Diary of January    Makko's Diaryの目次へ   ホームへ戻る    翌月へ

1月28日(月)〜 ダンナの実家訪問

娘の様子も落ちついてきたので、泊りの仕度をしてダンナの実家へ。相変わらず日本にだらだらととどまっている母子を義父母は歓迎してくれた。
今までは良い子ちゃんの顔しか見せていなかった娘も、今回はわがままぶりを発揮し、じーじ・ばーばを感心(?)させていた。

1月30日、しびれをきらしてアメリカ大使館に電話。気の遠くなる程長い自動音声の指示のあれこれに従った末にやっとオペレーターにつながった。
「ビザの処理状況の問い合わせには応じない」という基本スタンスの割には親切な対応で、名前を告げると「昨日処理されていますので、まもなく届くと
思います。」と、すんなりと回答してもらえた。
そうそう、今回電話したらビザ申請の用紙の書式が変わっていた。用紙は国務省のHPからも取り出せるようなので、前よりも便利になったようです。

1月31日、実家にビザが届いた。
申請書を投函したのが、1月8日。アメリカ大使館のHPによると「通常は大使館の開館日で7〜10日かかる。」との事で、閉館日の土・日・祝日を除くと、
結果的に16日間かかった事になる。年末年始は多少長くかかるらしいので、今回かかった期間はどうやらそれほど長くもなかったのかな。最初から開館日で
数えていれば、そんなにやきもきしなくてもすんだようです。これから留学の皆さん、ビザはやっぱり早めに申請しましょう。

ダンナの都合を確認した上で、インターネット上で格安航空券を手配。目標2月8日、金曜日。いよいよだ。

1月27日(日) 予防接種 その後

今日からいくはずだったダンナの実家訪問は一日延期。2週間前に受けた娘のおたふく予防接種の症状が出たからである。
昨日の夜から両頬が腫れてきた。もともとまるまるとした「しもぶくれほっぺ」なので最初は気付かなかったが、頬に目が押し上げられてくると、さすがに「あれ、
もえちゃんがにらんでる!なんか目つき悪いよー。」と、全員が気がついたのだった(笑)。
医者には「2週間ぐらいで軽いおたふくの症状が出る子供が多いです。治療は特に必要ないですが、一応安静にして下さい。」と言われていたので、大事を
取って外出を延ばしたものの、微熱程度の娘が安静にするはずもない。結局、あちこちの部屋で騒ぎまわったり外を散歩したりと、普段と変わらない一日を
過ごした。明日は行けるかなあ。

1月26日(土) ビザ届かず

今週もビザは来なかった。どうやら同伴する家族のビザは承認に時間がかかるらしい。こんな事なら申請だけでもダンナと一緒にしておけばよかった。
今日こそは、と思いながら落ちつかない毎日を過ごしていたが、これはもう一度考え方を変えてのんびりとかまえた方が精神衛生上良さそうだ。

週末は郵便も届かないので、明日は再びダンナの実家に泊りにいく事に。昨年帰国して以来、娘と二人で遊びにいった時も、年末にダンナが帰国する事に
なって3人で遊びにいった時も、帰る時は「アメリカに戻っても体に気をつけてね」と言われたのに、まだ日本にいるのがちょっと恥ずかしい気もする。。。
ま、何度も会えるのは嬉しい事だから良しとしよう。

24日以来、電子手帳の調子を毎日チェックしている。HPを読んだダンナから「+−間違いなんてしてないよ。こっちでも一度は動いたけどまただめに
なったんだから。」と言われたのだ。よしよし、今日もちゃんと起動した。

1月24日(木) 渋谷

渋谷のビッグカメラへ。店員さんにダンナが送ってきた電子手帳を見せ、「去年ここで買ったんですが、動かなくなっちゃったんです。」と説明した。
店員さんがスイッチを押しても画面は出てこない。「これ電池入ってますか?」、「入ってます。」裏面からアメリカ製の電池を取り出し、日本製と交換してみる。
「あ、動きますね。」「は?」「動くみたいですよ。」「。。。あれ。。。?ホントですね。アメリカの電池だとだめなんて事、あります?」再びアメリカの電池を入れて
スイッチを押してみる。「動きますね。初期化しちゃったんで、データは全部消えちゃいましたけど。」「あの、今初期化以外に何か操作しましたか?」「いいえ。
電池を出してまた入れただけです。」

