Diary of February    Makko's Diaryの目次へ   ホームへ戻る    翌月へ  

2月28日(木) 日本文化紹介。。。ならず 

朝7時に起きて身支度をし、朝食を済ませる。今日の日本文化紹介で使う備品を再度確認。よし、忘れた物はないはず、準備は万端だ。
8時頃にそろそろ、と娘を起こしにいくとご機嫌ななめである。おでこが熱い。38度以上ありそうだ。わぁ〜ん!なんでー?

結局、行きに乗せてくれる予定だったK君ママには備品のみを取りにきてもらい、帰りに乗せてくれる予定だったMさんにも連絡、文化紹介の間子供達を
集めて午前・午後グループのメンバーが交代で面倒をみる予定だったS宅にも電話して謝る。
娘は元来丈夫でめったに体調を崩す事がないので、娘の体調が原因で大事な約束をドタキャンするのはこれが初めての気がする。他のママがそう言って
きたとしても全く気にならないのに、いざ自分がキャンセルする側になってみるとなんとも申し訳なく、情けない気分である。
かくして娘は終日「寝て、起きて、ミルクを飲んでまた寝る」という、新生児のような一日を再び過ごす事になった。ここ数日の中でも一番忙しくなるはずだった
今日が、私にとっても一転して暇な一日に。メールのチェックをしたり、テレビを見たり、時計を見て「午前中の部が終わった頃かなあ」等と考えたり。。。
あまりにも暇でつい娘と一緒にウトウトしてしまった。。。こういう時こそ英語の勉強でもしろって。

娘は高熱のわりには元気なので、この前の時に比べて不安感はない。日本から持参した咳止め薬を見ると、「あ、これ、おいしいおくすり。もえちゃん、
いやーっていわないね。」と喜び(こっちで買った「タイレノール」は、錠剤もシロップもだめだった)、くいっと飲むと「あー、おいしいー!ごちそうさまー!」等と
言っている。夕方には多少熱も下がり、「もえちゃん、こーときておそとにいく。」と言うのを止めるのにむしろ一苦労であった。

夕方5:30からSachemに住んでいるTracy宅で、女の子ばかりを集めた「パジャマ・パーティー」に誘われていたので、断りの電話を入れる。「ご主人が帰って
きたら1人でもおいでよ」と言ってくれたので、ダンナの帰宅後に娘をお願いして30分だけ顔を出した。パジャマを着てお気に入りのぬいぐるみや毛布持参で
母親に連れられてきた子供達は総勢11人。アイスクリームを食べたり、おもちゃ部屋で遊んだり、歌遊びをしたり、ビデオを見たり。娘が一緒だったら、
さぞ喜んだだろうなあ。

2月27日(水) Friendly's Dinner 

2時頃にセントラルヒーティングのボイラーを清掃するおじさんが来る。「3月1日までの間に各ハウスをまわる予定」との案内を事前に受けとっていたので、
「留守中に土足で家に入られるといやだなあ。」と、「土足厳禁」の張り紙まで用意していたのだが、都合のいい時に来てくれてよかった。靴を脱ぐように
お願いしたら、持参したビニール製の靴カバーを靴の上から履いて作業をしてくれた。
作業は2時間近くかかったので、その間私と娘は遅めの昼食を食べたり、明日の備品を届けに来てくれたYさんとお茶をしたり。娘は優しそうなおじさんを気に
入ったようで、途中何度も「おじちゃん、まだいるかなあ。」と、ボイラーのある寝室を覗きにいく。

夕方5時からはWest Lebanonにある"Friendly's"というファミリーレストランにママと子供達の有志で集まる。昨日と違って最初からEちゃん親子と一緒だった
からか、はたまた昨日で多少免疫ができたからか、娘はEちゃんに後をついて他のテーブルの子供達のところにも行ったりしていた(Eちゃんは週3日幼稚園に
通っているので、外国人を避けるどころか、言葉まで使い分けて遊んでいる大先輩である)。まだ積極的に自分から寄っていくまではいかないが、「ハーイ」、
「バーイ」、「サンキュー」、「ソーリー」は、私が必要に応じて促すと抵抗なく口にするように(以前は頑として言わなかった)。子供の順応って、案外早いのかも
しれない。そのおかげで今日は私もテーブルの近いママ達と結構話せて満足。新しい約束もいくつか出来た。
このファミレスはドリンク・メインディッシュ・デザートがセットの"Kid's Menu"がたったの$3.90。頼んだコーヒーを忘れたり、Doggie Bag (食べ残しのお持ち帰り用
パック)を頼んだのにうっかりとお皿を下げたりと、ウェイトレスの不手際はたくさんあったが、この値段では仕方ないか。

