Diary of August    Makko's Diaryの目次へ   ホームへ戻る  

 

8月31日(土) 渡米準備

そろそろ荷造りの準備。アメリカから持って帰ってきた衣類等を実家に置かせてもらっている家具の隙間にしまいこみ、スーツケースの余裕をチェック。
向こうでの生活はすっかり落ちついているので持っていく物はそれほど多くはないのだが、娘の下着やはぶらし(アメリカのはサイズが異常に大きい。歯医者さん
によるとブラシ部分は小さくて小回りがきくものがいいそうです)、使い慣れた基礎化粧品にスリッパ等、アメリカよりも品質のいい必需品が結構あるのである。
そして一番持っていきたいのはもちろん和食材一般。向こうで大都市に買い出しにいかなくてもいいようにとにかくできるだけ色々と詰め込んでいきたい。
2月に再渡米する時にはスーツケース以外にも大きなダンボールを持っていき「あんな大変な思いは二度としたくない」と思ったものだったが、今回もまた懲りず
に荷物を増やしてしまいそうである。

8月30日(金) 予防接種履歴の英文証明書

午前中に立川駅近くにあるクリニックへ。英文証明書を発行してくれるところを保健所で聞いて教えてもらったのである。母子手帳を受付で提出して30分程
で書類が完成。今日に合わせて済ませておいた日本脳炎だったが、これは日本独自の予防接種でアメリカでは関係ないそうである。
料金は3,500円だった。以前別の病院で問い合わせた時は5,000円と言われた記憶があるので病院によって料金が異なる書類らしい。

クリニックの帰りに駅前にあるデパートや大型書店等をはしご。基本的に「ウィンドーショッピング」というのは、結果的には何も買わなかったとしても「気に入った
モノが見つかれば買ってもいいな」ぐらいの気持ちがないとあまり楽しくないような気がする。最初から「何を見つけても買わない!」と決めている場合はストレス
がたまるだけである(笑)。洋服の代りではないが本を1冊買って帰宅。

8月29日(木) 旧友との再会

高校時代の友人2人と品川でランチ&お茶。1人が年末に出産を控えているというおめでたい話もあっておしゃべりがはずんだ午後であった。
何年も降りた事のなかった品川駅周辺は、駅から連絡通路が延びた巨大ビルが建っていてすっかり様変わりしていた。大都市の時間の流れの速さを改めて
実感。

ダンナの実家にいっている間に妹達が「ハリケンジャー」を録画しておいてくれた。以来、娘は一日3回テレビにくぎ付け。しかも「もえちゃん、さんさいだから
にかいみる!」(最近自分の好きな事・食べ物に関してはこれが多い。「にかい」と言っても指ではしっかり「3」。)と、1回につき2度巻き戻しをさせられる。
誰か娘の「ハリケンジャー」熱を止めてくれー。。。

8月28日(水) 実家に戻る

1週間ちょっとの間、ダンナの実家でのんびりさせてもらって今日の午後に八王子の実家に戻る。荷物を置いてすぐに近所の小児科へ。日本脳炎の予防
接種第2回目である。半年以上たっても病院の玄関前を覚えていた娘が1週間前の痛い記憶を忘れているはずはなく、アプローチを歩きはじめた途端に
「ここ、ちゅうーしゃ?もえちゃんいかない!」と騒ぎ出した。手を引いて「もしもしだけだよ〜。」と言いながら中に入ったものの、「ちゅーしゃしない?」とはっきり
聞かれると思わず「うーん、どうだろうねえ。。。」。真っ赤な嘘はさすがにつけない母である。
結局診察室に入った瞬間から泣き出し、注射前のお馴染みの診断が終わった途端に大粒の涙を流しながら「いやぁ〜!!ままあ〜!!やめて〜!!」
と号泣しっぱなしだった娘。自分をあらゆるものから守ってくれるはずの母に抑えつけられながら注射を打たれるのはさぞショックが大きかったに違いない。
私だって辛いんだよー。

※お願い:ダンナの実家にいる間に「はじめまして」のタイトルでメールを下さった方へ。義父のPCで開いためにアドレスが記憶されないまま消えてしまい、お返事が書けないでおります。
本当にごめんなさい。もしよろしかったらもう一度メールをいただけないでしょうか?