「たまにあるんですよね。何度か電池を出したり入れたりしてみてください。メンテナンスに出していただくのはいいんですが、1ヶ月近くかかっちゃうんですよね。」
とフォローしてくれた店員さんにお礼を言って店を出た。ちょっとだけ、恥ずかしかった。でも最初に店員さんが見た時は本当に動かなかったし。それとも、まさか
ダンナが+−を入れ間違えていたとか?いくらなんでもそれはないか。
なんにせよ、渋谷に出てきたおかげでソファカバーとダイニングチェア用の和風の布地も買えた。無駄足にならなくてよかった、よかった。

かくして電子手帳をなくしたダンナは辞書と格闘し、私と娘の渡米荷物がまた一つ増えた。ビザは今日も来ず。

1月23日(水) 電子手帳

今日の夕方、またまたビザの代わりに別のプレゼントが届いた。故障した電子手帳である。
送り主はもちろんアメリカにいるダンナ。退職した会社の送別会で頂いた品である(会社の皆様、使い方が荒くてごめんなさい。ダンナの命綱なもんで)。
一年間の保証期間内なので、明日早速渋谷に行かなければならない。
そういえば電化製品を買うと必ずついてくる一年間の保証書、実際に使うのはこれが初めてかもしれない。その場で新品と取り替えてなんてくれないかしら。
もし「修理に1ヶ月かかります」なんて言われちゃったら。。。また延びるの?。。。

1月22日(火) 手作りパン

今日もビザは届かず。でもかわりに素敵なプレゼントが届いた。手作りパンである。
大学4年でドイツに留学した時に向こうで知りあい、今は兵庫に住んでいる夫婦がお餞別代りに送ってくれたのだ。

帰国してからは残念ながら一度も会えずにいるが、留学後も奥様とはずっと手紙やメールでのやり取りをさせていただいている。夫婦で獣医を経営しながら
3人の子供を育て、犬やうさぎ、金魚、ヤギ、牛まで飼っているムツゴロウ一家のような家族である。
パン作りに凝っている、と初めてきいたのは10年近く前の事であったが、今ではちょっとした副業になっているらしい。箱一杯に詰めてくれていたのは、
パン屋さんで売っているようなありとあらゆるお惣菜パンに天然酵母パン等。地元でもお得意さんがいるという彼女のパンはどれも本当に美味しかった。
アメリカで白くて柔らかいパンを食べるには自分で焼くしかないだろうと思っているのだが、今から頑張ってももう遅いかしら。

ドイツにも日本特有の柔らかいパンはなかった。お米ではなくパンが主食のドイツでは、日本のようなふわふわパンでは食べた気がしないからなんだろうと思う。
ドイツのパンはずっしりと重量感があり、食べなれると日本のお米のようになんともいえないほのかな甘味がある。
柔らかい食パンが恋しくなった日本人留学生がパン屋で「一番柔らかいパンをくれ」といったらバゲットがでてきたという話をドイツで聞いた時には、
日本人とドイツ人のあまりの感覚の違いに大笑いしたものだったが、味覚は本当に国によって違いが大きい。異国の環境に適応しようとする時に一番
変えにくいのは食生活なのではないだろうか。

娘と私の渡米がなかなか実現しない中、自炊をする時間もないダンナは向こうで首をながーくしているようである。
家族恋しさと和食恋しさ、さてどっちが大きいんだろう?

1月20日(日) キッズランド

娘を連れて妹と買い物へ。行った先で30分400円で娘を遊ばせられる「キッズランド」というコーナーを発見した。キッズランドには滑り台、迷路とボールの
プールが合体したような大きなアスレチックコーナー、ままごと用の家や乗って遊べる車、積み木など、楽しそうなおもちゃがたくさんあり、黙って通過するつもり
だったのだが、入りたいと騒ぎ出した娘をそこで遊ばせ、妹と私が交代でお互いの用事を済ませる事にした。

