Diary of March    Makko's Diaryの目次へ   ホームへ戻る    

3月31日(日) ギョーザ.

久しぶりにちょっと寝坊をしてここ数日の間にたまっていた疲れも少し解消。今日は何も予定のない日である。家族でブランチを食べた後、ダンナの提案で
裏の公園に散歩に。溶けにくい場所に多少雪は残っているものの、日差しも強く、すっかり春の陽気である。
公園にいくと、韓国人のクリスティーン(ニックネーム)と娘のミニョンも来ていた。久しぶりに会ったのでダンナと一緒に話しこみ、3時頃にダンナがスタディーグルー
プに出かけてからは子1時間ほど我が家でお茶をした。大学で英語を専攻していた彼女の言葉は私にはとても聞き取りやすい。感じのいい人で、年齢が
近い事もあり話のはずむ相手である。ミニョン娘よりと2才年上なので、一緒に遊ぶという感じではないのだが、別々に遊んでいても同じ部屋に子供がいる
だけで娘は嬉しそう。

夕食はギョーザをつくる事に。日本にいた頃は買ってすませていたのだが、今回はタネだけでなく皮までつくってみた。ダンナの帰宅は遅いので、自分の分だけ
先に焼く。パリパリ・モチモチの、なかなか美味しいのができたのだが、ダンナが帰宅後残りを焼いたら電気コンロの火加減を間違え、見事に大失敗。
久しぶりのギョーザにパパはうれし泣きするよ、と娘に言い聞かせていたので、失敗したギョーザを食べるダンナを娘は凝視し続ける。
「ぱぱ、「おいしー」ってなかないね。」とぽつりとつぶやいたのであった。

3月30 日(土) テニス&バースデーパーティー

朝9時からTさん夫妻(K君ママ達)とIさんと室内コートでテニス。春休み中にやったときと違って今日は大人5人に子供2人。K君ママと私の交代で子供達を
見る事ができたので、常に4人でコートに入れたのがよかった。1時間半、交代しながら気持ちよくラリーする。
自宅に戻って昨日やりきれなかった家事をいっきに片付ける。なんだか春休みが明けてからというもの、慢性的な寝不足である。ダンナの留学についてきた
だけの自分がなんでこんなに忙しいのかしら(遊び過ぎだろ)。

5時からのEちゃんママ宅での一日遅れのバースデーパーティーに参加するために仕度をする。ダンナは体調不良のためドタキャン。風邪が直らないまま、
ホッケー、テニス等と無理をした結果だろう。遅れてしまったので、あわてて娘と家を出る。
Eちゃんママのリクエストにより、我が家に置いてあったTUCK所有のE-カラセットを持参。「アメリカ人もくるはずだし、本当に使うのかなあ」という私の心配は
全く杞憂に終わった。アメリカ人の2組は最初は固辞していたものの、一旦歌い始めると次々と歌い続け、次に人数の多かったラテン系は踊りまで添えての
大合唱。目の前で繰り広げられる子供のようなバカ騒ぎは、とてもトップビジネススクールのMBA生とは思えない光景である。
普段だと2時間程でさっと帰っていくはずのMonica達アメリカ人も最後まで残り、パーティーがお開きになったのは夜中の1時半であった。
何か忘れたような気持ちで自宅へと向かう。あ。。。ダンナの夕食だ。

3月29日(金) サプライズ・パーティー、etc.

今日は春休み明け最初のスペイン語レッスンの日だったが、テストをやる事になっていたので超ビギナーの私はキャンセル。代わりに参加者の子供達を我が家で
引きうける事にした。レッスンの日にちを金曜の午前中にしているのは、必修の入っていないダンナ様方に子供をお願いできるからなのだが、今週はまだ仮登録
期間のようなものなので全員大学にいってしまっているのである。
預かったのは娘を入れて全部で6人。ちょっとした保育所状態だ。日本の童話ビデオを見せたり(ストーリーを説明するのに一苦労。彼らも知っている「シンデレ
ラ」をかけたつもりが「赤い靴」だった。あまりにも暗くて理不尽なストーリーに、子供達の"Why?"が続出!)、部屋に飾っていた下駄と浴衣も試着させてあげ
たりしているうちに気が付くと2時間が過ぎ、ママ達が帰ってきた。
彼らにお茶を飲んでもらいながら、私は午後3時から企画していたEちゃんママのサプライズ・バースデー・ティーパーティーのケーキやゼリー等を準備。Eちゃんママの
仲良しさん達に声をかけて我が家でケーキ&お茶でお祝いしようと思い立ったのは昨日の夜11時であった。計画性のなさが災いしてバタバタの忙しさである。

スペイン語ママ達が帰ってから部屋をざっと片付け、娘に昼食をあげ終わった頃に書道グループのメンバー(Eちゃんママを含む)がぞくぞくと到着。来週の火曜に
やる書道デモのために、前回好評だったしおりを150本程度作成。あらかじめEちゃんママ以外のメンバーにはサプライズパーティーの件を知らせてあったので、
皆ミーティングを早く終わらせようとせっせと頑張ってくれた。準備が終わらない私は、台所からえらそうに指示を出すのみ。しかも自分は前回デモに参加して
いないのに(笑)。皆様、気持ちよくご協力いただいて本当にありがとうございました。

打ち合わせ事項がほぼ終わった3時過ぎからMonica、Claudia、Gabiが到着。同じタイミングで火のともったキャンドルで一杯のケーキを準備するはずだった
のだが、肝心のEちゃんママが子供達を追いかけまわして台所とリビングをいったりきたり。ケーキの準備が完了するまでの間、この不自然な状況をごまかすのは
実に大変であった。それでも最終的にはなんとか○本の火がともったケーキをリビングに持っていき、皆でバースデーソングを歌えた。Eちゃんママのポカンとした
顔を見て、めでたく計画が成功した事にほっとした午後であった。
小さな我が家が子供達11人+大人が9人で埋め尽くされ、自分の声も聞こえない状況でのティータイムは2時間程でお開きに。しっちゃかめっちゃかになった
我が家の後始末は、居残ったEちゃんママ本人に手伝わせてしまった。

お互いのダンナの帰りを待っていると、「妻子同伴で同級生のKさん宅に夕食をお呼ばれする事になった」との電話がダンナとEちゃんパパより入った。
Kさんの奥様は最近こちらに到着したばかりで私は今日が初対面。お宅に到着してみると招待されていたのは10人以上。来たばかりでそれだけの人数を
招待してしまうという度量に脱帽である。夕食のメインはなんとうなぎどんぶり。招待者一同涙を流しながらご相伴にあずかったのであった。

ダンナ達のホッケーの練習の時間に間に合うように帰宅するとまもなくお隣のIさんの奥様より電話。手作りパンを頂きにちょっとだけお邪魔する。
今日だけで一体、何人の人に会ったんだろう?

3月28日(木) お姉ちゃん&E‐カラ

昨夜協議の上、今日はダンナに車を譲る。今日は午前中にHanover図書館プレイグループ、午後にはのメアリーさん主催の「メープルシロップ採集見学」に
参加しようかなとも思っていたのだが、毎日盛りだくさんの日々が続いていたのでなんとなくやめてしまった。本来面倒くさがりの出不精なので、たまに自宅で
のんびりする「充電日」があるほうが自分には心地良いような気がする。
たまっていた洗濯物を洗い、家中の掃除をし、明日我が家でやる予定の「書道デモ・ミーティング」の準備をしているうちにあっというまに夕方になった。
終日おざなりな相手しかしてもらえなかった上に「おでかけ」もなかった娘、夕方用事で寄ってもらったお隣のIさんに会うと「おねえちゃん!」と大歓迎。あれや
これやとおもちゃを引っ張り出してすっかり引き止めてしまった。
I氏からの「大学に迎えにきて」コールが我が家に入り、「お姉ちゃん」が帰ってしまってから唐突にE‐カラセットをひっぱりだしてきて「これ、うたお。」どうやらIさんに
先日のカラオケナイトでキッズソングを歌ってもらった事を思い出したらしい。
この前は皆にどれだけすすめられても決してマイクを握ろうとしなかった娘なのに、次々と私にキッズソングをかけさせては「つぎはなにうたう?」である。
君だけでしょうが、うたってるのは。それしてもこの変わり様は一体?とうとうカラオケに目覚めちゃったのかしら、やっぱりカエルの子はカエルである。

そのうち「おっきいおふねのうた、うたう。どこ?」と何度も私にきいてくる。変だなあ、そんな歌なかったけど。「こーやって。」とボートをこぐ動作。ん?
「もえちゃん、おふねの歌って誰が歌ってたの?」「ぱぱ」。
それでやっとわかった。ダンナの十八番の「兄弟船」。鳥羽一郎である。
先日、ダンナが例によってこれを披露した時、会場が湧きに湧き、全員で「えんやーとっと!」等と船をこぐ動作をしながら盛りあがったのを覚えていたらしい。
娘はお祭り騒ぎが大好きである(これもダンナの血だろう)。試しにかけてみたらド演歌が流れている間中言葉尻だけ真似しつつ、なんとなくついていっていた。
なのに終わるとつまらなさそうに「もえちゃん、これしらない。」今歌っとったやん。