8月19日(月) 3才児検診

保健所で3才児検診を受ける。朝一番の尿をとったら糖が出てしまったため尿の採り直しとなる。和式のトイレに慣れていない娘は案の定「でない!」と
拒否、結局検診後に別のフロアにあった車椅子用の洋式トイレでなんとか採り直しに成功。最初の歯科検診で大泣き、その後の問診でも先日の注射を
思い出したのか号泣し続ける。身長を測るのにも一苦労、体重計には私が抱きかかえて乗るはめに。偏食の激しい娘のために懇切丁寧な栄養指導を
任意で受け、2時間近くかかってやっと検診を終了。
虫歯がなかったおかげで今回の帰国中に済ませなければならない娘の用事はあと2件。日本脳炎の第2回目の注射と予防接種の英文証明書だけとなった。
用事が一段落したところで明日からダンナの実家を訪問する予定である(HPはしばらくお休みさせて頂きます)。

8月18日(日) ダンナと再会

母子共に寝坊してしまい、「ハリケンジャー」を見逃す。昼に「えいっ!」、「とおっ!」と、突然キックの真似事を始めた娘に、改めてショーのインパクトを感じる
と同時に責められているような気も。。。

夕方6時頃にダンナが到着。時間ができたらしく、実家に夕食にを食べに来る事になったのである。もともとは今週末に泊りで来る予定にしていたらしい
のだが、インターンが始まってから早々と週末出勤が決まってしまったのであった。
午後に電話をもらった直後に娘に報告してしまったため、「ぱぱ、まだ?」と散々待たされていた娘。父親の姿を見ると狂喜乱舞して家の中を走り回る。
ダンナが高校野球を見たり新聞を読んだりしている合間に今回のインターンの話等を聞く。別居生活になって話をする機会がなくなると、ダンナの生活に
ついて入ってくる情報は、たまーに来るメールとダンナのHPのみ。ダンナのHPを読んでいるその他大勢と変わらないのである(いや、下手するとダンナの悪友達
の方がよっぽど詳しいかも)。

夕食後、娘がそわそわしながら私にまとわりついてくる。「ぱぱ、きょうもえちゃんといっしょにねんねするの?」。「どうかなー、パパに聞いてごらん。」と答えると、
ダンナをチラッと横目で見ながら「いや」と照れて私の後ろにかくれる。「もえちゃんぱぱにかえってほしくない。」と言うのも私に対してだ。その直後にダンナが
トイレに行こうとすると「ばいばい。」3才児の心の動きは複雑(?)なのである。

明日からの出勤に備えて9時半頃に帰っていったダンナであった。気がつくと日本滞在もあと3週間のみ。ハノーバーに戻ったらあっという間に新学期のスタート
である。長いと思っていた夏休みもいつの間にか終わりが見えてきた。長いと思っていた2年間のMBA留学も残り半分足らずだ。

8月17日(土) ハリケンジャーショー

少し早い夕食の買い物に今日は娘をつれていく。今週後半の4日間、多摩センターの中央広場では「夏祭り」がおこなわれているのである。
今日のキッズ向け企画は「ハリケンジャー」。見たことはないのだが、日曜の早朝にテレビでも放映されているヒーローもののキャラクターのようである(私の子供
の頃の「ゴレンジャー」にそっくり。)最初にバルタン星人みたいな親玉とショッカーもどきの子分達登場。後ろの方でだっこしながら見せていた娘は、「こわい」と
私の首につかまりながらも舞台をじっと見つめる。そのうちヒーロー達が登場し、「やーっ!」、「とうっ!」等と悪者達をやっつけていく。最後には「あいさつは
できるかな?」、「はみがきをきちんとしてるかな?」等、大好きなヒーロー達から子供達へのお願い(こういうのって大人からみるとばかばかしいようですが、
子供達への効果は満点!これぞ「子供だまし」?)。
ヒーロー者のテレビ番組を見たことのない娘にとって、この舞台は実にインパクトが強かったらしい。ショーの後に入ったヨーカドーの食品フロアでも「ハリケン
ジャーはみがき」、「ハリケンジャーふりかけ」等、あちこちでハリケンジャーグッズを見つけては報告しにくるのである。明日の早朝に放映されているという番組、
一度見せてあげようかな。