今日もマイカーは届かず。というより、ダンナが忙しすぎてピックアップにいけなかったのだ。そんな事もあろうかと、ママ友達の手配をしておいてよかった。
明日はいよいよ小学校での日本文化紹介である。

2月26日(火) Sachem Playgroup

朝ダンナを送り出した後、9:30からSachem内で開かれている"Playgroup"に初めて顔を出す。会場はSachemのパーティ会場として使われている2軒の
ハウス(私達が住んでいるのと同じ外観で、中の壁をぶちぬいて広く使えるようになっている)である。「もえちゃん、たくさんのお友達のところにいこうねえ。
Eちゃんも来ると思うよ。」といって娘を連れ出した。
中に入ってみると、産まれたばかりの赤ちゃんから6才ぐらいまでと幅広い子供達が遊んでいた。ママ達もソファーに座り、赤ちゃんを抱いたりコーヒーを飲んだり
している。去年の8月に話したMonicaもいて、「ずいぶん久しぶり!もう慣れた?」と声をかけてくれた。ざっとその場にいるママさん達に自己紹介をして娘の
反応を見る。Eちゃんはまで来ておらず、知り合いのいない娘は案の定、不本意そうにしている。周りの言葉がわからず、しかも突然母親まで日本語と英語の
ちゃんぽんで話しかけるようになったのだから、無理もない。「お友達と遊んでおいでよ。」といってもいやがり、奥のおもちゃが置いてある部屋に私をひっぱっていき、
延々と二人っきりで遊び始める。「あっちにおもちゃを持っていって遊ぼうよ。」といっても「いやっ!」。
しばらくしたらK君がClaudiaに連れられて入ってきた。K君ママは在宅の仕事のため、週2日ClaudiaにK君を預けているのである。「あ、K君!」と嬉しそうに
駆け寄る娘(ちなみにいつもはEちゃんとばかり遊んでK君には見向きもしない)。しかしK君は真顔で娘を一瞥したかと思うと、風のような素早いハイハイで
Claudiaの方に逃げ帰っていってしまった(笑)。
結局、第1回目のPlaygroupは母子共にあまりsocializingできずに終わってしまった。でも今度アルゼンチン人のPaulaのところに遊びに行ける事になったし、
明日は有志でアイスクリーム屋さんに集まる企画に参加する事になったし、初参加の収穫としては御の字としよう。

Playgroup終了間際に来たEちゃん母子に誘われて、最近出来たばかりだという韓国レストランでランチを食べる。その後で近所のおもちゃ屋とWalmartに
行って、娘のためにおもちゃをあれこれと物色。
実は未だにマイカーが修理から戻ってこないので、私と娘はチャイルドシートをかかえつつ、その日乗せてくれる人を探すジプシー状態である。その上、アメリカの
口座は旦那名義でカードも今のところ本人用の1枚のみ。車とお金を取り上げられて相変わらず行動範囲の狭い母子であるが、ママ友達の好意で自宅に
こもりっきりになる事もなく、楽しい毎日を過ごせている。
私のクレジットカードは日本の口座から引き落とされるのであまり使いたくないのだが、現金の持ち合わせがなかったので、カードを使う事にした。(ダンナにもら
おうとしても彼も現金を持ち合わせていないのだからしょうがない。こちらは完全なカード・小切手社会なので、皆現金なんてほとんど持たないのだ。春休みに
入ったらはやく口座の2枚目のカードを作ってもらわなきゃ)選んだおもちゃはLEGOブロックのセット、レジスターのおもちゃ(バーコードリーダーやクレジットカード
読み取り器、こちらのスーパーにはつきもののベルトコンベアもどき等がついた、結構本格的なもの)、"Play-Doh"という粘土遊びのキット(ソフトクリームが
作れる。大人がはまりそう)の他、日用品も多少買っても50ドルちょっと。こっちは子供のおもちゃが安くて本当に有り難い。
おもちゃを買ってもらった上にEちゃんと「日本語で」遊べて、「終わりよければ全てよし」の娘は夕食も食べずに寝てしまったのであった。