普段、娘が歌っているのを聞いていて「これはかなり上手いのでは」等と親バカらしく感心していたのだが、始めてマイクを通して聞いた娘の歌声は、
笑いが止まらない程、へたくそだった。
最初は「つぎはなにうたう?」と言いながら私にキッズソングばかりかけさせていたのに、私がJ‐ポップスを一曲歌って以来、「次はもえちゃんなにうたおっか。」と
言うように。「下手なくせにマイクを離さない奴」。。。一番始末に悪いタイプである。

3月27日(水) "BUNKO"

朝ダンナを大学に送ってから娘と一緒に買い物へ。食料以外にリボンや画用紙等、買わなければならないものが多岐にわたっていたためモールをはしごした。
実は4月2日に、以前ドタキャンしてしまった「日本文化紹介」の企画がまた別の小学校で持ちあがった。今回こそは参加しようと、再び「書道」グループに
入れてもらったのだ。前回Eちゃんママの発案で参加者全員につくっていった「しおり」が好評だったらしいので、今回も同じものを作る事になった。グループのメン
バーは多少変わったものの、デモンストレーションの内容を前回どおりにするなら今回は準備もスムーズに進みそうである。

買い物に出ると何もかもが珍しくてついつい長居してしまう私。自宅に戻った時はもう2時をまわっていたので、3:30からSachem内の公園であるPlaygroup
にいくのはやめにする。今日の夜は"BUNKO"参加のためにダンナに娘をお願いして外出するので、夕食をつくっておかなければならないのだ。

バタバタと用事をすませ、7時前にK君ママに迎えにきてもらっていった先は"BUNKO"クラブのリーダー(?)であるMaryannという女性の自宅。大学からは多少
遠い(といっても30分程度かな)が、2bedroomsに地下室もある3階建ての素敵な一軒家であった(余談ですが、アメリカ人はお宅にお邪魔すると家中を案内
してくれます。人のお家を見せてもらうのが大好きな私にはこれがとっても楽しみ。ドイツ人もそういう人が多かったです)。
さて、肝心の"BUNKO"ゲームだがK君ママにざっと説明してもらったところによると、「サイコロを3つ使ったしごく単純なギャンブルゲーム」といったところだろうか。
あちこちで4人単位のグループが卓を囲み、ぺちゃくちゃとおしゃべりしながら順番に3つのサイコロを転がしているその様子は、いわば「女性マージャン」のよう。
マージャンとは違って本当に頭を使わないし、ギャンブルとはいっても1人あたりの参加費$6が勝者4人に分配される程度なので、参加者達はゲームだけでなく
皆とのおしゃべりも楽しみで集まっているようだ。今宵の私の成績は「可もなく不可もなく」。最後の賞金には色んな項目があるのだが、そのどれにもひっかから
ないような特徴のない結果だった。

それよりも今日改めて実感したのは「自分の英語力のなさ」。K君ママと私以外の参加者は皆アメリカ人ばかりだったのだが、彼らの通常の会話スピードで
次々とジョークを交えながらリズミカルに話題が変わっていく中、私だけがなんのテーマなのかさえわからない時があるのである(K君ママはアメリカ留学経験に
加えてアメリカ系外資企業勤務も8年以上、TUCKに来る数年前からアメリカ在住。私にとってはアメリカ人同然だ)。
それでなくてもぼんやりとしか分からない会話の内容だが、ちょっとサイコロの目に気を取られるとまったく訳分からなくなってしまう。そんな時に突然、話を自分に
ふられた日には「ハァ?」と、アホ面で聞き返すのみ、"Sorry?"と英語でいう余裕もない。話し始めてから途中で肝心の単語を知らない事に気付き、言いたい
事がたくさんあるのに尻すぼみになってしまったり。1対1等の小人数ならゆっくりと自分のペースに合わせてもらう手もあるだろうが、この状況では。。。
集まっている人たち皆がとても感じのいい楽しそうな人ばかりなので、会話の全部が理解できないのがなおさらはがゆい。同じリズムで自分がしゃべる事までは
望めないが、せめて彼らペースの会話の内容を聞き取ってリズミカルにあいづちを打ったり反応したりするぐらいはできるようになりたい。

単純に「楽しかったぁ〜!」と思えるBUNKO‐NIGHTではまだまだないが、前向きな姿勢が萎えてしまわないように今後もなるべく参加したいと思う。

3月26日(火) Easter Party

朝9:30にSachem 11/12へ。新学期初のPlaygroupは通常とはちがって"Easter Party"という企画。「子供1人につきお楽しみの入ったEaster Egg10個、
その他に子供用のお菓子を持参して」との事だったので、買っておいたカラフルなプラスチック製たまごにキャンディーやラムネ等を詰めて持っていった。

ちょっと早めに着いたので、Playgroup幹事のTracyとMonicaが会場をセッティングするのを手伝っているうちに、ママ&キッズが次々と入ってきてサイドテーブルも
お菓子で一杯になった。案内メールには「Snack」とあったので私は安易に買ってきたクッキーを持参したのだが、手作りのケーキやゼリー等を持ってきた人が
意外に多かった。何度かこのようなパーティーに参加して気付いたのだが、アメリカ人ママ達のホームメード・ケーキはスーパーに置いてある甘いだけの「激マズ」
ケーキと違ってしっとりとやわらかく、甘さも控えめ。とても美味しい。
会場がにぎやかになった頃を見計らって幹事たちが全員のEaster Eggを回収、子供達が中で遊んでいる間にハウス前のいろんな場所に隠し終わると、
いよいよEgg Huntの開始である。子供達の年齢は様々なので、まず年少の1、2才児からスタート。かごを持ってママ達と一緒にハウスの外へ。
隠す、といっても、葉っぱがあらかた落ちている茂みの下や多少残っている雪のくぼみの中である。子供達があちらこちらでカラフルに目立っているたまご達めが
けて嬉しそうに走っていく姿は実に可愛らしく、楽しそうだった。年少組が終わってから3才以上の子供達用にちょっと見つかりにくい場所に卵を隠す。たまごを
見つける事自体が楽しくて仕方がない子供達のために、1度ひろったたまごをまた隠してあげたりしているうちに、あっという間にお開きの時間になってしまった。

Party終了後、エクアドル人女性のGabi宅にEちゃんママ、Claudiaと一緒にお邪魔する。GabiもClaudiaもSachem内タウンハウス(2階建て・2bedroom)に
住んでいて、Playgroup後はよくどちらかの家にそのまま流れてお茶とおしゃべりを楽しんでいるらしい。娘も子供達の人数が少なめのほうがいつもの調子が出る
らしく、言葉が通じないなりに他の子供達と遊んでいる。ふと見ると、もうすぐ4才になるClaudiaの息子のFabianと並んで座り、彼の肩を抱いている。
そりゃ逆だよ。

午後から降りはじめた雪が止まないので、7時から参加するはずだった"BUNKO"ゲームが明日に延期になった。夕食の用意も終えていたので、午後につくり
そこねた「はちみつパン」を焼いてみる。秤がないので目分量、しかもパンを焼くのはこれが初めてだったわりにはまあまあ美味しく焼けた。近いうちに秤を入手
してパンづくりを始めてみようかな。

3月25日(月) 春学期スタート

とうとうダンナの新学期も始まった。始まった、とは言っても今日はRegistrationのみ。本人は午後にやっと起きてきてのんびりと昼ご飯を食べ、3時頃大学に
行って30分ほどで授業の登録等を済ませてきただけである。ホッケーやカラオケ等のイベントがある時は風邪をひいていても元気なのに、今日のようにのんびり
した一日はなぜか咳ばかりして元気のないダンナである。
登録を済ませて帰宅したダンナと一緒に家計口座のあるFLEET BANKへ。やっと私用の2枚目の口座カードを申し込みを済ませる事ができた。再渡米して
から1ヶ月半、よく小切手も口座のカードも持たずに行動してきたものである。車という「足」があるとお札が一枚もない状態(しかもアメリカのお札の最小
単位は$1だというのに!)でも結構動けちゃうのだ。もっとも食料の買い出しに行こうとしてもダンナが帰宅するまで行けない、という事もしょっちゅうであったが。

銀行を出た後、文具を買いにDartmouth Bookstoreへ。ついでに児童書コーナーを物色し、娘に身近な物の写真と英単語が入った本を1冊購入。
去年年末に一時帰国したダンナがお土産に買って来てくれた絵本以来の英語本である。もっと自宅で英語に触れさせてあげれば、英語の環境にも早く
馴染めるかもしれない。写真を見ながら「もえちゃん、これapple。」「。。。りんご。」「これはcat。」「ねこちゃん。」「これはdoll。」「おにんぎょさん。」
翻訳しろってんじゃないんだってば。
子供の身の回りの単語とはいえ、魚の群れ="school of fish"等、私でもへえ〜、という項目がいっぱい。ママも勉強しようっと。

本屋の帰りに早速銀行の仮カードをATMで使ってみたが、なぜかお金が引き出せない。自分はさして困らないダンナ、銀行に戻るのも面倒くさそうである。
私が頼まなかったのでそのまま帰宅。ま、小切手は使えるはずだし、1週間で本カードも到着するはずだからいいか。
どこにもいかなかったとはいっても、スキー等で結構お金も出ていった春休み。今日からはまた財布の紐もしめていかなきゃ。