8月16日(金) 予防接種

午前中「お散歩に行こうか」と娘を誘うと、遊んでいた娘はパッと立ちあがり、「はーい!」と玄関に走っていってサンダルを用意する。「まずトイレにいっておいで」
と言うと「はーい!」とこれまた素直な返事。いそいそと外出仕度をする娘に少し良心の痛む母である。
行きは車で病院の真ん前まで送ってもらった。「ばーばはいかないの?」と言いながら私に手を引かれて降りる娘。アプローチを歩いている間もご機嫌だ。
「あれ?」と娘が言ったのはドアをあけて中に入った時。「ここ、ちゅーしゃ?ちゅーしゃなの?もしもしだけ?」と私に聞いてくる。どうやら今年の1月におたふく
かぜの注射を受けに来た事を思い出したらしい。子供の記憶力に感心しつつ「今日はもしもしだけだよお。」と大嘘をつきながらスリッパをはく母。娘も思い出
した割りには怖がる様子もなく、「あ、もえちゃんこっちのすりっぱがいい!」と、子供用スリッパの絵柄をあれこれと選んでご機嫌である。
待合室にあった絵本を読んでいる最中にお呼びがかかり、「これよむの」と主張する娘を絵本と一緒に診察室に入った。
診察室を見てさらに「あれ?ちゅーしゃともしもしするの?」ここまでわかっていて怖がりもしないとはなかなかいい根性である。大人しく聴診器をあてられ、首の
あたりを押さえられた時はくすぐったがってひっこめ、昔は大泣きした「おくちあーん」も無事にクリア。医者が背中を向けて注射の準備を始めたあたりからさすが
の娘も嫌な予感がしたようである。「まま、かえろ。」。ひざの上に座らせていた娘の向きをかえて抱きかかえるとすかさず受付の女性がリスのぬいぐるみで気を
引いてくれた。「さあ、ちょっとちくんとするよー。」と言いながら医者が娘の腕をとって消毒液で拭く。「いや、いや。。。いったぁ〜い!!」。
注射が一瞬で終わった後も診察室を出るまでの間中、大粒の涙をぼろぼろこぼしながらわあわあ泣き続けたのであった(こういう時に娘が私を見上げながら
泣き続けるのはなかなか辛い。「ままがいながらどうしてまもってくれないの?」とでも責められているようなのである)。
待合室に戻ってから読みかけの本を読んで歩いて帰る。手を洗いながら「あしたはもしもしだけ。ちゅーしゃしないの」と娘。まだ病院に行く気があるとは実に
いい根性である。再来週に2回目を受ける時はどんな反応をするんだか。

※気がついたらこのHPのカウンターも10,000を超えていた。いつも覗いていただきありがとうございます。

8月15日(木) 美容院

渡米前に娘の予防接種は全て終えたのに、アメリカにいっている間にもう次の案内が来ていた。3才になって受ける「日本脳炎」の予防接種である。3才の
うちに1週間以上の間隔をおいて2回、4才になったら追加を1回。所定の年齢を超えて受けると有料になるので今のうちに受けておく事にした。
実家から歩いていける個人病院で明日の予約をとる。

午後にインテリア産業協会のHPにアクセスし、昨日調べておいた照明関係のセミナーに申し込んでからすぐ下の妹と一緒に美容院へ。
母娘全員がお世話になっている担当のOさんに「なるべく美容院にいかなくてもいいように切って下さい。」と、美容師泣かせの注文をつけて肩より短いボブに
してもらった。カット・パーマ・カラーリングのフルコースでお願いしたので、作業中に髪を洗ってもらう事3回。久しぶりの美容院での洗髪は実に気持ち良い。
「パーマとからーリングはあまりやってもらわない方がいいかもしれないですね。アメリカの方が薬が強いから髪が痛みますから。」とOさん。来年の6月までの
アメリカ生活ではいずれカットには行かなければならないだろうけど、はてさてパーマとカラーリングには挑戦してみるべきかしら。話のタネに一度試しても、と
思ってみたり、いやいや、失敗した時の代償が大き過ぎる、と思ってみたり。ま、その時が来てからまた考えよう。