2月25日(月) 日本文化紹介

お昼前からEちゃんママ、U君ママとYさんが我が家に集合。今週の木曜に、近所のRAY Schoolで行なう「日本文化紹介」企画の打ち合わせのためだ。
今回の相手は小学3年生との事。日本文化紹介のグループは「着物」、「折り紙」、「書道」等と複数あるが、私が参加する事になったのは「書道」グループ。
ちなみに、日本の小学校を出ていない私の書道歴は、高校3年時の選択芸術の1コマのみである(おいおい)。

当日の予定は、10人前後の小学生達を相手に一回あたりの持ち時間約15分。それを午前・午後で合計8回程度行なうというスケジュールだそうだ。
午前中のグループはEちゃんママ、K君ママと私の3人、午後のグループはYさんとU君ママの2人、という事になった。当日の進行については事前にメールで
色々と案が出た結果、「日本の文字について簡単に説明した後に漢字当てクイズをし、最後に生徒達にも書道に挑戦してもらう」、という案に落ち着いた。
しかも自分の名前が日本語で書かれた「栞」のお土産つき。
たった15分の企画ではあるが、結構様々な準備が伴う。まずK君ママが英語での説明原稿を作成。U君ママがクイズに使う資料の作成。そしてお土産の
栞は全員で100枚近くひたすら作成。途中昼食やお茶をしながら、そして子供達の相手をしながらの作業は当然遅々として進まず。栞作成にあたっては
色画用紙やカラフルなペン、リボン等を使って子供達にも手伝わせたのだが、書き方や色のバランス等、あれこれと口出しする大人達の監視下での作業は
あまり魅力的ではなかったらしい。ほとんどの作業は大人達で仕上げる事となった。
夕方からK君ママも合流。こちらの一般的な名前の当て字を予め準備しておこうという彼女の案で、男女の名前30近くの漢字をあーでもない、こーでもないと
エクセルで作成。スコット=助人、ブライアン=無頼庵、等はかなりのヒットではないかしら。さすがにステイシー=捨石、は却下となった。そりゃそうよね。

子供達は時にはぐずり、時には喧嘩し、時には「相手をしろ」と大人にまとわりついたものの、作業が終わる頃にはさすがに疲れてしまったようだ。
娘は今日、なんとEちゃんを突き飛ばして泣かすという大技をやってのけた(Eちゃん、ごめんねー)。
普段元気一杯でおてんばさんのEちゃんの方が泣き出したのにはママ達もびっくり、娘はもっとびっくり。慣れない事をしたせいか、お友達たちが帰る前に「眠い」
と言って、勝手にベットにもぐり込んでしまった娘であった。

夜、ダンナが帰宅。ピックアップしてくる筈のマイカーは「部品が届かない」と水曜に。またまた運転できない生活が延びてしまった。それよりも、木曜の文化紹介
までに車が来なかったら。。。いやーな予感のしている私。。。

2月24日(日) お誕生会

お昼前に「メアリーさんのお茶会」で知り合ったKさん宅に遊びにいく。今日は1人息子のR君の2才のお誕生会なのである。
Kさんご夫妻は3ヶ月間の予定でこちらに滞在している。ご主人は新潟にある国際大学のMBA2年生で、希望者が参加できる短期の交換留学プログラムで
TUCKに来ているそうだ。
お宅に行ってみると、既にEちゃん、K君、U君とそれぞれのママ達が来ていて、初対面のMさんとお二人の息子さんR君とK君ともお近づきに。見渡す限りママと
子供達ばかりの中、日曜で授業のないKさんご主人も一緒に歓迎して下さった。
たくさんの美味しいご馳走に舌鼓を打ちながらおしゃべり。子供達もよく食べ、よく遊んでいた。お誕生日ケーキが登場した時は子供達がさらに興奮。ショート
ケーキの上のきれいな飾りはナイフを入れる前に皆食べられてしまい、R君のたった2本のろうそくは、なぜかEちゃんに吹き消されてしまう(笑)。
R君への我が家からのプレゼントは、アメリカの子供達に大人気の恐竜のキャラクター"Barney"の絵本セットだったのだが、いざプレゼントをあげる段階になると
娘が「いや!もえちゃんがよむ!」とごねはじめてしまい、結局私からR君に手渡した。家ではあんなに「Rくんにどうぞするのねー。」と言ってたくせに。
大勢で夕方まで食べ散らかし、遊び散らかした末に帰る。「お楽しみ袋」までお土産に頂いて、今日も上機嫌で帰宅した娘であった。
料理の苦手意識が未だ払しょくできない母は、娘の誕生月の5月が今から怖い。。。