3月24日(日) E-カラ Party

今日は夕方6時からダートマス医学部の博士過程に在籍するS氏、TUCKクラスメートのI氏とT内氏を夕食にご招待。買い出しは昨日済ませてあり、他の
用事も入れていなかったのでのんびりと家の掃除や夕食づくり等、お迎えの準備をする。
S氏は去年8月に以前のアパートにご招待したきりご無沙汰していたので、先日お貸しした「E-カラ」のカートリッジを返してもらいがてら夕食にご招待。そして
クラスメートのI氏ご夫妻には私が一時帰国していた間、ダンナがなんども夕食のお世話になっている。来週一杯まで奥様が一時帰国し、「にわか男やもめ」
になったI氏にもこの機会に恩返しをする事に。ダンナの悪友T内氏(独身)も先日日本からHanoverに戻ってきたのでお誘いした。

「E‐カラ」なる商品、私は今までその存在を全く知らなかったのであるが、Hanover日本人コミュニティーでは実に重宝されているようである。様々な曲の入った
別売りのカートリッジをマイクに入れ、テレビに接続すればそれでカラオケが楽しめるという「タカラ」製のおもちゃ。おもちゃとは言ってもその品質はなかなかだ。
TUCK生よりもHanover在住の長いメディカル関係の日本人コミュニティーでは、共有資産として年月をかけて集めたカートリッジも3〜40本ほど。
ダンナの提案により、昨年末にTUCKでも共有資産としてマイクとカートリッジ10数本を購入、以来メディカルの方々と一緒に、または互いに貸し借りしながら
日本の伝統文化(?)を楽しんでいるらしい。
カラオケ好きが大勢集まって「カートリッジを返却」するだけで終わるはずもなく、夕食後の我が家はE‐カラ会場に一転。お隣のI氏夫妻も巻き込めばこわいもの
なしである。夕食の間見ていた「アルプスの少女ハイジ」のビデオを大人達に途中で切られてしまった娘だったが、「キッズソング」カートリッジ内の豊富な童謡
ラインナップにあっさりと懐柔される。J-ポップスの曲達の合間に時折キッズソングが入ってしまうのは子供付きのカラオケパーティーでは仕方のない事よね(笑)。

深夜にダンナのもう1人の悪友T氏(独身)が、日本から戻ったその足でお土産を渡しに立ち寄ってくれた。何も知らずに来た彼も、問答無用で酔っ払い軍団に
巻き込まれるハメに。始めは夜のホッケーの練習までのはずだったカラオケだが、時間になって抜けたのはT内氏のみであった。さて、ダンナが居残ったのはホスト
としての責任感からだったのか、単にカラオケに取りつかれたからだったのか。。。
際限なくカラオケが続く中、隣の寝室で平気でグーグー寝てしまった娘もあっぱれであった。

春休みも気がつくと今日で終わりである。体調を崩していたわりには色々と楽しんだような、でも万全のコンディションだったらカナダやボストンにも行っていた
はずなのがちょっと残念のような。そんな事をつらつらと考えながら夜中の3時頃まで続いた春休み最終日のにぎわいであった。

3月23日(土) Potluck Party

夕方、"Stern's Quality Products"というお店に買い出しに行く。このお店はハノーバー在住の日本人達にとっては非常に有り難い存在。ここらのスーパー
では入手できないニラ等の食材が安価で買えるという話なので、早く行ってみたいと思っていた場所の一つだったのである。
K君ママに場所を聞いて行ったお店は、本当に小さなほったて小屋もどきの八百屋。野菜はどれも新鮮で、この辺りでは一番新鮮な食材を置いている
CO‐OPでも買う気になれなかった大根もちゃんとしている。値段もスーパーより圧倒的に良心的。初回の今日は試しにいろんな食材をちょっとずつ買った。

夕方からはSachem 11/12のPotluck Partyに参加。今日の主催者はClaudiaというSachem住人のママ友達である。会場に行ってみると、Playgroupによく
出てくるママ達とそのご主人・子供達が大勢集まっていた。ご主人達も、1学年200人前後しかいないTUCK生同士なのでお互いに顔見知りの場合が
ほとんどである。
テーブルに並んだ様々な料理・ケーキ等を「これ、誰がつくったの?」等と食べ歩きながらおしゃべりを楽しみ、娘の相手をする。外国人にも大分慣れてきた娘
だが、大人&子供がいっきに大勢集まる場所になるとまだ拒否反応を示してしまう。Eちゃんが「あっちで皆と遊ぼう」と誘ってくれても「いやっ!」と、ママべったり
になるのである。
持参したドライカレーはパーティーが終わる頃にはほとんどなくなってくれた。山のような野菜をみじん切りにした甲斐があった。

3月22日(金) スキー

今朝は親子そろって早起きし、朝9時過ぎには自宅から車で40分程度のところにあるDartmouth Skiwayに到着。今日はダンナと私が1時間交代で娘の
遊び相手&1人スキーを楽しむ事にした。おにぎりやお菓子、お絵かき道具に絵本と、万全の準備をしてきたのである。
スキー場は大学所有の小さなものでリフトは2本のみ。ロッジが両リフトの間にあるので、どちらのゲレンデもロッジの中から見えるようになっている。
娘と一緒に「ほら、パパが降りてきたよ。」とダンナが滑る様子を眺め、手を振って合図をする。自分が滑っている時は滑り終わると窓の中の二人の姿を確認。
一日早いリ・オープンを知っている人が少なかったのか、ロッジもゲレンデも人は数えるほどしか見当たらず、どのコースを滑っていても全く人に会わない。
空気は冷たかったがその分雪のコンディションもよく、空は雲一つない快晴。結局3時過ぎまでにダンナが9本、私が7本滑った。子連れとしては御の字だろう。
当日リフト券はなぜかスペシャル価格の終日15$。全てにおいて満足のスキーであった。

一日スキーをして帰宅してもまだ外が明るい。のんびりと夕食を作りながらリビングで娘の相手をするダンナと他愛ない会話をかわす(春休み中はダンナも意識
して家事や娘の世話をかってでてくれているようだ)。家族としてのささやかな幸せの時間である。
火曜からは再び春学期がスタートし、ダンナも勉強漬けの生活が始まる。6月半ばからの長い夏休みも、ダンナは期間一杯、日本でのサマーインターンが
入ったので家族一緒に過ごせる時間は限られそうだ。そして来夏にはもう卒業・帰国。再就職したらダンナは恐らく深夜まで働く生活に戻るだろう。
そう考えると尚の事、今の時間が貴重でかけがえのないものに思えてくる。

3月21日(木) そり遊び&Shopping

昨日の夜が早かったので今朝は自然と早起きに。ダンナが起きてくる前にスキーウェアの用意をし、洗濯をすませ、朝食をとる。娘も珍しく早めに起きた。
Eちゃんママから電話があり、ダートマススキーウェイが一日繰り上げて明日リ・オープンするという朗報を聞く。これで今週はスキー三昧になりそうである。
が、肝心のダンナ。ダンナが起きてこないのである。娘に朝食を食べさせ、HPの更新をしながらさらに待つ。
結局ダンナが起きてきたのは11時半。子供連れでは何かと時間がかかるから行くなら朝から、と言ってたのはダンナだったのだが、着替える様子もなくのんびり
している。「今日はスキーに行くのをやめて明日ダートマスに行く?」と言ってみた。意外にも返事は「そうしよっか。」やはり眠気には勝てないらしい。
しかし、朝からすっかりお出かけ気分になっていた娘はそうはいかない。朝食後、ダンナが家の前に娘を連れ出し、私はその間に家の掃除を完了。

今日はスキーの代わりにそり遊びをしようとOCCUM PONDの隣の丘へ。昨日一日ですっかり深い雪景色に変わってしまった丘だが、気温はそれほど低くない
ため、かなり水分を含んだ雪のようである。「明日のスキーはパウダースノーにはならなさそうだね。」等と話していて思わず苦笑。最近ダンナと天気の話ばかり
しているような気がする。ウィンタースポーツの盛んなハノーバーでは、天気や雪の話は会話のきっかけではなくメイン・テーマの一つなのだ。特に冬も終わり間
近のこの時期になると、ちょっとした気温の変化にも一喜一憂してしまうのである。
ここ数日ですっかり雪には慣れた娘だが、やはりそりには頑として乗らなかった。「まますわって。もえちゃんし(ひ)っぱってあげるから。」とのたまう。仕方がない
ので、ダンナと私が交互にそり遊び。娘はそりに乗るぐらいなら深い雪の中でもせっせと歩くのであった。

夕方から久しぶりにショッピングモールへ。買い物の前に本屋の"BORDERS"内にあるカフェに入る(この辺りには「喫茶店」というものが本当に少ない)。
スモールで頼んだ私のカフェラテも大きいが、ダンナのエスプレッソなんて日本のコーヒーより大きいぐらい。ケーキを1個ずつ頼んでしまったのは失敗であった。
ダンナは全部食べて胸焼けを起こし、わたしは半分お持ち帰りに。めったに外食しないのでアメリカのサイズの大きさをつい忘れてしまう。
カフェを出て同じモール内の"ONE DOLLAR SHOP"を探検。「ダイソー」ほどではないものの、おもちゃ、食器や洗剤等の生活雑貨がひと通りそろっていた。
今後もお世話になりそうなお店である。
道草ばかりして遅くなってしまったので、あわてて食料の買い出しを済ませて帰宅。スーパーでさえもまだまだ見ていないコーナーがたくさんある。まだまだ買い
物には必要以上に時間がかかりそうである。