色んなおもちゃを目の前にして、娘はまずテーブルと椅子に座って積み木で遊び始めた。すぐに他の子供が乗っている車を見て、同じような車に乗って運転
し始める。しばらくすると降りてアスレチックコーナーにのぼりはじめたが、母が一緒に入ってこられない場所だとわかると「いっておいでよ。楽しいよ。」と、背中を
押しても戻ってきてしまい、そこには近づかなくなった。久しぶりに同い年の子供達と遊ばせてあげようと思ったのだったが、見ていると他の子が遊んでいない
物を選んで隅の方でちまちまと遊んでばかり。そして「ままー、みてみてー。」と、時折私の方を振りかえるのである。
車を見つけて遊び始めた娘に、さっきまでそれに乗っていた子が「あ、それ乗っちゃだめ!」と言ってきた。見るとその子は既に他の車に乗っている。
黙って見ていると、娘は車を降りて「おともだちがのっちゃだめって。」と戻ってきた。おいおい、ものわかりが良すぎるよ。「もえちゃん、いいんだよ。おともだちは
他の車に乗ってるから。」「ほんと?いーのぉ?」と嬉しそうに再び車に戻る。
後で交代した妹にその話をすると、「あ、そういえばもえちゃんがおうちで遊んでた時もさあ、他の子が後から入ってきたら、もえちゃんが出てきて、「おともだちが
遊びたいって。」だってさ。恥ずかしいみたい。一緒に遊べばいいのにねー。」
マンションに遊びに行ったときは友達と楽しく遊んでいたのに。大人ばかりの環境の中でついつい聞き分け良く育て過ぎたのかもしれない。やっぱり早くアメリカに
戻って、他の子供達と一緒に遊ばせてあげたい。東京ではできない「そり遊び」を早く体験させてあげたい。

1月19日(土) 渡米延期

今日もビザは届かなかった。海外旅行保険の申込みや飛行機のチケットの購入等、ビザが届いてから1週間は時間が欲しいので、渡米も当初の目標だった
1月25日よりも後になりそうだ。
タイミング良くドイツ語の本のリーディングの依頼が入る。リーディングとは、依頼された本の内容を要約する仕事で、出版社がその本を翻訳・出版するか否かを
決めるための判断材料になるものだ。若者の手記を多用した文章は口語体で読みやすそうだったので引き受ける事に。お声がかかるうちが華だ。

1月16日(水) ガングリオン

今日は私が近所の整形外科へ。「ガングリオン」の治療のためだ。

2年程前のある日、左手首に変な突起が出来ているのに気がついた。触ると結構固いので、軟骨が飛び出したのかと思ったが痛みはない。なんとなく気味が
悪いので近所の総合病院にいった時に、はじめて「ガングリオン」という名前を知ったのであった。
深刻な病名を言われたら、という想像もチラッとしつつ医者に症状を説明して手首を見せると、「あ、これはガングリオンですねー。」とあっさり言われた。
ガ、ガングリオン?耳慣れない言葉だけどそんなに有名な病気なの?「あ、あの、ガングリオンとはいっても癌とは全然関係ないですから心配しないで
下さいねー。」あわてて付け足す医者。当たり前だ。そんなに明るく癌宣告されてもこっちだって困る。
結局、医者の説明によると、体内にできた袋にゼリー状の物質がたまってふくらんでくるもので、手首等の関節は出来やすい場所らしい。原因は不明、放置
しても害はない。治療法は@手術で中の袋を摘出する、A太い注射で中のゼリーを吸い出す(袋はそのままなのでまた膨らむ可能性もあり)、の2通り。治療
とは呼べないかもしれないが、B押してつぶす のもありらしい。
その時はAで解決したのだが、去年渡米直前になってまた同じ場所が膨らんできたので、再び実家の近くの整形外科に行ったのである。

以前いった総合病院よりだいぶ小さなクリニックだったが、やっぱり治療法は変わらないらしい。「僕はしつこいからねー。全部吸い出すまでやりますよお。」と
言いながら、医者は普通の注射針の2倍ぐらいの太さの針を患部に刺し、親指でぐりぐりと袋を押しながら注射でゼリーを吸い出した。原始的な方法だ。
しかもこれが結構「イダイ」。。。前もこんなに痛かったっけ?と思いながら、あらためて「忘れる」という事の大切さを実感。

