族そろっての外出はどっちにしても
無理なのだが)。
久しぶりの公園日和に、午後からママ・キッズ達が続々と集まってきた。元気一杯の娘も例によって飛び出して行く。私も最初は家の中で大人しくしていたの
だが、モニカの娘のマケイラがトイレを借りに来たのをきっかけに、皆が立ち話をしているところに出ていく事にした。
外で出てみると予想以上に暖かく、上着をはおらなくても全く平気。時折ふく風はむしろ心地良い位である。久しぶりの公園デートに子供達だけでなくママ達
も嬉しそう。唯一残念なのは、最近では5時にはとっぷりと日が暮れてしまう事である。

公園で最後まで一緒だった韓国人のセジョンが自宅から出来立ての焼きいも(!)を持ってきてくれたので、初めて我が家に来てもらう事に。ちょうどK君親子
が先日Billings Farmに行った時の写真を届けに来てくれたので、焼きいもとお茶でしばらくおしゃべりをしてから解散。
久しぶりの焼きいもを、それも韓国人の人からいただくとは思わなかった。K君ママと2人で「わー、やきいもだー。」と日本語で言っていると、セジュンが「そうそう、
日本語で「やきいも」って言うんだったよね。」と言ってたっけ。どうして知ってたんだろう?
午後から少しずつ楽になっていた体調が夜になってはっきりと良くなってきた。昨日今日と大人しく過ごしたのはやはり正解だったようである。

11月9日(土) 休養日

朝10時まで寝たにもかかわらず、寝不足のために目の奥の方から頭痛がする。快方に向かっていたはずの風邪も当然ぶり返し、最低限の家事をする以外
はぐったりの一日であった。
5時からのダートマス大学生とのポットラック・ディナーもドタキャン。エンジニアリングやメディカル等、他学部の日本人大学院生とはパートナー経由での交流が
あるのだが、日本人大学生と会う機会は今回が初めて。残念な事をしてしまったなあ。

11月8日(金) K君一家との11時間ディナー

今日はK君一家を夕食にご招待。献立はお豆腐のカニあんかけに豆ごはん、さつまいものごま揚げ、中華春巻きに肉団子の甘酢あえ、あとはおつまみを
数品。子供達は最初に食事をひととおり食べてしまうとおもちゃのある寝室で遊び、なんと9時にはK君が、9時半には娘まで寝てしまった。
早い時間に大人の時間を持てた私たちはこころおきなくお酒とおしゃべりを楽しむ。翌日がK君ママの○○回目の誕生日だったので日付が変わる直前に
シャンパンで乾杯する。散々おしゃべりをした後にトランプゲームを始めたのが夜中の3時頃(?)、デザートのラズベリージャムとコーヒーがやっと登場したのは
4時頃。「そろそろ。。。」と解散したのはなんと朝の5時であった(いっその事、徹夜してもよかったかも)。
時の経つのを忘れてしまうほど楽しくて充実した夜。たった2年間のアメリカ滞在でそのような友達が出来たのも本当に幸せな事である。

ダンナがMBAの留学先を最終的にTUCKに決めた事、それが私と娘にとってどれだけ大正解だったか、と改めて思う事がある。
私費留学、それもろくに金銭的用意のない私費留学を(無謀にも)実行した我が家にとって、今の住環境は不可欠なものなのである。パートナーズクラブが
充実しているおかげで私は語学学校に通わずしてアメリカ人の友達を持つ事が出来、娘は幼稚園に通わずして英語を(ちょっとだけど)覚え始めている。
パートナーズクラブには子連れで参加できるイベントも多いので、ベビーシッター代もかからない。何よりもお互いの家を訪問するような家族ぐるみのお付き合い
がごく自然なのは(ど)田舎町ならではの特徴で、誰かの家でくつろぎながら楽しむおしゃべりほど親密になれる事はないと思う。

これが大都市にある大学だったらどうだっただろう。ダンナは大学の授業に忙しく、友達と会うのも外のバー等で子持ちの自分は参加できず。自分1人でも
楽しめるショッピングや美味しいレストラン、映画やコンサート等は金なし・子供ありでは敷居が高く、かといって外出しなければ友達さえ出来ない。2年間と
いう期間は、楽しければあっという間だがつまらなければとてつもなく長い期間である。つくづく我が家の家庭(家計?)状況には、TUCKとその住環境が
ぴったりだったんだなあ、と再確認するのである。
先日、インド人のアプリカントから「タックのパートナー生活について詳しく知りたい。大学を選ぶ決め手になるから」というメールがパートナー全体のメーリング
リストに入った。同行する家族が現地で楽しい生活を送れる事は、過酷な勉強に集中しなければならない学生自身のためにも実はとても重要なファクター
だと思う。今後家族を連れて留学される予定の方には、治安・物価以外の住環境についても色々と情報収集をされた上で留学先を選ばれる事をお勧め
します。