8月14日(水) 計画と実行

午後に保健所に電話をかけて6月で案内されていた3才児検診の件を問い合わせる。指定の月に参加できなかった場合、4才になるまでは定期的に実施
されている検診に遅れて参加できるとの事だったのだが、月1回の最寄り事務所での検診はなんと今日の午前中であった。そして次回の検診は再渡米後。
仕方ないので少し離れた事務所で行なわれる来週の検診に参加する事に。

昨日問い合わせていれば自宅から車で5分程度の最寄りの事務所での検診をすんなりと受けられていたはず。それができなかったのは、しなければならないと
分かっていた問い合わせをダラダラと先延ばしにしていた自分の怠慢の結果である。普段から "To Do List"だけは早々と計画しておく方なのだが、計画した
事で安心してしまって肝心の実行をダラダラと先のばしにしてしまう事が多い。準備をした意味がないじゃん。
失敗を生かしてためていた案件にまとめて目を通す。インテリア産業協会からきていたセミナーの案内を読んでいると、帰国中に受けられるセミナーが1つだけ
あった。申込みは先着順で明日の午後開始。やっぱり今日読んでおいてよかったあ。

8月13日(火) ぐーたらデー

昨日にひきつづきダラダラと過ごした一日。

8月12日(月) 毛刈り

東京にいる間に済ませなければならない用事を気にしつつ、久しぶりの実家についのんびりと過ごした一日。たまっていた郵便物を整理し終わったところで
昼前に妹の「毛刈り」の手伝いに借り出される。実家にはリュウのほかに「琥姫(こひめ)」という毛足の長いネコがいるのである。
一番下の妹がミトン型のなべつかみを両手にはめ、私が軍手をはめてそれぞれ前足と後ろ足に別れて抑えつける。琥姫の首のまわりにはラッパ型のプラス
チック製のシートがまかれている。ずいぶん大げさだなあという気がしたのだが、「油断したら痛い目にあうよ」と妹達。
抑えつけられて横たわっている琥姫は思ったよりも大人しく、たまに「にゃあ〜ん」と愛らしい声で訴えてくる。うるうるとした目で見つめられると、思わず撫でて
あげたくもなるのだが、一番下の妹はそれで鼻にかみつかれたらしい。実際、作業が長引くにつれてだんだん暴れ方も激しくなり、弱点らしい尻尾にさし
かかった時には「フーッ!」が次第に「シャーッ!」に(お前は蛇か)。途中、下でビデオを見ていた娘が私を探しにきたり(娘がくるとネコがおびえて暴れ方が
ひどくなるのである)、琥姫にかみつかれそうになりながらも子1時間で作業は終了。終わった後もしばらくはデスクトップの後ろにこもって恨めしそうに睨んで
くる琥姫であった。
私も早く美容院にいこうっと。

8月11日(日) 東京へ移動

12時発の新幹線で東京に向かって移動。ダンナが会社から借りる予定のマンションは湯島にあるのだが、1人用の設備らしいので私は娘と一緒に八王子の
実家にいく事に。新横浜でダンナと別れる。またまた4週間ほどの別居である。
久しぶりにじーじ・ばーばとおばちゃん達に会った娘は玄関に入った途端にわーっと集まってきた家族に気後れしたらしい。しばらくはもじもじと口数も少なく
隠れるように私の足にまとわりついていたが、「リュウ(実家の犬)をなでなでしにいこうか」等と妹達にあの手この手で誘われるとあっという間に私から離れて
いった。

夕食のテーブルにはメインのおかず以外に私が買い物につきあってリクエストしたお漬物や冷奴、揚げナス等が並ぶ。どれもハノーバーでは美味しい物が
入手しにくいメニューばかりである。改めて日本食のレベルの高さを実感。幸せだあ。
夜ダンナに電話。マンションは掃除やリネン交換等のサービスはあるらしく、キッチンも小さいながら鍋や食器等はあるとの事。炊飯器がなかったのは仕方ない
にしても、今や日本では1人暮しの男性の必需品である電子レンジもないとの事であった。ここでもどうやら外食中心になりそうである。