ちなみにこのガングリオン、会社で話すと「私も」「私も」と、思いがけずお仲間がたくさんいた。知る人ぞ知る病気(?)らしい。

1月15日(火) 予防接種

近所の小児科へ娘を連れていく。おたふく風邪の予防接種を受けるためである。
娘は現在2才8ヶ月。この段階で受けられる予防接種はこれで全部だ。日本の予防接種はそれぞれ4、5週間ずつ間隔をあけなければいけないので、
義務づけられているものはかなり前から計画的に済ませてきたのだが、任意の予防接種のうち、おたふくだけが間に合わなかった。

「もえちゃん、お散歩いこうか。」「おしゃんぽ?じーじといくの?」「ううん、ママとだよ。いく?」「ままと?うん、いく!わーい、わーい、うれしーなー!」。
ちょっと罪悪感を覚えつつ、買い物にいく母の車に乗せてもらって病院の前で降りた。「ばーば、いってっしゃーい!」車に手を振り、私と一緒に病院の中へ。
子供用のスリッパをはいて待合室のソファに座っている娘はご機嫌である。診察室に呼ばれ、私と一緒に腰掛けに座ってもまだニコニコ。なぜか自分から
シャツのスナップを外す。
「あ、もえちゃん、もしもしだねー。」聴診器を胸にあてられてちょっといやーな予感がしてきたのか、娘の顔が曇ってくる。口を開けてのどの腫れを調べようと
した時にとうとう泣きはじめてしまった。娘は昔から痛くもない「おくちあーん」が大嫌いである。これさえなければ、注射を受ける瞬間までご機嫌でいてくれると
思うんだけど。針が刺さった瞬間、「いったぁーい!」とさらに激しく泣き出した娘は、終わってからもしばらくの間私を見上げたまま涙をぼろぼろこぼしながら
泣き続けた。つみほろぼしという訳ではないが、帰り道にある公園でしばらく一緒に遊ぶ。

これだけ受けておいてもアメリカにいけば予防接種の種類が異なるので追加で受けなければならないらしい。しかも向こうでは間隔をあけるどころか、同じ腕に
一度に3本、等も珍しくないとか。想像するだけで可哀想でたまらなくなるけど、避けられない事なんだろうな。

1月14日(月) パソコン

ホームページの日記を書いている最中にPCがフリーズ。SAFEモードでしか立ち上がらなくなった。
SONYのカスタマーセンターに電話し、あれこれと指示通りに操作してみても結果は同じ。「Windowsを再インストールするしかないですね。」と言われたが、
付属のCD-ROMはアメリカに置いてきたのですぐには無理である。
いっその事、母が買ったばかりの最新版Windowsをインストールしちゃおうか、とPC内の書類等をフロッピーに保存し始めた。が、ダンナの勉強関係のファイルが
あまりにも多くてフロッピーの枚数が足りない。もうTUCKにも入学した事だし、捨てちゃっても。。。なんて考えたりもしたが、それがバレたら今度会った時に
殺されそうだ。第一、私の古いPCの容量では最新版Windowsを入れちゃったらかえってフリーズするだけだろう。

あれこれとやっているうちに面倒くさくなった。とりあえず問題を先送りしようと、PCを閉じて母の夕食の買い物に同行。
なんだか一日が無駄に過ぎてしまったぞ、と腹立たしく思いながら帰宅し、気分一新してPCを起動してみた。なぜか直っていた。
カスタマーセンターのお姉さんの的確なアドバイスが効果をあげた訳じゃないし、自力で問題点を発見・解決した訳でもない。なのになぜか直っていた。
そういえば前にも一度そういう事があったんだよね。パソコンって結構ファジーな部分があるのかもしれない。

ちなみにこのPC、私が目にも止まらぬ見事な指さばきで操作している時にフリーズする事が多い。もう少しタイピングスピードを落としてあげよう。
(というより、君のミスタイプが原因なのでは。。。)

今日は日本全国で成人式が行われていた。どこの自治体も、今時の若者達に受け入れられるための企画に苦労したみたい。
千葉ではディズニーランドが会場になったらしい。インタビューされた女の子が「こういう場所だとみんな子供の頃の心に戻るから、悪さとかしなくていいんじゃ
ないでしょうか」と答えていた。「成人の日」に子供の心に戻るって。。。