3月20日(水) スキーデビュー

12時頃、幼稚園のお迎えの帰りに直接Eちゃん母子が我が家に到着。2台でOkemoに向かってSachemを出発した。一台でワイワイ行ける方が楽しいの
だが、スキー板を入れるためにトランクスルーを使うとスペースがなくなってしまうのだ。
出発直前に雪が降り始め、道程半ばまでの間には除雪車が出動する程に。徐行しつつやっとOkemoに着いた時点で既に2時。リフトは4時で終わりだ。
マイスキーを持っているEちゃん母子、シーズンレンタルをしているダンナに待ってもらって私のスキーセットをレンタルする。$22。持ってこられた板をみて、「これ、
短くない?」と聞くと、「あなたの身長・体重で貸せる一番長い板がこれだ。」と言われた。確かに私は小さいけど日本ではもっと長いのを借りれたゾ。
他の人を見ていても大男が私より短いのをはいていたりする。Eちゃんママによると、こっちでは短い板が流行っているとか。

リフト券、スキーとやっと全てそろったものの、2、3才児を2人も連れていては最初のリフトまで行くのも一苦労である。早く滑りたくてうずうずしているダンナに
隣で待たれるのは精神衛生上悪いので、「先に一本滑ってきて」というと「。。。いいの?。。。すぐ戻ってくるね。」と言いつつ、すっとんでいった(笑)。
やっとEちゃん親子とリフトまでたどりついたものの、「子供もスキーをはいていないと乗せられない。」と言われてしまい、私と娘はあえなくドロップアウト。
寒さ嫌い、雪嫌いの娘にはまずスキー場に慣れてもらおうと思ってレンタルしなかったのだ。
Eちゃん達にいってもらい、私と娘はリフトの下のなだらかな場所で娘を足の間にかかえてゆっくり滑ってみる。抵抗するどころか「もいっかい。」と催促。とはいえ、
めちゃめちゃ怖がりの娘、最初が肝心なのでスピードが出すぎないよう注意しながらゆっくりと滑る。
そうしているうちにEちゃん達が降りてきた。ダンナは一向に戻ってこない(後で聞いたら迷って山頂までいくしかなかったらしい)。Eちゃんのスキーを借りてリフトで
上に上り、さっきと同じ要領で娘と滑り出す。先ほどよりはスピードが出てしまうし、顔に降りかかってくる雪も冷たい。初めてのスキーデビューでこんなコンディ
ション、好きになれという方が無理というものだ。「ぱぱにあいたいよぉ〜!!」と大泣きの娘を足の間にはさみ、何度も止まりながら滑り降りていく「チマいの」
(アメリカ人から見たら私自身、子供にしか見えてない)への視線を感じつつ、ひたすら下を目指して滑り続ける私。
なんとか下に到着してEちゃん達に再会、やっと降りてきたパパも合流すると娘も元気を取り戻した。ダンナに娘をお願いし、今度は私1人でリフトに。
1人でスピードを出して滑りはじめてみると、激しく降りかかる雪で視界はゼロに近く、顔が痛くて滑り続ける事もできないほどである。ゴーグルもマスクもないまま
滑っては止まり、滑っては止まり。。。周りを見ても、立ち止まってうつむく人達。こんなに辛い思いをしてまでなぜ滑る?と、思わず自問する瞬間である(笑)。
たった2本滑っただけなのにもういいや、という心境。ロッジに戻っていたEちゃんママとダンナとバトンタッチし、リフト終了前の最後の一本を滑ってきてもらう。

帰り道は吹雪の中を来る時以上の徐行。それでも2度もスリップして車のテールが揺れたりと、緊張しっぱなしのドライブであった。途中、前方で動けなくなった
車4台のために30分以上足止めされた事もあり、1時間で帰れる道程を2時間半以上かけて8時過ぎにようやく自宅に戻る。
買い出しの時間もなかったので作りおきしていたミートソースでスパゲッティを作り、冷凍ピザとインスタントスープにワインで「お疲れ」ディナー。ワインを飲みながら
ダンナはインターネットで天気予報をチェックしている。「明日は雪もやむんだって。絶好のスキー日和だね。Ascutneyに行ってみる?」全く懲りていないらしい。
夫婦そろってほろ酔い気分で10時には早々に就寝。

3月19日(火) スキー。。。ならず

朝8時半にI氏宅前に到着し、車2台でダートマス・スキーウェイへ向かった。
実は昨日スキー場のHPで確認したところ、"May 23rd re-open"とあったので営業していないのではという気もしていたのだが、「こんなに雪が降ったんだから
絶対開けるでしょ。」という、「超」希望的観測に基づいて出かけたのであった。
到着してみるとリフトは全て止まっており、駐車場もCLOSED。やっぱりね。。。休みと決まっている日の前日に雪が降ったから急きょ営業する、なんてフレキシ
ビリティーを期待する方が間違ってるって。
ダートマススキーウェイならI氏とダンナはシーズン・リフト券を持っているし、レンタルスキー等の料金も良心的な設定になっている。そのため近隣にスキー場は
色々あれど我が家はダートマススキーウェイ、というつもりでいたのだが、一旦スキーモードになってしまった男性陣は久しぶりのパウダースノーを目の前にして
とても諦める気になれないようである。とりあえず一旦解散、自宅で他のスキー場のHPを検討して午後出かけようという事に。

私と娘は23日のダートマス・スキーウェイのリ・オープンに期待して今日は我慢する事にし、ダンナは午後に再びI氏とAscutney Mountainに出かけた。
せっかく一般のスキー場に行くのに交代で娘のおもりでは二人分のリフト券と私のレンタルスキー代のもとがとれないもん。ここでダンナに恩を売っとこ。
かくしてお留守番となった私と娘は一緒にホットケーキを焼き、ダンボールハウスを完成させ、本やビデオを見ながらのんびりと自宅でくつろいだ。おととい入手
したスペイン語のテキストもようやく覗いてみる。

6時前に帰ってきたダンナは営業時間一杯スキーを楽しんできたらしい。「パウダースノーでキュッ、キュッって音がするんだよ〜。」とご機嫌であった。
どこから聞いてきたのか、Okemo Mtn. Resortという自宅から1時間近くのスキー場では水曜が「NH州&バーモント州の住人は半日リフト券$19」というスペシャ
ルデーだとか。それなら、と明日はボストン行きをとりやめ、一家でスキーに予定変更。
夜、旅行から帰ってきたEちゃんママから電話。母子も一緒に明日のスキーに同行する事になった。娘もEちゃんと一緒ならスキーをする気になってくれるかも。
いよいよ私と娘もスキーデビューだあ。楽しみ、楽しみ。

3月18日(月) 免許取得 

前日は夜中の3時までダンナとマニュアルを勉強し、当初の予定より1時間遅い9時に自宅を出発。家を出る直前からちらちらと降り始めた雪は、Concordへ
向かう間にどんどん激しくなり、一時は前方がよく見えないほどの吹雪に。「こんな状態じゃ実技試験なんてできないんじゃないの。もし中止になったらせっかく
だからボストンまで足をのばして日本食料の買い出しをしてこようか。」等と相談しているうちに、目的地であるDepartment of Motor Vehicles に到着した。

窓口で日本の普通免許にあたる"Operator's License"の申請手続きを済ませる。まずは筆記試験だ。 娘を連れていけないので夫婦交代で受ける事に。
筆記試験セットを持って小部屋に入り、全20問の試験を回答し終わったら窓口に提出。その場で採点され、二人とも合格する。あれほど勉強したマニュアル
だったが、巻末の問題集にあったような細かい数値を問う設問はほんの一部であり、ほとんどの設問は常識の範囲内で解けそうなものだった。

さて、後は実技試験である。筆記試験を先に済ませたダンナがまず受ける事にし、指示された場所に車を止めて試験官の到着を待った。が、いくら待っても
誰も来ない。指示された場所に間違いがない事を確認しつつ、ひたすら待つうちになんと1時間近くが経過。その間に順番がまわってきたのはかろうじて2台
のみという超スローペースである。見ているとどうも試験官は1人のみで、しかも一台終わるたびにしばらくどこぞに消えていくのだ。
やっと次はダンナの番、という時にまさしく昼食タイムとなり、やはり試験官は再び消えていってしまった。いつもどるのかも分からないまま、アイドリングさせた車の
中でひたすら待つ、というこの不親切な状況にアメリカ人はなんの疑問も感じないのだろうか。
待ちに待った試験官が到着してからもひともめ、ふたもめ。「日本の免許(国際免許ではなく)がないと実技試験は受けられない」と来た。何、それ。日本語
では海外で通用しないから国際免許を申請したんでしょうが。日本の免許を携帯していないダンナは「事前案内には一言も書いてなかった!」と強く抗議。
ダメだしをくらい、あきらめきれずに財布の中を探してみたら運良く見つかったので一件落着。
しかし今度は「ご主人の試験が終わっても、奥様は列の最後尾に並びなおしてくれ」である。その時点で順番待ちの車は10台近くに増えていた。車が一台
しかないから前後に並べないだけなのに、一番最後にまわされるなんてどう考えてもおかしい。これも強く抗議したが全くだめ。結局ダンナの試験が終了して
からあらためて列の最後尾に並ぶはめになった。夫婦そろって「FUC○!」と叫びそうになるのをこらえつつ、最終的には実技も無事合格。