8月10日(土) 日帰り温泉

午前中に荷造りと掃除をすませ、スーツケース2つをコンビニから送るとすぐ近くのホテルへ移動。荷物を部屋に置き、待ち合わせ場所の三宮駅に向かう途中
で慌しく昼食をとる。思ったとおりバタバタのスケジュールである。
待ち合わせ場所に先に来ていたSさんをダンナに紹介してもらっている間にIさん父娘も到着。有馬温泉へ出発である。
Iさんの娘のMちゃんは半年ほど年上だが娘と同い年。最初はお互いに恥ずかしがり、けん制しあっていた二人だが、電車を乗り継いでいるうちにすっかり仲良く
なった。手をつないで歩く二人と並んで私が反対側の娘の手をひいていると「つながないで。」とMちゃんに言われてしまう場面も(笑)。

Iさんが父娘のみの参加だったので「子供同士はやっぱり一緒に入れてあげたほうがいいよねー。」と、娘をダンナにまかせる事に。意外にもあっさりと承知して
くれたので、私はめでたく1人で温泉を楽しめた。夕方の早い時間だったので、明るい日差しに人のまばらなお風呂が心地良い。お湯につかって2種類の温泉
の効用を読んでみると「リューマチ、腰痛、通風、糖尿病、皮膚病。。。」まだ自分にはあまり必要のない効用ばかりなのがちょっと残念。
温泉からあがったらまた汗をかくんだろうなと思っていたのだが、外は風が心地良くて気温も結構下がっていた。皆で一緒に夕食をとってから再び三宮に戻って
解散。これで神戸生活も終わりである。

8月9日(金) 素麺ランチ

ダンナの神戸でのインターンも今日が最終日である。9週間、配属部署でお世話になったという会社の方を紹介してくれるというので、「両手に花」の状態で
12時過ぎに我が家に到着(会社から今のマンションまでは徒歩10分という便利さである)。
「いつも主人がお世話になっております」とご挨拶したところ、「いえいえ、こちらこそいつも楽しませていただいています。」とくすくす笑いながら言われる。飲み会
の事なんだろうな、やっぱり。。。

ランチは簡単に素麺にし、お椀類がないので(このマンションに置いてあった食器は洋皿のみ)コーヒーカップ&ソーサーでお出しする。1時間足らずのランチ
だったのであまりお話はできなかったが、ダンナと3人で話している様子を見ていても雰囲気の良い職場のようである。娘もお客様に大喜びで、「どれがいい?」
と、くまのプーさんシリーズの小さなシールをペタペタと腕に貼って差し上げていた(お2人はそのままの格好で午後も働いて下さったそうである)。

夕食後に荷造りを始める。このマンションにも次の学生がくるらしく、明日中には出なければならない。月曜からは東京でのインターン第2弾が始まるので、
明日もこの近くで一泊し、ダンナのここでのインターン仲間達と日帰りで有馬温泉に行く予定。「疲れをとりにいく」等と言ってはいるが、かえって疲れそうな
スケジュールである(笑)。

8月8日(木) のんびりデー

夕食の買い物のためにそごうに行った以外は自宅にこもった一日。「我が家」でののんびりデーと違っておもちゃも本も食べ物もそろっていないここでは、家事
もほとんど発生しない上にテレビを見るぐらいしか家の中でできる暇つぶしがない。日本に帰ってきたらさぞテレビにはりついてしまうだろうと思っていたのだが、
今のところ娘の子供番組以外はあまり見ていない。選択肢がいろいろとある中からテレビを選ぶのと、それしかないのとでは気分が違うのかもしれない。

夕方そごうで本を1冊買ってから子供フロアの遊び場へ。家で煮詰まり気味の娘はたくさんの子供達が集まっているその場所で水を得た魚のようなはしゃぎ
ようである。本人が満足するまでたっぷり遊ばせたので夜もすんなり就寝。