2月23日(土) Winter Carnival

午前中に大学近くにあるOCCUM PONDへ。この池はウィンターシーズンになると厚い氷が張り、スケートやアイスホッケーのメッカになる場所である。
今日は池のとなりの丘でIさんご夫妻と待ち合わせ。ご主人がダンナと同じ時期にダートマス大学院のMEM(Master of Engeneering Management)に
留学する事になり、親子3人でHanoverへ。愛娘のNちゃんは娘よりも1才下である。
早速、Iさんが大学で行なっている調査のモニターを開始。様々なメーカーの「スノーシュー」の履き比べだ。スノーシューとは、雪の中をザクザク歩くための
「かんじき」のような物である。4足を次々と履き替えながら、平地や斜面を歩きまわって履き心地を評価。スノーシューの存在すら知らなかったので、
多少の違いは感じたものの、5段階評価するのは難しかった。果たしてお役に立てたのかどうか。。。
念願のそりすべりをする。娘を抱えて滑り出した途端、怖がって号泣した娘は、丘にいる間ずっと不機嫌極まりなかった。

モニターが終わってからはDartmouth Skiwayに移動。大学から20分程度、Sachemからも30分程度でいける大学所有のスキー場である。
今週末は"Winter Carnival"といって、チーム対抗のスラローム競技が開催されていたのである。毎年TUCKが主催する「冬の祭典」で、今年は全部で
19の大学のMBAチームが参加していたようだ。私達はゴール近くの下の方で観戦。ダンナの悪友達もそこに集まっていた。
おしゃべりしていると、突然大きな歓声が。見上げると、なんと素っ裸の男性が滑走してくる。もちろんパンツもはいていない。
会場全体がどよめいた後、爆笑。アナウンスも「タイムは。。。センチメートルで言った方がいいかもしれません」というような事を言っていたらしい。
その後もカクテルドレスで滑り降りてきた女性、LBS(ロンドンビジネススクール)はイギリス国旗の高い帽子にタータンチェックのスカート、アロハシャツにレイを
かけた男性等、結構「仮装組」も目立った。ダンナ達も「来年は日本人もぜひ何か」等と話していた。十二単なんて目立つぞ。神風はちょっとヤバイよね?

雪の上はずっとだっこだっこで、1歩も歩かなくなってしまった娘。スラローム観戦中、なんとか雪国に慣れてもらわなくちゃと、足元の雪で一緒に遊ぶ。
雪をかけあい、しりもちを付き、ごろんと寝転がり、きれいな雪を食べてみる。最後にはケラケラ笑いながら遊んでくれたが、帰る時にはまただっこだっこ。
そり遊びやスキー、スケートまでの道程はまだまだ遠そうである。

2月22日(金) イベントのフルコース

午前中、ダンナは大学で試験。娘と私は自宅でのんびり。日本では宵っ張りだった娘であるが、こちらでは時差が直りきらないうちに「早寝・早起き」の理想的
な生活リズムに落ち着いたようだ。このまま続けばいいんだけど。
昼前に近所に用事があったMさんが愛息K君と一緒に立ち寄ってくれた。K君は1才になったばかり。人見知りをしがちで未だ両親以外には笑顔を見せて
くれない。加えてその体格そして落ち着きぶりから、日本人TUCK生の間では「部長」と呼ばれているらしい。二人には去年1度会っているが、当時はハイハイ
もできなかったK君がもう「タッチ」を始めていた事に時間の流れを感じる。
日本では幼児の80%近くが利用していると言われるベネッセの幼児プログラム「しまじろう」のビデオを見せてみると、K君はまったく興味を示さずに私の操作
するリモコンばかりを触りたがった。娘のシステムキッチンに寄っていったかと思うと、これまたスイッチを一生懸命押している。部長はエンジニア系のようである。