会場で待ち合わせたI氏も無事免許を取得し、手続きを終えてから近くのお店で遅いランチをとる。
最近は例年では考えられないほど暖かい日が続き、雪もすっかり溶けてしまっていたところに今日の吹雪である。諦めかけていたウィンタースポーツへの期待が
再びふくらむダンナとI氏。「明日の朝一番ならできるんじゃないですかねぇ。」と早速スキーの約束。
あれ、我が家は明日ボストンに行くはずじゃなかったの?でもいいや、私も誘ってもらえたから。明日も早起きである。

3月17日(日) 一夜漬け 

今日は実家の父の誕生日だったので、午前中に久しぶりの国際電話をかける。
実家の母とは通常はメールでのやりとりなのだが、2月半ば頃、母の加入しているプロバイダーから私の加入しているAOLへのメールが一切届かなくなって
しまい、目下両プロバイダーに調査を依頼中。未だ解決していないため、何かと不便な思いをしている今日この頃である。
久しぶりに「ばーば」と話した娘は、電話を切った後、「Barney」ではなく「しまじろう」のビデオを見ると言い、ビデオの中で実家に置いてきた「しまじろう」の
おもちゃを見つけると「ぱぱのあめりか、いかない。ひこーきのってばーばのおうちへかえる」とひとしきり言いはる。「飛行機に乗るにはお金がたくさんいるんだよぉ。
ママ、今お金持ってないんだ。ごめんね。」というと、「まま、きのうおかいものいったとき、おかねもってたでしょ。ひこーきにおかねをいれてばーばのおうちにいく」。
Walmartにある50セントで動く自動車と同じ感覚の様である。

明日はいよいよConcordへ運転免許を取りにいく日だ。ダンナは今日も寝坊。今のうちに一部しかないマニュアルを読みながら巻末の問題集を埋めていく。
飽きる。昨日やっと入手したスペイン語のテキストをちょっと覗いてまたマニュアルに戻る。飽きる。昨日買ってきた接着シートを使ってダンボールハウスの続きを
作ってみる。再びマニュアルに戻る。更新していなかったHPのダイアリーを書いてみる。
結局、勉強をやりたくないのである。中学の頃から試験直前になると部屋の片付けを始めたりしていた。相変わらず同じ事を繰り返しているとは情けない。
ダンナが起きてきてから二人で問題集を埋める作業を続行。これも試験直前の図書館での勉強会さながらである。もしやと思って聞いてみると、大学時代、
ダンナは典型的な「ノートのコピーをもらう奴」だったらしい。私もダンナほどではないものの、基本的にはあまり変わらなかったかも。最悪の組み合わせだ。
果たして明日の筆記試験、どうなることやら(私は実技もそれ以上に不安なのだが)。

3月16日(土) テニス 

午前中、ダンナが寝ている間に娘にビデオを見せながら「NH州運転マニュアル」を読む。昨日ダンナがI氏にコピーさせてもらったのだ。I氏とは月曜に一緒に
免許を取りにいく約束をしている。今から勉強して間にあうのかな。。。

ダンナが起きるのを待ってから今夜の約束に備えるべく、テニスラケットとシューズを買いにショッピングモールにでかける。
West Lebanonに集中しているショッピングモールにはAmes、K‐mart、Walmartと、3つの大型スーパーがあるのだが、AmesとK‐martがここ半年間の間に
相次いで倒産したため、今はWalmartの1人勝ち状態である。倒産した2社も更生法が適用されたので実際には営業しているのだが、倒産した途端に
品揃えが悪くなってしまったため、すっかり人気がなくなってしまった(週がわりで様々なセールを企画してくれるので私は結構好きなんですが)。
Walmartのテニスラケット売り場を物色。Prince、Wilson、Headのラケットの中から色々と迷った結果(という程の選択肢はないが)、夫婦揃ってWilsonを選ぶ。
ガットも既に張った状態で一本 $18。大学時代にテニスをしていた頃は、ガットの強さはどのぐらいにしようか、ラケットのどこに錘をつけようか等、それなりに
こだわった時期もあったはずなのに。今では腕前の方もすっかり安売りのスーパー並みである。

自宅に戻り、夕食のシチューを先に作っておいて6:30の約束に間に合うよう、家を出る。メンバーは昨日と同じI氏、S氏、ダンナと私。今日は見るだけでなく、
1時間半の間、3人ずつ(1人は娘のおもり)でテニスを楽しんだ。途中、試しに4人でコートに入ってみたが、やはり娘もコートに出てこようとするので断念。
あと1人探して次回は4人で打てるといいなあ。

3月15日(金) 買い物 & テニス 

ダンナは今日もあまり体調が良くないらしく、なかなか起きてこない。対して娘は咳がほとんど出なくなってきた。ダンナにお願いするよりは、と娘をつれて
ショッピングモールに買い出しに行く。
3時頃家に戻ると、今度はダンナが雑務を済ませに大学に行くという事で車をバトンタッチし、私は買ってきた接着シートで娘のおもちゃ作りにとりかかる。
先日購入したソファーベッドが入っていたダンボールが大きくて頑丈だったので、接着シートを貼っておうちを作ってあげようと思い立ったのである。
ドアと窓をカッターで切りぬき、接着シートを貼って見栄えを良くする。普段は折りたたんでおけるので狭い我が家にはありがたい。残念ながら接着シートが
途中でなくなってしまい、シート貼り作業は半分までとなったが、ハート型の窓まで入った形だけはいい感じのハウスになった。

7時頃大学から戻ったダンナが「今日テニスやる?」と聞いてきた。I氏とS氏が夕食後に室内コートを予約しているという。「俺、もえちゃんと一緒に見てるから
やったら?俺やらないから」体調が悪いからかな?本人はやるつもりはないらしい。
こちらではテニスラケットが$20以内で入手できるというので、年季の入ったボロラケットは日本に置いてきた。コートに行く前にモールによれば買えるだろう、と
あわててシューズとウェアを探す。ウェアは見つかったのだがなんとシューズがない。どうやら日本に置いて来てしまったらしい。ラケットもシューズも、となると、
あわてて買っては失敗してしまう。「やっぱりまた別の機会にする。」とダンナに伝えると、「あ、そう。。。。じゃ、俺やってきてもいい?」。

ダンナのウェア・シューズは持ってきていたので、ラケットは借りる事にして、夕食を済ませてから親子3人で出かける。予想以上に立派な室内コートはなんと
1時間$4である。I氏、S氏とダンナのラリーを娘と私はコートサイドで見物。初めてみるテニスに娘も興味深々であった。
帰り際に翌日の夕方分のコートを予約。明日は私もシューズとラケットを買いに行こう。

3月14日(木) カウチ族

親子3人そろってゴホゴホと咳をしながら自宅でカウチ族の一日であった。とはいえ、娘の咳は多少快復してきているようである。

午後、ダンナが運転免許試験のためのテキストをもらいに事務所に行ってきた。しかし残念ながら事務所は月曜までお休みとの事。
ダンナも私も渡米前に日本で申請した国際免許をまだNH州の免許に書きかえていない。NH州は国際免許が認められず、長期滞在者は筆記試験と
実技試験を受けてNH州の免許を取得しなければならない事になっているのだ。昨年9月のテロ事件以前はWest Lebanonで受けられたのだが、事件以降は
NH州の州都であるConcordまで受けにいかなければならなくなったので、春休み中に取りにいこうと話していた。ダンナはクラスメートのI氏と「月曜あたり」
と打ちあわせていたようだが、テキストが入手できなければどうにもならない。
春休みの他の予定として、ボストンの日本食料品店に日帰り買い出し、そして2泊ほどカナダに旅行、と考えていたのだが。はてさてどうなることやら。
3月25日が春学期の授業登録日。楽しみにしていた休みも、気がつくとあと10日で終わってしまうのである。

3月13日(水) 病院へ

娘の微熱と咳がなかなか全快しないのが気になるので、午後に病院へ連れていく。診察の結果、心配していた肺や気管支の炎症はないとの事だったが、
右耳の内部が感染症で赤くなっているそうだ。抗生物質を処方してもらった。
なぜか病院に連れていくと決めた日に限っていつもより元気で熱もない娘だが、油断は禁物である。「タイレノール」はすごく嫌って苦労したが、今回の抗生剤
は機嫌良く飲む。抗生剤は症状がなくなっても7日間、一日3回飲ませなければいけないので助かる。

処方された抗生剤と一緒に、小さな計量カップ3個と目盛り付きの注射器(針なし)が3本ついてきた。試しに注射器の目盛りを見ながら薬を吸い出すと、
これがなかなか使いやすい。子供の時からおもちゃとしての注射器には憧れがあったので、なんとなく楽しい気分である。
しかしなぜ3個ずつ?一日3回、洗わずに薬をあげられるから?ずいぶんもったいない事をするものだ。一本はお風呂の時のおもちゃにしよう。

昨日のホッケーの練習後、ダンナはK氏より預かった本を持って帰ってくれた。先日、K氏の奥さん(Eちゃんママ)が取りまとめをしてくれて、日本人パートナー達
の何人かがアマゾン経由で日本の本を注文したのだ。我が家は娘に絵本を4冊、私の料理本を1冊。娘はとっても喜び、午前中に全ての本を数回ずつ
読んであげた。外出を我慢させている時だけに、とても嬉しいタイミングである。Kさん、Eちゃんママ、旅行直前の忙しい時にありがとうね。

ダンナは夜、S氏宅での飲み会に呼ばれていたのだが、体調がすぐれないのでキャンセルして早々に就寝。私も朝から咳が再発。病院に連れていった娘が
なぜか一番元気である。咳をしながらも、寝たがらずに遊びまわる。我が家はもうしばらく風邪にてこずりそうである。