1月13日(日) ショッピング

地元にある東急ハンズもどきのお店でお買い物。
もともと一時帰国する事は決まっていたので、迷った物に関しては再渡米の際に判断するつもりで最小限の荷物で渡米した。実際アメリカに行ってみると、
子供服の安いお店もあるし、革靴は日本より安いし、「日本からお金をかけて送るよりも現地調達した方がいいものも結構あるなあ。」、という印象。再渡米
の荷物は食料中心で、それほど多くならないように思えた。
が、帰国してしばらくたつとあら不思議、「なんでもかんでも日本から持っていきたい病」にかかってしまうのだ。「あっちで見つからないと困るし、やっぱり
日本製の方がしっかりしてるんじゃ。。。」と、店内にあるもの全てが必要に思えてくるから危険である。
片っ端からかごに入れたくなる衝動をかろうじて抑え、向こうにいったときに気付いた品々のリストをさらに吟味し直しつつ、かごに入れていく。

先日ダンボール2個を船便で送ったのに、部屋の片隅にある「持参する物コーナー」は再び着々と膨張しつつある。飛行機に持ちこんでいい荷物の重さは
私と娘の2人分で、約50kgまでは大丈夫なはず(もちろんエコノミー)だけど。。。

特筆する事がないので日記の更新をしばらく怠っていると、そのうちカウンターの数字の増えるペースが緩慢になってくる。なんでもいいからまめに更新すると、
再びカウンターがカタカタと動き出す。気にしてくれる人がいる、というのは本当に励みになるものです。
アメリカに戻って生活が落ち着いたら、これまでのコーナーに加えてリンクコーナーも作りたいし、未来のTUCK生のご家族に見てもらえそうな内容等、充実
させていきたいと思います。どうぞ気長にお付き合い下さい。

1月10日(木) 鶴瓶の妻

ダンナのHPの昨日付日記の一部分。

ホッケーのトライポッドチームのジャージが出来上がった、という連絡をもらい、ジャージを受け取りに行く。ジャージの背中にはそれぞれニックネームがプリントされているのだが、
一年生のそれは二年生部員が決める、という慣わしになっているらしい。そしてそれはジャージが出来上がってくるまで秘密なのだった。いったいどんな名前になっているのか、と
わくわくしながら受け取り場所へ向かったところ、二年生から「これだよ」と渡されたジャージの背中には、「94」の背番号と共に「TSURUBEI」(鶴瓶)の文字が。。。

大昔、妻と付き合い始めた頃、妻がまだ僕のことを紹介していない友人に対して僕のことを説明するのに、「笑福亭鶴瓶に似てる」と言っていたことを思い出した。自分の中では
全然似ていないと思っていたのだが。しかし、こんなことを書くと、僕を見たことがない人の頭の中では、すっかりオーバーオール着てアフロヘアーの鶴瓶(古い)そっくりの僕が
出来上がってしまうかもしれないので、一応念のため申し沿えておきますと、鶴瓶よりもむしろサッカーの中田に似てます(Tさんには「中田はないでしょう」と否定されたけど)。
中田1と鶴瓶9(随分多いな)をブレンドした感じでしょうか。

これを読んだ最初は小躍りして喜んでしまった。9年越しの疑問が解決してすっきりしたような、爽やかな気分になったのである。

ダンナと初めて会ったのは就職を決めた会社の「内定拘束日」である。朝早い時間に呼び出された私達内定者は女性2名、男性4名の、合計たったの6名。
内定者達の向かいには人事部の偉い方々。緊張と沈黙のこの場面で、ダンナはなんと1時間近く遅刻して来たのだった。
猫背気味に、謝りながら部屋に入ってきたダンナは、一目見て「うわー、鶴瓶そっくりだぁ!」と思う程だった。のに、今まで本人はもちろん、誰に同意を求めても
力強い賛同を得る事はなく、「どうしてー?」と不思議で仕方がなかった。

あれから年月が経ち、気がついたら私自身もダンナが鶴瓶に似てるとは全く思わなくなっている。真っ黒に日焼けしている時はむしろ中田に似てると、
身内びいきではなく思ったりする事もある(それが身内びいきなんだって)。なのに、どうして今ごろになって鶴瓶なんだ?
ひとしきり喜んだ後で、ちょっぴり複雑な気分になった出来事であった(それは鶴瓶に失礼か)。