夕方から、大学構内で開かれていた"Tuck Tails"に親子で参加。"Tuck Tails"とは、月1、2回程度TUCK構内で行われる立食パーティーである。
パーティーといっても、スナック類とドリンクを片手に学生やそのパートナー達がガヤガヤとおしゃべりしている飲み会といった感じ。普段はTUCK生中心だが、
今回は明日・あさってと行われる"Winter Carneval"に参加するよその大学院生も結構来ていたようである。
私と娘は再渡米してから初めての大学構内。去年の8月に会ったきりの懐かしい顔にもたくさん挨拶できた。言葉の通じない娘は初めは多少とまどって
いたが、雰囲気に慣れてからは一生懸命ピースサインをして「2才児」である事をアピール。ボディランゲージなら通じる事がわかったようである。

夜7時からはダンナの悪友TさんやIさん達と、「ダートマス大学VSプリンストン大学」のアイスホッケーの試合を観戦。プレイの合間にロックが流れ、にぎやかな
応援団の太鼓に会わせて人々が手拍子をしたり歓声をあげたりするお祭り騒ぎは、娘にはとても楽しそうに映ったらしい。
Tuck Tailsの時以上に上機嫌で、体を揺らし、手を鳴らし、Tさんたちに親指を立てるVサインをしてみせたりしていた。試合そのものは延長戦に入った末、
1−1の引き分け。残念。

2月21日(木) メアリーさんのお茶会

午後1時からお隣のIさんの車に乗せてもらって、念願の「メアリーさんのお茶会」に参加。この辺りの日本人なら誰でも知っている、噂のお茶会である。
メアリーさんとは、Hanoverの高級老人ホームに住んでいる親日家の女性だ。昔日本に住んでいた事があるらしい。彼女のお部屋では毎週木曜の午後に
日本人女性と日本に住んでいた事のあるアメリカ人女性が集まるお茶会が開かれているのである。

このお茶会の事を知ったのはある本がきっかけだ。女優の中井貴恵さんの「ニューイングランド物語〜信号3つの町に暮らして〜」という本である。彼女も
ご主人のアメリカ留学に同行して新婚生活をHanoverで送ったらしい。その時の経験をエッセーにしたこの本には、観光ガイドにも載っていない田舎町での
日常生活が実に楽しく鮮やかに綴られており、私は渡米前にこの本を読みながら、まもなく実現する田舎町との出会いをとても楽しみにしたものだった。
中井貴恵さんがHanoverに住んでいたのは10年近く前だったようだが、実際に来てみると彼女のエッセーそのままの風景・生活があり、時間の流れの
ゆるやかなこの町があらためて好きになった。
本の中で彼女がお茶を飲んだメアリーおばあさんは今も毎週お茶とお菓子を用意してくれていて、今日は子供も入れると実に20人以上が集まってのにぎやか
なお茶会となった。来週、近くの小学校で日本文化紹介の企画があるため、今日はその打ち合わせがメイン・トピックである。3ヶ月に一回ぐらいのペースで
この辺りの学校では日本人達が自国の文化を紹介しているらしく、それらは学校からメアリーさんの所に依頼が来るらしい。当時、中井貴恵さんが小学校で
日本の文化を紹介したとあるのは読んではいたが、それが脈々と続いているとは。こんな小さな町で日本の文化が紹介され続けているという事に、なんだか
感動してしまった。

夕方は親子3人で近所のCO-OPに買い出しに。これから月曜まではダンナが試験勉強体制に入るため、レンタカーでの運転を許可されていない私も
買い物はお預けである。この辺りのスーパーの中でも、CO-OPは様々な食材を豊富に扱っていて新鮮なので、山のような買い物になった。

2月20日(水) 静かな一日

午前中の2コマだけで帰宅したダンナは昼食をすませてから車を修理に持っていった。1時間ぐらい経って代わりのレンタカーで帰宅。フォードのワゴンである。
「おぉ〜、こっちの車の方がいいんじゃないの?」「でしょ?どっかいこっか。」とご機嫌のダンナ。今日から再び4連休である。しかし残念ながら今週は金曜と
月曜に試験があるらしいので、せっかくのワゴン車も単なる買い物車になりそうだ。
「結構大きいね。私、ワゴン運転できるかなあ。」と言うと、「あ、まっこは運転しちゃだめ。レンタカーの保険料が高くなるからドライバーは俺1人しか登録して
ないんだ。」車が月曜に修理からあがってくるまで、今週も私は助手席専門となったらしい。