3月12日(火) 今日ものんびり

火曜日は本当だったら朝の9:30からSachem Paygroupのある日だ。しかし春休みの今はPartners' Clubの数々の活動もお休み。今日も予定のない、
のんびりとした一日となった。TUCK生達の多くは帰省したり旅行にいったりしていて、Sachem内もいつもより閑散としている。誰にとってもやっと勉強から開放
され、つかの間ではあるが家族や夫婦で過ごせる時間である。
我が家もめでたくダンナが家にいるようになった。ただし起きてくるのは3時のお茶も近い午後遅く。すっかり夜型の生活が染みついてしまったらしく、母子とは
日本とアメリカぐらいの時差ができてしまっている。なんとかせねば。

我が家もせっかくの春休み、大きな旅行はせずとも親子で楽しむ予定である。が、実は娘の咳が相変わらず全快せず。夕方になると再び熱が出るように
なった。生まれてこの方、まともな病気もほとんどした事のなかった娘だが、今回はこちらの気候に馴染むのに苦労しているようだ。良くなったかと思うと
またぶり返すという感じである。大人の私やダンナでさえ、朝起きた時は喉がからからに乾いて痛いのだから、無理もない。かくして春休み前半は、「なるべく
外出せずに自宅で過ごす」というプランに落ちつく。本人が外に出たがるのが辛いところだが。

夜、ダンナは再びホッケーの練習に。あと少しでシーズンも終わりだと思うからか、何かに駆り立てられるかのような入れこみ様である。私もやっと娘のビデオ三昧
から開放され、字幕付きでテレビを見る。Sachem内はケーブルテレビを契約しなければ見られず、我が家で申し込んだのは下から2番目に安い料金タイプ。
それでも47チャンネルもある。今のところは子供チャンネルとインテリア関係のチャンネル、映画のチャンネルによくお世話になっている。
字幕付きで映画を見られるのは勉強になると思っていたが、会話が早いと字幕が消えるのも早い。最後まで読めないうちに消えてしまうのである。しかも
読む事に集中していると、悲しいかな音声が耳に入ってこない。挙句の果てに読んだ単語が知らない単語だったりすると、とどめをさされた気分である。
今更ながら英語の勉強、一体どこから始めたらいいのかしらん。。。

3月11日(月) のんびりとした一日

特に予定の入っていない今日は朝寝坊をするつもりだったのだが、娘に起こされていつも通りに起床。たまっていた雑事を片付けながら、家の中でのんびりと
過ごした一日であった。
ダンナは午後から大学へ行き、「TUCK日本人マニュアル」をほぼ完成させる。このガイドブックは合格者達の渡米準備の参考にしてもらおうと、上級生達が
Hanover暮らしに関する情報や体験をまとめた冊子である。昨年は私達自身、この冊子にどれだけ助けられたかわからない。今年の一年生がさらに手を
加えたマニュアルももうすぐ完成する予定だ。今夏渡米予定の合格者の方々、そしてパートナーの方々、あともうしばらくお待ち下さいね。

昨日組み立てたキッチンの棚の上に電子レンジを移動したおかげで、台所が格段に使いやすくなった。先日韓国料理教室で教えてもらった「ドングランダン」
を夕食に作ることに。キッチンが使いやすいと料理するのも楽しい。カタツムリ型電気コンロに大分慣れてきた今となっては、ここを日本の自宅のキッチンよりも
気に入ってしまっている。「ドングランダン」も美味しく完成した。

夜になるとダンナは再びホッケーの練習に。私は自宅で字幕付きの映画をみながらソファーでのんびり。ソファーとセンターテーブルが我が家に来てからは
リビングが本当にくつろげる場所になった。以前は書斎にこもりっきりだったダンナも、PCをリビングに持ってくる事が多くなったようである。

3月10日(日) そして誰もいなくなった

今日はO氏がロンドンに帰国する日である。遅めの朝食をすませてから、O氏はダンナと一緒に我が家を出発。娘は遊び相手の「しょーぐん」がいなくなって
淋しそうだった。二人は大学近くのDartmouthグッズのお店に寄ってからボストン行きバス"Dartmouth Coach"が出発するHanover Innの前で別れたそうだ。
帰宅したダンナはO氏からだというお土産を手に持っていた。娘には"D"マーク入りのセーターをきたトナカイのぬいぐるみ、私には"Dartmouth College"の
ロゴ入りフリースとTシャツ。未だにダートマスグッズを持っていない私にはとっても嬉しい品であった。
3人でショッピングモールへ。台所用の収納棚がセールになっていたのを入手した。帰宅後、ダンナは今までの睡眠不足を補うべく昼寝、私は娘の相手を
しながらPCに向かう。T内氏は8日に日本に帰国、T氏も9日の明け方に帰国。そして今日、O氏もロンドンに帰国し、我が家は再び親子3人の生活に
戻った。コーヒーを飲みながらのんびりとPCに向かう。お客様たくさんの賑やかな日々が去ってしまって淋しい気もするが、静かで穏やかな午後も悪くない。

棚を組み立て終わった頃にダンナが起きる。親子3人で夕食を食べた後、ダンナは夜ホッケーの練習に。私は娘をお風呂に入れてから寝かせた。
明日からはいよいよ親子3人の春休みだ。

3月9日(土) R君一家送別会

昨日、皆が解散した後も1人で5時頃まで起きていたらしいダンナは寝坊。早起きしたO氏に娘の相手をしてもらいながら、朝食を用意する。
途中、何度もダンナに声をかけるが全く起きる気配なし。ご接待はどうした、ご接待は。
ずっと私と娘の相手をしてもらうのも忍びないのでT氏が起きた頃を見計らって電話。今日は男性3人でボーリングの予定なので、早めに来てもらう事にした。
T氏に朝食、O氏に昼食を食べてもらっている間にやっとダンナが起床。飛び入り参加がきまったI氏もまもなく我が家に到着、男性陣は3時頃にボーリング場に
向かった。
私は娘とCO-OPへ買い物に。今日の夕食はまたまたPotluck Dinnerだ。TUCK2年生のKさん宅で、R君一家の送別会である。T氏、O氏には先にいって
もらい、ダンナ、娘と私は6時半頃Kさん宅へ向かった。Kさんは1人で一軒家に住んでいて、よくTUCKの1・2年生合同のパーティー会場になっているらしい。
会場には8月に会ったきりの1年生や初めてお会いする2年生、そしてそのパートナーや子供達で賑わいを見せた。私達もお料理やおしゃべりを楽しんでいた
のだが、娘が少し熱っぽいようなので、お先に失礼する。

娘を寝かせて間もなく、T氏とO氏、そしてIご夫妻が我が家へ。昼間のボーリングのバツゲームを敢行するためだとか。結局再び「大富豪」大会となり、
O氏と私が一発芸のバツゲーム。その後T氏とダンナがボーリングのバツゲーム(7日と同じSachemレーストラック一周)を実行してから解散となった。
今夜はちょっと早めの1時すぎ。

3月8日(金) Birthday Party

午前中10:00よりSachem 11/12 にて行われたMary Kateの"Snowman Birthday Party"に出席。Playgroupで行き慣れた会場にいってみると、
今日は色とりどりの風船が天井に浮いており(こちらではヘリウムガス入りの風船は子供のパーティーでよく見かけます。20個以上作れるヘリウムタンクが$18
程度。)、テーブルにはMary Kateの母親、Tracyが手作りした誕生日ケーキをはじめとするお菓子や飲み物が溢れている。いつもにもまして子供やママ
達が多く、会場はとてもにぎやかだった。
パーティーには特に司会進行があるわけではなく、会場のあちこちで子供達が自由に遊び、ママ(パパも二人ほどいた)達がおしゃべりしている、といった感じ。
子供達全員がやる遊びとして企画されていたのは、瓶につまったジェリービーンズの数当てゲームと福笑い。数当てゲームは、多分200個近くは入っていたと
思うが、なにせ0才〜6才までの子供達である。答えは3個〜210個までと様々であった(ちなみに娘は6個。)。
福笑いゲームは、壁に貼った雪だるまの絵(これが"Snowman Birthday Party"の意味だったのでしょう。例年だとこの時期はまだ大雪の季節なのですが、
今年はあちこちで地面が見えるほど雪がなくなっています)に、1人1人の名前を書いたオレンジ色のニンジン型の紙を目隠しして貼りつける、というもの。
お誕生日パーティーにはつきもののゲームらしい。4才の女の子が見事どんぴしゃりの位置に貼り付けて賞品をもらっていた。
突然誰かが言い出して、皆でハッピーバースデーの歌を歌って2本のろうそくをMary Kateにふき消してもらう。そしてまた誰かが言い出して、サイドテーブルに
山とつまれたプレゼントを開ける時間となった。TracyとMary Kateの二人が包装紙を次々と開ける場に子供達が集合しながら包みの中から出てきたおもちゃ
に歓声をあげている。
パーティーは1時間半ほどで終わり、11時半頃になると突然次々と親子達が帰り始める。こちらの人はPotluck Party等でも、引き際は実に鮮やかでさっぱり
している。特に終了時間が決まっている訳でもなさそうだが、人々は2時間程楽しむとさわやかに去っていくのだ。

自宅に戻ってからショッピングモールに娘と二人でおもちゃを買いに。英語でしゃべる電動のペンギンのゲームが$29から$9に。ついでに60ピースの木製の
積み木も購入。日本だと3000円ぐらいすると思うのだが、こちらでは$6である。

娘が就寝後、ダンナがO氏、T氏、T内氏と帰宅。今日はO氏にHanover暮らしを経験してもらうために朝からスキー、アイスホッケー観戦、アイスホッケーを
実際に体験と、スポーツづくしの一日だった彼らである(Hanoverには観光する場所が特にないのだ)。疲れ切っているはずの彼らだが、昨日と同様、3時すぎ
まで飲みながらおしゃべりやトランプ等を楽しむ。今日から我が家に泊ってもらうO氏は、途中でとうとうダウン。

3月7日(木) 忙しい一日

 7:00 起床。Potluck Lunchの準備。洗濯機をまわす。

 8:30 ダンナを大学に送る。今日がプレゼンテーションの本番。これが終わったら春休みだ!