8月7日(水) 再会&出会い

12時に梅田で中学時代の友人Y子さんと待ち合わせ。ドイツから帰国した時、夏休み直前に編入した中学校の最初の友達が当時学級委員だった彼女
である。中2の終わりに再び東京に引っ越したため大阪にいたのは2年足らずだったのだが、筆まめな彼女のおかげで文通という形の交流が未だに続いており、
今回は2年ぶりの再会である。
移動中に娘がベビーカーの中で眠ってしまったおかげで、2時過ぎまではゆっくりと話をする事ができた。ランチを食べている間に目を覚ました娘は、最初のうち
こそ話しかけられても黙り込んでいたものの、まもなく「おねーちゃん、おねーちゃん」とひっきりなしに話しかけながらあちこちに引っ張っていこうとするように。
娘を大人しくさせながらおしゃべりできる場所を求めて阪急の屋上観覧車や子供フロア等をさまよっているうちにあっという間に時間が過ぎる。

自宅に戻って娘と一緒にシャワーを浴びているとまもなくダンナが帰宅、そしてしばらくして本日のお客様、ダンナの友人のM氏とその婚約者のCさんが到着。
M氏はダンナのMBA仲間なのだが相当の「ボードゲームフリーク」だそう。今日の主旨も実はM氏持参のボードゲーム大会である。日本の書店でも話題に
なったロバート・キヨサキの「金持ち父さん 貧乏父さん」という本の中で著者が開発したというボードゲームが紹介されているのだが、日本では未発売のそれ
をわざわざアメリカから取り寄せたというのだから相当のつわものである(送料込みで200ドル以上したとか)。ダンナも私もその本は読んでいたので興味深々。
Mさん達が持参してくださった手土産と寿司の出前で夕食をとってからさっそくゲーム開始である。

ゲームは遊びながら財務諸表の仕組みを学べる内容。各プレーヤーがそれぞれ別々の職業を持ち、それ職業なりの収入を得ながらいかにして「ラットレース」
(本の中で貧乏スパイラル状態を指す言葉)から抜け出し自分の目標を達成するかを競うのである。MBA関係者2人なんて圧倒的に不利だ、と思っていたら
婚約者のCさんまで会計事務所で仕事をしているとの事。ずいぶん不公平なメンツである。
ゲームでまで貧乏するなんて夢のない、と思いつつもコツが分かり始めると次第にゲームは白熱。ラットレースから抜け出すのには手間取ったが、そこから先は
ツキがまわってきていっきにトップに踊り出る。「次の番でビンゴだ!」とすっかり勝つ気になった瞬間、なんとダンナに一発逆転されてしまった。
気がつくとまもなく日付が変わろうとする時間。M氏達は終電に乗るために慌しく帰っていった。とても気持ちのいい、お似合いのお2人だった。次回はゲーム
だけでなく、もっとゆっくりと話ができたらいいなあ。

8月6日(火) そごうへ

今朝の娘の起床はなんと4時半!毎日時間が早くなっていくのはなぜなんだろうか。。。8時半まではじまらない「おかあさんといっしょ」をひたすら楽しみにして
いる娘の相手をするのは大変なのである。
昨日の本屋巡りはとても楽しかったものの、やはり疲れたので今日は家で大人しくする事に。ソファーに座ってテレビを見ている娘の横で睡眠をとろうとしたの
だが、あれこれと話しかけてくるのでなかなか思い通りにならない。結局昨日読み始めた本を読んで過ごす。

2時過ぎに夕食の買い物をしに「そごう」へ。昨日の夕方は寝入ってしまい「おかあさんといっしょ」を見のがしてしまった娘、その悲しみ方が半端ではなかった
ので今日は早めに外出(もちろんどうやっても起きない本人が悪いのだが、そんな正論が通るなら子育てなんて楽勝である)。
エスカレーターで各フロアをまわりって久しぶりのウィンドーショッピング。一番上の子供服のフロアには遊び場コーナーがあったのでしばらく娘を遊ばせる。神戸に
来てから公園遊びもご無沙汰の娘は、とても楽しそうに辺りを走りまわっている。
自宅に戻ってからめでたく「おかあさんといっしょ」を堪能した娘はそのまま夜まで寝入ってしまう。こういう時間に自分も寝ておかなければ、と思いつつ結局
買ってあった本を2冊とも読みきってしまった。