1月9日(水) ジブリ美術館

妹二人と弟夫婦と一緒に昨年10月三鷹にオープンした「ジブリ美術館」に遊びにいく。昨年この美術館を新聞で知り、実家からも近いのでトトロの大好きな
娘を連れて行く事にしたら、妹達が我も、我も、と名乗りをあげてきた。仕事持ちの彼らと日程を調整している間に年を越してしまったものの、やっと実現した。
美術館は日にちも時間も事前に決める完全予約制。ローソンまたは電話のみでの3ヶ月ごとの予約は、解禁間もなく一杯になるほどの人気である。
予約後、よりによってはずせない用事が入った私は、泣く泣く入館後1時間で娘を妹達にお願いする事に。

色とりどりのパステルカラーの外観の美術館の中に入り階段を降りてメインホールに入ると、気持ちのいい吹き抜けの空間のあちこちに空中廊下やらせん階段
があって迷路のような構造。順路を決めずに気ままに歩きまわるのも醍醐味のようである。天井のフレスコ画やステンドグラスの窓、いたるところに見落として
しまいそうな小さな「工夫」がこらしてあって、時間を気にせずにのんびりと宝さがしをしたくなるような空間である。写真撮影が禁止されているのが残念。
アニメーションの原理がわかるお部屋をのぞいてから私がいられる間に「ネコバスのお部屋」に娘を連れていった。
実物大より少し小さめに作られているらしいが、10人近くの子供達が中に入ったり背中にのぼったりして遊んでいる。「のろうねー」と楽しみにしていた娘だが、
いざとなると足や顔の部分に遠慮がちに登るだけで満足し、中に入ろうとしなかった。バスのなかにびっしり敷き詰められていた「マックロクロスケ」のぬいぐるみが
怖かったのか、それとも先客に敬意を払ったのか。

娘を妹達にお願いして用事をすませてきた私は、立川で再び彼らと待ち合わせて遅目の昼食。店にいってみると、娘はベンチ席で高いびきをかいていた。
美術館を堪能して電車に乗った途端に寝てしまい、弟がかついで来てくれたらしい。

1月8日(火) 雑事

出がけにビザの書類を投函してから横浜のリサイクルショップへ渡米時に売った品々の代金をもらいにいく。4万8000円。1人分の飛行機代にはなりそうだ。
その足で元のマンションへ。管理人さんに預かってもらっていた最後の郵便物を引き取る。急いでいたので、マンションのお友達には挨拶できず。残念。
そこから歯医者に向かう。再渡米前の最後の診察。実家に戻る頃にはすっかり暗くなっていた。
細々とした雑事が少しずつ片付いていく。再渡米の日がだんだん近づいてくる。

1月7日(月) ビザ Part 2

アメリカ大使館のHP上で「申請用紙は旅行会社で無料で入手できます」という文章を確認してから再度旅行会社に問い合わせ。104で近くの大きな支店を
調べてもらい、電話で頼んでみる。しかしやはり「ちょっと置いておりません。」との返事。そのうちの1社については、用紙はあるような言い方だったのに。
アメリカ大使館に直接行くしかないかと電話をすると、今度は「同時多発テロ以降、現時点では郵送のみの取り扱いとさせていただいております」との事。
ダメもとでさっき電話した旅行会社に大使館の状況も話してもう一度掛けあってみると、今度は「ご来店いただければお渡しします。」と言ってもらえた。

「ですが、こちらの用紙もコピーをお渡しするような形になります。」
「え?コピーでも大丈夫なんですか?」
「はい。」
「あの、実は1枚なら手元にあるんです。2枚必要なんですが、それを自分でコピーして使っても良いんでしょうか。」
「はい、大丈夫です。」

なんだぁ〜。「金にならない客はお呼びじゃないっての?」と旅行会社の対応に怒っていたこの2日間は一体なんだったんだ?
それにしても、最後の一枚を1人分だけ先に記入してしまわなくて本当に良かった。今回ばかりは怠け者の自分に感謝、感謝。コンビニで用紙を多めに
コピーし、鉛筆で下書きしてから清書。書類一式を完成させた。最初からこうしていれば今ごろはビザもとっくに出てたって。