※我が家にとっては最善の選択だったと思っていますが、もちろんタックが誰にとってもベストという訳ではありません。都会が好きな人にとってはハノーバーは物足りないでしょうし、パートナーズクラブ
等の組織が充実しているところはタック以外にもあります。

11月7日(木) のんびりデー

金曜のお客様のための買い物デー。快方に向かった思われた私の風邪がなかなか直らないので自宅で大人しく過ごした一日。

11月6日(水) Monica宅でランチ

今日のベビーシッターもキャンセル。今度はM内さん本人が熱を出したとの事であった。
買い物を引きうけたついでにキッシュを焼いてお宅に届ける。はたして2人の子供達はめちゃめちゃ元気だった。母親というのは自分が体調の悪い時でも
子供達の食事や世話をしなければならないのだから過酷な役割である。

12時に久しぶりにモニカのお家へ。昨日「ベビーシッターの日なら子供達も連れておいでよ。」とランチに誘ってくれていたのだが、結果的に娘と2人で行く事に。
ご近所のM子さん、Claudia、Gabi、Eちゃんママといういつものメンバー(+キッズ)に、ママになりたてのM恵さんも来ていた。
子供達はチーズをはさんで軽く焼いたトルティーヤをちょっとつまんだだけですぐに子供部屋にこもる。大勢集まるとろくに食べてくれないのが難点だが、大人達
がゆっくり食事を楽しめるのは有難い。大人達はモニカの得意料理であるベジタブル・チリとコーンブレッドに舌鼓を打ち、食後にはEちゃんママが持ってきてくれた
チーズケーキまでついて大満足のランチであった。
2年目になって子供達が幼稚園に通い始めたママが多いためか、仲良しメンバーがある程度決まってきたためか、2年生パートナー達のプレイグループ参加率
が少し低くなってきたような気がする。やはり1年目は新しい環境で自分の居場所をつくるためにもせっせと各種集まりに顔を出し、自分の生活のペースや
交際範囲が出来てくる2年目になると、参加するイベント・しないイベントを「選ぶ」余裕が出てくるのかもしれない。

11月5日(火) 穏やかなお茶会

昼食後の1時半頃、ヨーグルトババロアのケーキをつくってメディカルのK君ママ宅へ(TUCKのK君ママと紛らわしいのでI上宅とした方がいいかも)。
今日はNちゃん親子とTUCKのK君親子が一緒だったので、大人4人、子供5人のお茶会である。
I上家の長女、Hちゃんが6才で一番年上、その次が3才の娘とI上家の長男K君、そして2才のNちゃんと1才半のTUCKのK君と、子供達の年齢は結構
まちまちなのだが、Hちゃんが上手にしきってくれてけんかもおこらず。実に穏やかなプレイグループとなった。現在ママべったりのNちゃん以外はママに寄りついて
来る事もほとんどなく、心置きなく大人だけのおしゃべりを楽しむ。
普段参加しているプレイグループはタック・パートナーズクラブ主催のもの、TUCK日本人の飲み会でもメディカルのI上家やセイヤーのNちゃん一家と会う事は
ない。「最近会ってないなあ」と思ったときに個人的に会う約束をするのがいつものパターンだ。自身が女医でもあるI上さんは現在ビザを取り直して週3日
ラボで働くようになったし、Nちゃんは今学期から幼稚園に通い始めたそうだ。Eちゃん親子やK君親子のように頻繁には会っていないので、会わなかった間の
互いの近況等、夕方帰る時間になってもまだ話し足りないなあと思うのである。

私の風邪も快方に向かっており、娘の様子も順調。目下一番の問題は我が家の愛車。
おとといあたりから車体の右前の方で鳴り出したキュルキュル音は、深夜のダンナピックアップ時には本当に恥ずかしい。静まりかえった夜更け、周り中に響き
渡るその異音に道行く人が全員振り向く始末(運転中なのに、思わずうつむいてしまいたくなる私)。しかも音が鳴り出すのは夜。朝昼は順調なので
つい、「もうしばらく様子を見てみようか」と思い、その日の夜に「やっぱり明日こそはディーラーに電話をしなきゃ」と後悔する事を繰り返しているのである。
暗くなって寒くなると調子が悪くなるなんてホントに人間くさい車だ。