 9:00 帰宅。夕食の下ごしらえ、洗濯物を干す。

10:30 R君宅でPotluck Lunch
          R君一家は短期の交換留学で来ているため、来週月曜にはHanoverを離れてしまう。買い物ができなくて前日の焼きなおしの一品になってしまいました。ごめんなさい。。。

13:30 ダンナが徒歩でR君宅に来る。
          ダンナまでLunchを頂き、お世話になりました。お先に失礼しちゃってごめんなさい。

14:00 ショッピングモールをまわり、お客様用寝具、日用品を買う。あらかじめ下見しておいたソファーベットをダンナに確認してもらう。

14:30 家具専門店をまわり、センターテーブルを比較検討。Allard's Furniture という家具屋で破格のお買い得品を発見、購入。

15:30 帰宅。センターテーブルを完成させる。

16:00 T氏が我が家に到着。ソファーベッドが我が家の車で運ぶには大きすぎたので、T氏のワゴンでダンナとT氏の二人でショッピングモールに向かう。私は家中の片付けと掃除。

16:40 ソファーベッド購入隊が帰宅。T氏が組み立てを手伝ってくれる事に。
          あんなに時間のかかるシロモノだったとは。手伝ってもらっていなかったら夜の「お鍋」飲みがどうなっていたかと思うとぞっとしちゃう。Tさん、本当にありがとうね。助かりました。

19:00 ソファーベッド完成。T氏は一旦帰宅。ダンナは夕食の買い出し。私は家にあった食材の下ごしらえを終わらせてからちょっと一息。娘とお茶を飲む。
          食材の帰宅はまだぁ?お客様は8:30には到着するのに!

20:00 ダンナ帰宅。とんぼ返りでHanover Innに到着したはずのO氏を迎えに行く。私はキッチンでの地獄絵の開始。もちろん娘もキッチン。。。
          今日は「ちり鍋」の予定なのに、たらがほとんど残っていなかったらしい。えー、こんだけで本当に足りるの?時間がなくなったのでとりやめにしようとしたメニューも急遽復活させる。

20:30 ダンナ、T氏、T内氏と、O氏が到着。
           O氏は3/5の日記に書いたダンナのMBA受験仲間で、仲間内では「将軍」と呼ばれているとの事。娘にも失礼のないよう、しっかりと言い聞かせる。
           ビールを飲み始めた一同と、キッチンで夕食の準備に大わらわの私。渡米後初の「おもてなし」が、まさかこんなハードなスケジュールになるとは。。。
           フルコースだからお洒落に一品ずつ、ではなくかろうじて出来あがったものから一品ずつを出していく(笑)。全ての料理がほぼ完成していて、最初から奥様がゲストと一緒に
           談笑しているアメリカ式ご接待とは遠く離れた光景である。足りないかも、と最後は冷蔵庫の残り物まで出す始末(これに懲りずにまた食べに来て下さいね)。娘は就寝。

21:30 ぼちぼちおしゃべりに参加。おしゃべりからネットサーフィン、いつのまにかトランプで「大富豪」大会に。
           「大富豪」は。私が実家にいる間も飲み会時の恒例行事として行われていたようです。

13:00 O氏、最下位に。バツゲームとして、長Tシャツとパンツ一枚で勝手口側の雪中にダイブ、写真を撮られる。撮影終了後、バスルームの熱いシャワーの下にかけ込む。
           このバツゲームもすでに恒例の様。日本では以前、飲み会時の写真をダンナのHPで確認した義母が真剣に息子のバカ騒ぎを案じています。           
           お義母さん、あれほど頼まれていたのに、私には飲んだ時のダンナはやっぱり止められませんでした。ごめんなさい。。。

 2:00 またもやO氏が最下位。バツゲームとして、家の前のレーストラック状の道(Sachem内)を上半身裸、自分のパンツを頭にかぶって全速力で一周。
           あまりにも怪しい姿に驚いた住民に撃たれるといけない(※)ので、T氏のワゴン車で伴走・写真撮影。
           ※ジョークです。車や家の鍵を開けっぱなしにしている人も少なくない程安全な田舎町。この町で何%の人が銃を所有しているのかは1度聞いてみたいトピックなんですが。

 2:30 飲み会終了。3人は帰宅、O氏はT氏宅の独身寮へ。

 3:30 お風呂、後片付け(一部)を終えて就寝。

3月6日(水) "Potluck"ニ連荘

今日のダンナの送迎は午後1時半。明け方まで勉強後、眠りについたダンナを置いて娘と私は昼前からお隣のIさん宅で開かれた"Potluck Lunch"に
お邪魔した。今日は夜もEちゃん家でPotluck Dinnerがあるのでニ連荘である。
Iさん宅に集まっていたのは先日の日本文化紹介の時の着物グループ(Iさんもそう)のメンバー。娘と私はグループが違っただけでなく、結局参加さえできな
かったのだが、娘よりちょっと年下のNちゃんが来るのとお隣だという事で声をかけていただいたようである。私とIさん(1月に渡米)以外はHanover歴半年から
一年半の方々ばかり。Iさんも来たばかりとはいえ積極的に行動しているようなので、私が一番Hanover暮らしの素人である。有り難い情報をたくさんもらった
上に、にぎやかにおしゃべりを楽しめたランチだった。途中ダンナを大学に送りに一旦失礼するが、後片付けの手伝いのつもりで再び戻ってさらにコーヒーを
ご馳走になり(余計ちらかしてどーする)、すっかり長居をしてしまった。

Iさん宅を失礼してから自宅でPotluck Dinner の準備。昨夜から漬けておいた鳥の手羽先30本を揚げ始めた(手羽先はチューリップ型に加工したのですが、
日本の鳥よりも筋が太い気がする。かなり苦戦しました)。娘は自宅に戻った途端、すっかりわがまま大魔王に。途中、手羽先を漬けたボウルをひっくり返され
(2本しか犠牲にならなくて心底良かった…)母の雷が落ちる。泣き叫ぶ娘の声をBGMに、時計を気にしながらひたすら黙々と手羽先を揚げ続ける母。
のんびり楽しんだランチとは一転して地獄絵のような光景である。

なんとか30分程度の遅れでEちゃん宅に到着。今日はプロジェクト・グループの打ち上げDinnerとなのだが、なんと本番は明日。酔っ払った勢いでプレゼンを
しようとでもいうのか?
本番前日のダンナ達のミーティングはやはり長引き、実際に全員がそろったのは開始予定時刻の3時間後だったが、様々な持ちより料理がそろってとても
豪華なディナーであった。グループのメンバーに恵まれた、とダンナが言っていた通り、本人達もそのパートナー達も楽しくて気持ちのいい人ばかり。娘が今日は
結構ご機嫌で積極的なのにもびっくりした。「ハーイ」、「バーイ」、「サンキュー」以外の英語は言わせようとしても口をへの字にして首を振るばかりだったのに、
今日は「もえちゃん、おもちゃを貸して欲しいなら、"Shall we share ?"って聞いてごらん。」と言うと、Monicaの娘に向かって「しゃうぃしぇー?」と聞いている。
1歩前進である(あの発音で通じたかどうかははなはだ怪しいが)。
反対にいつもおてんばさんのEちゃんが今日は熱気味で元気がなかった。Hanoverではここ最近、急に子供達の間で風邪が流行りだしている。
Eちゃん、はやくお風邪を直してまた娘と一緒に遊んでね。

3月5日(火) 韓国料理教室

ダンナを大学に送った後、家具屋とショッピングモールをはしごしてソファーベッドを物色。今週末にLBS(ロンドン・ビジネススクール)で勉強しているダンナの
MBA友達が遊びにくる予定なのである。「うちに泊めてあげていい?」、「いいけど、どこに寝てもらうの?」「寝袋を持ってきてもらうから。」
独身男性宅に泊るならわかるけど、妻子のいる家に来てもらって寝袋でどうぞ、なんて言える訳ないでしょうが。もともと春休み中には入手したいと思っていた
ソファーベッド、これで勢いがついたというものである(自宅にいる時間の少ないダンナは、ソファーを熱望する私の気持ちなんてわかっちゃいなかったもんね)。
大体の見当をつけておいて、後日ダンナと一緒に買いに行く事に。