1月6日(日) ビザ

年末にダンナが持ちかえってくれたビザ申請用の書類をまだ提出できずにいる。アメリカ大使館からもらってきた用紙を書き損じてしまったまま、年末年始の
休暇に入ってしまったからだ。書き損じた時のために2枚もらってあったのだが、年齢に関係なく申請しなければならない、つまり娘と私の2枚必要だとわかった
時には既に1枚失敗していた。
休みが明けた今日、旅行会社を3件まわったが、どこも用紙は置いていないという。取り寄せをお願いしたら「ご旅行を申し込んでいただいたお客様のみ」
旅行会社もケチくさくなったなあ。
娘の写真をとるためにスピード写真用ボックスに入る。据付けられた腰掛けを一番高く調整しても所定の位置に顔が入ってくれない。私のかた膝にかばんを
のせ、その上に娘を座らせた苦しい体制での撮影。1回目は、私の肩と腕が入ってしまったので、キャンセルボタンを押した。最後のカウントがかかっても娘が
キョロキョロと落ち着かないので、「もえちゃん、前向いて!ママの方じゃない、こっち!ほら、顔から指をどけるっ!はいにこぉーっっ!!」と、
思わず余計な指示までしてしまったのに気が着いた時にはもう遅かった。シャッター音の直後に「インサツシマス。シバラクオマチクダサイ。」と、容赦のない機械
音声が流れ、撮影が終わってしまった。
出来あがった写真をこわごわ覗くと、案の定、にぃ〜っと満面の笑みを浮かべた娘の顔。糸のように細い目、歯をむき出しにして笑っている顔はパスポートの
写真とは別人のようである。「あら、いいじゃない、可愛く映ってるわよ。」と、ピント外れな母のコメント。この写真を使っても大丈夫かな。。。

1月5日(土) 同窓会テニス

高校時代の男女テニス部有志で久しぶりのテニスの企画。男性側のT氏が会員になっているテニスクラブでビジターとしてプレイさせてもらう形で実現した。
女性陣の同窓会は卒業以来お茶や夕食の企画ばかり。テニスから遠ざかるにつれて「テニスをしよう」という案はなおさら出てこなくなっていた。今回T氏が
持ちかけてくれた同窓会テニスは、最終的に女性が私を入れて3人、男性は5人集まった。

午前中に突然空が暗くなり、降りはじめた雨が雪に変わりコートの使用が一時中断になった時はヒヤッとしたが、幸い天気は持ちなおし午後からはコートも
再び使える事になった。
しかし。。。打てない。とにかく打てない。あったはずのボール勘はあとかたもなくなっており、昔のように走れるはずもなく、自信のなさも手伝って球出しさえ
ままならない。テニススクールのレッスン第1回目の初心者でもまだましにちがいない。
寒い中、ひたすら体を動かし続けている間に一旦はかなり気持ちよく打てるようになったのだが、交代してしばらくコートサイドで観戦していると、あっという間に
体が冷えきってしまい、次に入る時にはまたゼロからのスタートである。しかもそれが自分だけであり、最近でもしょっちゅうテニスをしているらしい男性陣は
もちろん、他の女性二人も時間がたつにつれてかなりプレーが安定してきていたので、なおさら肩身が狭い。

それでも高校時代の友人達がテニスウェアでわいわいとプレイしている姿はとても懐かしい光景であり、寒さに震えながらもとてもすがすがしい、気分の良い
時間を過ごした。アメリカはコート代も安いし、再渡米したら久しぶりにテニスを再開したいなあ。

1月4日(金) 100円ショップ

アメリカに送る物の買い出しのため100円ショップへ。去年の8月には最小限の荷物で渡米したのだが、アメリカ製では代用しにくい物が何かとある。
その最たる物の一つが和食器だと、行ってみて思った。
あちらは平皿はサイズも豊富だが、お茶碗や汁椀として使えるような深めの食器は少ない。サラダボウルやココット皿で試してみたものの、やはり日本人と
してはご飯はお茶碗で、味噌汁は汁椀で食べたい。もっというと煮物は深鉢で、日本茶は湯のみで、丼物はどんぶりで、ときりがなくなってしまうんだけど。
ボストンなどの大都市に出れば入手できるのだが、かなり割高なので帰国時には置いて帰ってくるつもりで100円グッズを活用する事にした訳である。