勉強するのかと思ったら、「今日はどうにも眠い。。。」とすぐにベッドにもぐり込んでダンナはあっという間に高いびきである。そして娘は昨日あれだけ元気に
遊んでいたのに、今日は寝て起きて食べて寝ての「一日寝太郎」状態。今日はSachem内公園でのPlaygroupの日だったので、娘を連れていってあげようと
思っていたのだが、「いかない。もえちゃん、ねむいから」。なんともはりあいのない娘である。
昨日の夜は、スタディグループの作業が延びに延びたダンナが午前様、娘は夕食前から完全に熟睡体制に入ってしまい、あれほど固く誓った一週間ぶりの
「入浴計画」はあっさりおじゃんになった。
現在夜の8時過ぎ、私は1人淋しく夕食を済ませ、ダンナは寝室で高いびき、娘はリビングで高いびきである。この父子ってば。。。
もえちゃ〜ん、頼むからお風呂入ろうよぉ。。。

2月19日(火) にぎやかな一日

12時半頃、EちゃんママとU君ママ、そしてお隣に住んでいる日本人クラスメートI氏の奥さんが遊びに来てくれた。
ママ達は冷凍ピザを、Iさんはかぼちゃの煮物を持参してくれたので、炊いておいたご飯でおにぎりを作り、皆でにぎやかランチを楽しむ。
EちゃんママとIさんは去年の8月にも会っていたのだが、U君とU君ママは今日が初対面である。実はU君、わずか2才10ヶ月にして既に自分のホームページを
持っている(リンクコーナーをつくったらリンクさせてもらうようお願いするつもりです)。作者はダンナの一学年先輩であるU君パパである。
はじめて会うU君であるが、常々HPをのぞかせてもらっていたので「わー、本物だぁ〜!」と、思わず有名人に会った気分である。

Eちゃんが1月、U君が4月、娘が5月と、年齢の非常に近い子供達がそろったのであるが、ませるのが早い女の子2人が相手ではU君はかなり不利である。
気がつくといいくるめられておもちゃをとりあげられたり、女の子専門の「アクセサリー遊び」では仲間はずれにされたりして文句をいう場面も。彼らをまあまあと
なだめながら、大人達はこの辺りの便利情報や日本人コミュニティーの紹介、ここに来るまでのお互いの経緯等、くるくる変わる話題にガハガハと笑いながら
(それともガハガハは私だけだったかしら?)盛りあがった。子供が遊ぶ大騒ぎの中、大人達がおしゃべりに花をさかせるこの光景は、日本で満喫した
懐かしの我がマンションライフとそっくりである。

6時過ぎに解散した途端にぐっすりと寝入ってしまった娘。今日こそは1週間ぶりのお風呂(!)に入れようと固い決意をしているのだが。。。
高熱騒ぎの時に「水風呂」を経験して以来、娘はすっかり我が家のお風呂が嫌いになってしまった。一日中パジャマ姿の日が続いたせいか、毎朝お着替えを
させるのも一苦労である。食事もろくにしなかったし、まさにホームレス状態。いやホームレスの人の方がよっぽどきちんとしてるんじゃないだろうか。
今日はパパも早く帰ってくるはず、頑張ってお風呂に入れるぞ!

2月18日(月) 社交界デビュー

朝からご機嫌の娘。今日は多少咳が出ても辛くなさそうである。
窓の外は快晴。元気になった娘が外を覗きながらうずうずしているので、家の周りの散歩に出る。お散歩のためなら、とせっせと身支度を整えた娘だったが、
いざ外に出ると「だっこ。だぁ〜っこぉ〜!」とぐずりだした。
実は娘はすっかり「雪道恐怖症」である。
渡米した時はかなり冷え込んでおり、我が家でも玄関からのアプローチが凍り付いてツルツルになっていた。雪景色も初めて経験する娘だったが、それよりも
足元がおぼつかないのが不安だったらしい。おてんばなわりには慎重派の娘、「もえちゃん、すってーんするから。あぶないから。」と、すぐにだっこをせがむように
なってしまった。しかし雪道が嫌いだなんて、今後娘はこの町で一体どうするつもりなんだ?
結局、お散歩とはいっても歩くのは私だけ。今では12キロもある娘、深い雪の中をザクザク歩くのは結構な重労働である。最後にはぜーぜー息があがっていた
私に向かって「まま、がんばって。」と娘。あんたが頑張れって。