8月5日(月) ジュンク堂へ

午前中に実家の母に頼んでいた小包が到着。神戸にいる間、娘が退屈しないようにと「しまじろう」セットを2ヶ月分送ってもらったのである。とりあえず絵本と
おもちゃだけを先にあげてビデオは外出後にしようとひとまず隠す。娘にしまじろうの本を読んであげながらふとテレビの方を見ると、なんとビデオデッキがないので
あった。ビデオを見せなくてよかった。。。

お昼過ぎにジュンク堂へ。今朝も昨日よりさらに早い5時過ぎに起きた娘は予想通り歩いている間に眠ってしまった。自分もまだ寝不足が残ってはいるの
だが、久しぶりの日本の書店が嬉しくて目をこすりながらあちこちのコーナーをはしご。今買ったらまた寝不足になる、と思いつつも文庫本を2冊買った。
食料品店でお米やみそ汁、そうめんなどを買う。マンションには炊飯器がなく、調味料もない。神戸滞在は今週の日曜で終わるので、残り期間はレトルトと
お惣菜でしのぐのが一番簡単で安上がりになりそうである。

8月4日(日) 神戸観光

昨夜興奮して遅くまではしゃいでいた娘だったが、やはり朝5時頃に「おきよ。」攻撃。精一杯引き止めたのだが結局自分も目が冴えてしまい、6時半には
起きてしまった。「明日はどこにいこっか。」と、観光する気満々だったダンナはやはりなかなか起きてこない。冷蔵庫が見事に空っぽなので、娘と一緒に
最寄りのコンビニへ。娘はすかさずラムネを発見。アンパン、ヤクルトに日本特有のやわらかい食パンを購入。

娘の執拗な「おきて!」攻撃に、さすがのダンナも午前中のうちに起床。ポートライナーで神戸ポートピアランドへ。久しぶりの遊園地だったのだが、娘と一緒
ではジェットコースターやフライングカーペット等は全てお預けである(1人で乗るんじゃ空しいし)。観覧車に浮いてるだけのボート、トーマス機関車にメリーゴー
ランド等をまわる。チャレンジ精神のない娘にはこれらに乗ろうとするだけでも大変である。夫婦そろって満面の笑みで「もえちゃん、〜に乗ろっか!」と言って
みるものの、間髪入れずに「いや。」。そのくせ乗せてみると大喜び。食わず嫌いは食べ物だけではないのである。

ポートピアランドを出てからプラネタリウムに入り、三宮駅前にあるダイエー内の「ジュンク堂」書店を覗いてから南京街で豚マンやふかひれラーメンを楽しむ。
さすがの娘も後半はベビーカーで寝入ってしまい、そのまま夜まで起きず。昼寝はしなかったものの、私も寝不足の目がちかちかして辛い。帰国したばかりで
ちょっと頑張り過ぎたかも。

8月3日(土) 神戸到着

機内での13時間近く、娘は予想外にも実に手がかからず(最初、3人がけの席の真ん中に座らせたら隣の年配の女性に話しかけ続けるので、途中で席を
入れ変わった)。到着前の4時間程は寝入ってしまう。おかげで母はビデオ三昧、一睡もせず。成田での国内線の乗換えもスムーズに流れ、19時半には
大阪の伊丹空港に到着。
喜びいさんで「パパ−!」と到着ゲートを飛び出した娘だったが、そこにダンナの姿はなかった。20分以上待ち続け、さすがに電話しようかと思ったところへ姿を
あらわす。「間違えて隣のターミナルで待っちゃったよ。」。かくして2ヶ月ぶりの再会は、感動の抱擁ではなく「遅いよ!」の肘鉄で迎える事となった。