午後1時から、韓国女性のChristine(名前を覚えてもらうためのニックネームらしい)宅で韓国料理教室に参加。いってみるとPlaygroupの主要メンバーが
既に集まっていて、家中ママ&子供だらけである。
料理教室のメニューは「ドングランダン」(と私には聞こえた)。韓国風ハンバーグのようである。豚ひきと牛ひきに各種スパイスを加え、ピーマンやマッシュルーム
等の野菜とふきんでしぼった豆腐を混ぜて手でこねる。日本のハンバーグと違うのは、タネに小麦粉をまぶし、とき卵につけてから焼くところである。
Christineが野菜を包丁でみじん切りする時点で早くもギャラリーは感嘆のため息(笑)。フードプロセッサ―以外でみじん切りをしないアメリカ人にとっては、
トントントンとリズミカルに野菜を刻んでいく技自体が芸術に映るらしい(フードプロセッサ―さえ使わない、つまりみじん切り自体用いない人も少なくなさそう)。
タネをこねる段階で韓国製だという使い捨てのビニール手袋が出てきた時には(日本にもありますよね)、見学者一同驚くやら感心するやら。何がウケるか、
分からないものである。出来あがったハンバーグにタレをつけて試食してまた感動。非常に美味であった。そのうち自分でもつくってみよう。

娘はChristine宅におじゃましている間中、扱いにくく、うるさかった。お友達とは遊ばない、ママが他の人としゃべっているのは許せない、かと言ってそばにいて
一緒に遊ぼうとしても何もかもが気に食わなくてキーキー文句ばかり。ママ達とほとんどお話できなかったのは私ぐらい。がっかりだ。
ここのところとにかく気難しい娘。今までは百発百中だった「ラムネ」や「ぼーろ」等の殺し文句でさえ効果がない。そうなると全く無力なのが情けないが、jこれは
もしかして体調のせいだけでなく、いわゆる「魔の3才児」現象なのではないだろうか。5月に誕生日を迎える娘、とうとうきちゃったのかなあ。。。

3月4日(月) ショッピング

今日はプレゼン・リハーサルの日で、ダンナの服装はスーツに革靴。駐車場から大学までのぬかるんだ道を歩きたくないというダンナの都合で、再渡米後初の
「ダンナを大学に送迎」が実現した。久しぶりの外出、自分のペースでできるショッピング。私が1人でショッピングモールまで行く事に不安をかくせないダンナを
大学でさっさと降ろし、車に乗るのが大好きな娘とウキウキドライブである。
アメリカに来て以来、ダンナに連れていってもらって時間を気にしながら商品を探す、という買い物ばかり、娘が体調を崩してからは買い物自体をダンナに
お願いしていた。プロジェクトの作業やテスト等で忙しいのをわかっているだけに、とても肩身の狭い思いだったが、それも今日で終わりだ。
久しぶりに入るKマートを隅から隅まで見てまわり、本屋でスペイン語のテキストや娘の絵本を探しているだけで4時間もかかってしまった。

夕方4時からスペイン語を教えてくれているPaula宅(Sachem内)でティータイム。アルゼンチンでは夕食が9時、10時と遅いので、夕方にケーキとお茶で
空腹を満たすようである。Eちゃんとアメリカ人のMichaela以外は皆アルゼンチンやチリ等、スペイン語圏の子供達ばかり。肝心の娘だが、言葉が通じないのは
相変わらずながら、Eちゃんと遊んだり他の子と奥の部屋に消えてしまったりと、ほとんど私のそばにいる事がなかった。新しい環境を受け入れ始めたようだ。

Paula宅を失礼した後、Eちゃん親子に自宅に寄ってもらった。タイミングよくダンナから「帰るコール」があったので、両家でイタリアンレストランの"LuiLui"に
行く事に。ダンナとEちゃんパパは今同じプロジェクトチームで作業をしているのである。明日で終わりだと思ってたら木曜がホントの本番だそうだ。
Eちゃん母子とはしょっちゅう遊んでいるのだが、Eちゃんパパとおしゃべりしたのは久しぶり。これからも家族ぐるみのお付き合いをよろしくお願いします。

娘は友達と遊んだり車に乗っている間はなぜか咳も鼻水もほとんど出ない。自宅にいるとズルズル、ぐずぐずなのに。もう外出解禁だよね?

3月3日(日) 雛祭り

11時からのEちゃん宅での雛祭りパーティーはやっぱりキャンセル。今日も娘は咳と鼻水が止まらず、PCの前に座ろうとする私にわがままのオンパレードだ。
仕方ないのでとことん娘に付き合う事にした。娘の選んだおもちゃは"Play-Doh"。粘土遊びである。

先日買ってきたのはソフトクリームが作れるキット付きのPlay‐Doh。
ひととおりソフトクリームをつくってしまうと同じ事の繰り返しに退屈し始めていたのだが、しばらく一緒にPlay-Dohをいじっているうちに、おままごとセットも使ってフルコースを作る事を思いついた。
こうなると母の方がマジである。「あ、もえちゃん、それ触らないで!」などと叱りつけ、娘の方が
「もえちゃん、もうぷれーるーあそばない!」と言い出す始末(おいおい)。

母と娘の合作は左の写真のとおり。これが本当に食べられたらいいのに。

しかしながらPlay-Doh遊びぐらいではエネルギーを消費しきれない娘。風邪っぴきのくせに、
「おそとにいく!」と家を飛び出してぬかるんだところで転び、ズボンとコートを泥だらけに。
それを2回繰り返してさすがに母の怒りを買い、再び家に連れ戻される。

不機嫌な娘はあろうことか、私の方をじっと睨みながらリビングに飾っていたお気に入りのミニ雛を互いにぶつけて、その両方にひびを入れた。確信犯である。
ふん。君が一生結婚できなくても、もうママは知らないもんね。

夕方帰ってきたダンナはいつものごとく、夕食直後に寝る。深夜に勉強して明け方眠りにつくダンナと娘に朝6時に起こされる私とは、ほとんどまともな会話の
ない日々である。明日はダンナのプロジェクトのプレゼン・リハーサル。あさってが本番。それが終わったらやっと春休みだ。今度こそ、親子3人で少しは遊べると
いいなあ。

3月2日(土) マイカーご帰還

朝からダンナはプロジェクト・ミーティングで外出。娘は今日も咳と鼻水が不快そうである。
元気なのがかえって困る。どうしても散歩に行くと言い張るので、昼前の暖かい時間帯に少しだけ外を散歩してシャボン玉で遊ばせた。2軒先のロシア人の
小学生、ニキータが自転車を乗り回しているのを見て「もえちゃんものる!」。
ニキータには去年9月に会っているのだが、当時はロシア語で自分の名前を繰り返すだけだった。それが今はネイティブ並みの発音で「Why doesn't she
speak English ?」だもん。まいっちゃうよねー、ほんと。
she とはもちろん娘の事だ。自分が話せなかった頃の事はもう記憶にないらしい(笑)。いまに見てろよぉ〜。

外は快晴、お散歩やジョギングを楽しむ人達が家の脇を通る。それを横目に見ながら家の中で大人しくするのは娘だけじゃなく、母もかなり辛い。
午後、Iさん夫妻が私達一家を夕食に誘ってくれたのだが、娘の微熱が残っていたので泣く泣くダンナに断ってもらった。
明日はEちゃん宅で「雛祭りだよ・全員集合」ポットラックパーティー(一品持ちよりパーティー)があるのに、多分それもだめだ。
あまりにも暇なおかげで、やっとHPの「自宅紹介コーナー」の更新に取りかかれた。まだ完成してませんが、お時間のある方はぜひお立ちより下さいませ。

夜、ダンナが懐かしのマイカーで帰宅。これでやっと足は戻ってきたぞ。

3月1日(金) スペイン語レッスン

朝の9:30からPlaygroupが行われている会場のSachem11/12に向かう。アルゼンチン女性のPaulaがスペイン語のレッスンを週一回開いているのである。
EちゃんママとK君ママが既に参加していて「おもしろいよ。無料だし。」と誘ってくれたのだ。

Paulaはもともとスペイン語の教授法が専門らしい。プロに無料で教えてもらえるなんてめったにない機会だし、留学生の多いここでなら習った事をすぐに
試せるので、モチベーションにもなる。
実は昔ドイツに留学していた時に、欲張ってフランス語とスペイン語を同時に始めたのだが、同じラテン系の言語を同時に習ったのは案の定大失敗。
文法も言葉も似ている部分が多く、混乱して結局どちらもダメだった(これが逆に上手くいったという人も世の中にはいるらしいが)。
せっかくの縁なので、再挑戦してみる事に。

今日はHanoverの地図を見ながらスペイン語で自分のたどった道順を説明、周囲が目的地を当てる、というゲーム形式でレッスンが始まった。右、左、信号、
曲がる、1つ目、2つ目等、必要な単語を合間に黒板に書きながらの授業。私にはまだチンプンカンプンだったが、Monicaが「Guess, where I am going !」と
笑ったのを見て、「BEN&JERRY'S (アイスクリーム屋)だ!」と行き先を当てたりして(それじゃ勉強にならないって)、とてもなごやかで楽しいレッスンだった。
「まだレッスンは5回程度しかしていない」と聞いていたものの、皆はかなり進んでいるみたい。来週からは春休みで3週間レッスンもなくなる。早速テキストを
入手して休みの間に追いつかなきゃ。

娘は今日も熱っぽいわりに元気だった。窓の外の鳥達をながめては「おそとにいく!」攻撃。これはこれでなかなか辛い。はやく元気になろうね。
その頃にはマイカーも届くはず(そうです、なんとまだレンタカーなんです。。。)。
  

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