店内の食器コーナーには、プラスチック製の軽い「和食器もどき」がそろっている。一見漆器なのだが、表示を見ると実は「ウレタン塗装」なのだ(うそじゃん)。
でもこの場合、それがありがたい。ハノーバーは乾燥がひどいので本物の漆器は割れるそうである。陶製のお茶碗以外は輸送時に割れないように
プラスチックの汁椀や深鉢を購入した。食器のほかにもこまごまとしたものを入手。ありがたいお店である。

帰宅すると、スノーブーツやひげそりの件でダンナに出したメールの返事が。「スノーブーツは気付いたんだけど、入らないとおもって。。。渡米準備頑張ってね」。
なんと。確信犯たぁ、ふてぇ野郎だ。不便だろうと同情して航空便で送る事も検討していたが(向こうで買いなおした方が安いって)、もう知らん。
大雪のハノーバー、私が渡米するまでは普通の靴でがんばりたまえ。

1月3日(木) 荷造り

夕食後にアメリカに送る小包を作り始める。今からSAL便または船便で送ったら、再渡米して間もなく向こうに届くはずだ。去年の8月の渡米時点で
一時帰国する事がわかっていたので再渡米まで実家に置いていった物もある。荷物は結構多そうだ。

送る予定の物たちをひとまとめにした部屋の片隅を点検すると、先日ディスカウントストアで買ってきたスノーブーツが出てきた。向こうは既に大雪なので、
すぐに必要になるものである。これはスーツケースに入れないとだめかなあ。
と思ったら、なんとダンナのスノーブーツまであるじゃあないか。2日に一緒に持っていくはずだったのに。しかもその隣にあるビニール袋にはひげそり等、
毎日必要な「身だしなみセット」がまるまる入ってる。

元旦の夜にせっせとスーツケースの荷造りをしていたけど、ダンナは一体何をつめてたんだ?

1月2日(水) 見送り

ダンナを見送るために成田まで同行する。実家で一足早く別れを告げた娘は「ぱぱあめりかいくの?ばいばーい。」といたってドライである。
「ぱぱ、えーんてなくよ。」にはダンナも苦笑(君が泣いてあげなさいって)。
大分余裕を持って空港に着いたので「最後の和食」を楽しむ。食後売店で買い物をしてから喫茶店に向かう途中で、クラスメートのT氏にバッタリ。飛行機の
便も一緒だった。

一緒にお茶を、と誘ったら「お二人の邪魔をしては。。。」とちゅうちょする独身のT氏。
まだまだ青いな。結婚して6年もたつとチミが想像するような劇的な別れにはならないのだ。しかも今回は1ヶ月足らずでまた再会できるんだし。
遠慮するT氏を無理やり誘ってダンナと私はお茶、T氏は食事。
それでも食事を終えてチェックインの時間になるとT氏は「先に入ります」とそそくさと消えていった。

1人で成田に見送りにいくのはあまり好きではない。「いっちゃったねー。」と話せる相手がいれば平気だが、見送った後、一人ゲートの外に取り残され、
空港からの長い道程を帰っていくのはそれだけでなんだか淋しくなる気がする。
成田へ向かう電車の中でそんな事を考えていたが、今回はT氏に逢って3人でおしゃべりしたおかげで、にぎやかな気分のままで見送る事ができた。
二人ともまた猛勉強の生活が始まりますが、体に気をつけて頑張って下さい。

帰りの電車の中で自分の再渡米のためのもろもろの準備について思いをめぐらす。そろそろのんびりモードから抜け出さなきゃ。

1月1日(火) 元旦

のんびり寝坊してから家族全員でおせち&お酒&お雑煮のブランチ。実家の毎年恒例の元旦である。一番下の妹だけは通常通りの出勤。
明日再渡米するダンナは最後の休日をほとんど寝て過ごした。アメリカに戻ったらとれなくなる睡眠時間を先取りするつもりらしい。

かくして2002年の初日はほとんど家族の触れ合いがないままに終わってしまった。一年の計は元旦にあり。

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