11月4日(月) また病院へ

昨夜、また熱を出して耳の痛みを訴えた娘を午後に病院に連れていき、前回とは別の抗生物質をもらって帰宅。
本人はいたって元気なので不安は感じないのだが、これからもっと寒くて乾燥する季節に入るのでなんとかその前に完治させておきたいところ。
私自身も数日前から風邪気味、我が家の車もなんだか再び変な音をたてている。元気なのは慢性的な睡眠不足でフラフラな(笑)ダンナだけである。

11月3日(日) K君宅でランチ

お隣のM子さん、Eちゃん親子と一緒にK君ママにお呼ばれ。カレーとサラダのランチをいただいた。
昨日と違って子供が3人も集まると、けんかの仲裁等におわれてしまい優雅なお茶会・ランチにはなりえないのが残念なところ。とはいえ、母(M子さんは違い
ますが)がそんな事にめげてはいては楽しい時間は持てない。子供の大騒ぎに負けず劣らずの姦しさ(?)でおしゃべりに興じた午後であった。
昨日といい、今日といい、なんだかとっても「おいしい」週末だったぞ。

11月2日(土) M子さん宅でお茶

昼過ぎからダンナはインタビューのため日帰りでボストンへ。今日は車のない生活である。
自宅で娘とのんびりデーになるかと思いきや、ご近所のM子さんからお茶のお誘い。徒歩1分のお宅にいそいそと出かける。

最近、私のお菓子づくり熱はやや冷め気味なので、我が家に来ていただいたお客様にはたいしたものをお出ししていなかったのだが、今日はM子さん宅での
おもてなしぶりに感動。えび煎餅にかりんとう、人形焼に手作りクッキーと、貴重かつ美味しい物が次々と出てくる。座っているだけでお茶が出、娘の相手を
してもらえ、再びお茶が入れかえられる。やはり人様宅でのお茶っていいです(笑)。
遅れて到着したT内氏の奥様、Kさんと3人で6時過ぎまで長居をしてしまった。本当にご馳走様でした。

11月1日(金) Bonfire on Dartmouth green

終日雨のどんより天気であった。ダンナを大学に送り、「今日は食堂が空いてないんだけど」と言われてお昼過ぎに再びお弁当を届けに。
なんと結婚して以来初めての「愛妻弁当」のはずなのだが、週1度の買い物デー直前の我が家の冷蔵庫は淋しい限り。お弁当の中身は妻の愛情を実に
正直に反映するものだそうだ(?)。

ダンナからのお迎えコールは夜8時過ぎ。帰りにダートマスグリーンで行なわれているはずの"Bonfire"を見に行く事に。夜になって気温が下がり、雨が雪に
変わって風も強い。すぐにでも帰りたくなる寒さの中を芝生の方へいってみると、びっくりするほどたくさんの人だかり。ノリの良さをみると学部生が多いようだが、
中には校旗(?)を持ったおじいちゃん等もいる。Tシャツの背中に"Homecoming Bonefire"と書いてある人がいるところを見ると、同窓会のようなものかしら。
寒さに震えながら待っていても、芝生の中央に組まれた大きなやぐらに火が付く気配は一向にない。グリークラブの歌に各種クラブの部長の挨拶、ブラスバンド
の演奏等が続き、「これが終わっても火がつかなかったら帰ろうか」と言っていた矢先、やっと人々がやぐらに向かって移動し始め、人だかりの前方が下の方から
ほんのりと明るくなる。待望の着火だ。
強風も手伝ってみるみるうちに炎は大きくなり、嬌声・歓声をあげる学生達。火がついた途端。照らされている顔は熱いぐらいで、風が強くなりすぎて炎が
流されてくるとわらわらと人々が下がってくる。そのうちやぐらに一番近い辺りを学生達がぐるぐると走り出した。変な仮装をしている人や、中にはパンツ一枚の
人も(アメリカ人の寒さに対する強さ(鈍さ?)には本当にびっくりさせられる事がしょっちゅう。ジャンクな食べ物に神経が破壊されてしまっているのでは?)。
どうやら走っている学生達はClass2006、つまり今年の新入生らしい。あちこちの大学に似たような儀式があるんだろうな。

学部生達のバカがつく程の騒ぎ方、ノリの若さに自分の学生時代をふと思い出した。

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