8月2日(金) NY出発

10時前にホテルをチェックアウトしてタクシーで空港へ。フランス語圏出身らしい黒人の運転手さんは規則正しくて一方通行の多い市内の通りを、すいている
道を選びながらすいすいと走っていく。空港に向かう道路はすいており、反対斜線は渋滞していた。運転手さんによると、金曜は12時以降に流れが逆になる
そうだ。
45分ほどで空港に到着し、まもなく1時半のフライトのチェックインも済ませた。JFK空港は小さくて迷う事もなく(もちろんターミナル別に建物が分かれている
からであって空港全体は成田よりもよっぽど巨大である)、ブランチをのんびりと済ませて搭乗ゲートに入り、免税店をひやかし終わってもまだ1時間半ほど
余裕が。搭乗口の待合室にあった子供用"LEGO"コーナーがあったので、娘をそこで遊ばせながら雑誌を読んで搭乗を待つ。
NY−成田便に乗る人のほとんどは日本人なので、レゴコーナーの子供達の多くが日本人。娘は早速遊び始め、自分の向かいでブロックを組み立てている
ふたまわりほど上の男の子に「・・・だねえ。・・・なの?」と、ひっきりなしに話しかけている。男の子は見知らぬおしゃべりな女の子にあきらかにとまどいながらも
ぶっきらぼうに答えている。レゴコーナーを出たら出たで、ガラス越しに飛行機を眺めているアメリカ人のひげ面おじさんに"This one ! OK? This one!"等と
飛行機を指差しながら話しかけ、やさしいおじさんはうなずきながらも苦笑。いつの間にこんなに物怖じしなくなったんでしょう、この子は。

8月1日(木) NYへ

朝10時過ぎに我が家を出発。ご近所さんのI氏ご夫妻にWhite River Junction の高速バスターミナルまで送ってもらった。11時発の予定のバスは11時半に
無事出発。娘はM子お姉ちゃんとIお兄ちゃんに向かって「またあしたねー!」と言って手を振り続ける。
30分遅れで走り始めたバスはバーモント州、マサチューセッツ州、コネチカット州の各ターミナルを経由する事に休憩時間で遅れ分を調整し、終点手前の
ターミナルには当初の予定通りに到着。予定通り5時半に到着できそうだと思ったのは甘かった。NY市内に入る直前に渋滞にまきこまれ、大ヒンシュクの
「路肩走行」までやってのけたにも関わらず、NYのポートオーソリティーバスターミナルに到着したのは6時半過ぎであった。

タクシー乗り場に行ってみると人が多い割にはタクシーが来なさそうなので歩く事にした。背中にリュック、ベビーカーをかついで右手にスーツケース、左手で娘
の手をつかみながら人通りの多い7th Ave.を歩く事30分。いつもはすぐにだっこをせがむ娘がたったかたったかと歩いてくれたので、汗だくになりながらも無事に
シェラトンNYに到着。当初は近所の散歩も兼ねて和食店に夕食を食べにいこうと思っていたのだったがあっさり断念し、隣にあったピザ屋で夕食を済ませると
10時半には早々と就寝。

もともとアメリカよりヨーロッパの方がなじみがあり、NYCに来たのもこれが初めてである。高速バスはColumbus Ave.を南下するルートを走ったのだが、最初に
通ったのは「ハーレム」のあたり。建物は皆古く、窓ガラスも割れて廃墟になっているものもある。建物と道路に囲まれた全面コンクリートの校庭に公園。そこで
バスケをしているのも通りを歩いているのも皆黒人またはヒスパニック系である。それが南に向かうにつれて緑のある公園が見られるようになり、建物もより綺麗
になり、昔からあるような雑貨屋に混じってスターバックスやブランド店などが目に入ってき、そして道ゆく人々の多くが白人に変わって行く。ブロードウェーまで
くると、いろとりどりのネオンの中を劇場用に着飾った人々、街の風景をカメラに収める人々、そして本当にイエローキャブばかり。NYCは色んな意味で「面白
そうな街」である。来年の帰国までには一度ぐらい観光したいものだ。

HanoverからNYCへ出てくるまでの間、漠然とではあるがある種の緊張を感じていた。自分にとっては他のどの都市よりも遠い存在だったニューヨークは、
「通りを歩いているだけで撃たれそう」という、実に極端なイメージの街だったのである(笑)。今日市内を歩いてみてやっと「NYも東京とおなじ普通の大都会
なんだ」と思う事ができた。どうやら半年間のハノーバー生活ですっかり田舎ボケ・平和ボケしてしまったようである。

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