午後は日本から持参した小豆が古くならないうちにぜんざいを作る。コトコト音を立てるなべに差し水をしながら"TUCK PARTNERS' MAIL"をチェック。
他のビジネススクールがどうなのかは知らないがTUCKには"PARTNERS' CLUB"と呼ばれる、学生の恋人・伴侶によるコミュニティがある。「勉強の大変な
ダンナにほっとかれても、自分達で楽しみを見つけましょうよ。」という事なのでしょうか、そのイベントの数はかなりすごい。企画するのも自分達自身で、各学年
ともちゃんとボードメンバーが決まっているのである。
娘も復帰したし、という事で、毎週火曜の午前中にあるはずのPlaygroup(育児サークル)のスケジュールをチェック。Sachem Village内で行われるので、
病み上がりの手はじめとしては手頃な距離だ。

夕方、思いがけないお客様。ダンナのクラスメートK氏の奥様とその娘さんである。去年娘が大喜びで一緒に遊んだ「Eちゃん」だ。
TUCKの日本人コミュニティの2,3才児は男の子が多いらしく、娘と同じ年頃の女の子はEちゃんとあともう少し年下のNちゃんしかいない。
KさんはSachemに来たついでに娘の様子を覗きに来てくれたのだ。すっかり元気になっていた娘と退屈していた私にとっては実にナイスなタイミング。
まだ家にはなんにもないくせに彼女をお茶に引きとめ、ひとしきりおしゃべりの相手をしてもらった。久しぶりの「おともだち」に、娘は照れながらも嬉しそう。
Playgroup企画メンバーの1人でもあるKさんに聞くと、明日はSachem内ではなく博物館見学にいく予定とか。今回は見合わせる事にし、そのかわりKさんを
見学の帰りに誘った。まだ面識のないSさんとその息子のU君も連れてきてもらえそうだ。

体調が復活した途端、母子そろって念願の社交界デビューを果たせそうである。

2月17日(日) 連休最終日ー久しぶりの外出

明け方の4時に娘が突然復活。「もえちゃん、おきる!」ときた。「もえちゃん、まだまっくらくらだからねー。もう少し寝ようね。」と言っても無駄である。
パパは勉強を終えてこれから寝るところ、どちらかが付き合うとしたらやはり私であるべきよね。。。
娘とリビングに移動。「ビデオみる!」ニコニコしながら、日本から持ってきたビデオを3回繰り返し見る。「おえかきする!」。画用紙を前にクレヨンをにぎりしめ、
「もえちゃん、きいろのくれよんでかくからね。ままもかいて!」。「ママ、お仕事してるからね。」とパソコンに向かっていると、「ままもかいて!かいてってばぁ〜!」
そして次はままごとである。お皿にアイスを盛って出してくれた後は、「のどかわいた?ちょっとまっててね。」とお茶をサービスしてくれる。

1週間近くひたすら眠り続けた娘はすこぶるご機嫌で、私の目の前で狂ったように遊び続ける。母は君のペースにつきあい続けて時差ぼけがあるのかないのかも
わからないほど朝と夜がぐちゃぐちゃになっているというのに。あんなにはかなげに横たわっていた眠り姫が、一転して無理難題をふっかける暴君である。

二度寝をあきらめて服に着がえ、窓のブラインドを上げてびっくり。大雪が降っている。
きめの細かい雪は結局夕方までしんしんと降り続け、既につもっていた雪の上に更に20cm以上の新しい
層を成した。
午後、玄関から車までの道(左の写真)を雪かき。水分をたっぷりふくんだ柔らかい雪だったので、楽に
除雪できた。夜中に冷え込んでこれが凍りついたりしない事を祈ろう。

夕方、親子3人で、久しぶりの買い物に。食料や日用品等を買うだけだったものの、やはり外に出るのは
気分が晴れる。先日の事故で車の両ウィンカーが破損して作動しないので、ダンナは車を修理するまでは
私に運転させたくなさそうである。車は水曜に修理に出す予定。

 

2月16日(土) 雪国の春

楽しみにしていた4連休も、今日で3日目になる。我が家の眠り姫は今日もお目覚めにならない。
午前中、久しぶりに白いご飯を少し食べ、一瞬おしゃべりと笑顔が戻ってきた。二重のうちに写真でも撮ろうとカメラを向けたら、ピースサインをしながら
にぃ〜っとポーズをとる余裕さえ見せてくれた。でも咳だけはまだかなりひどく、咳き込みながら苦しそうに怒る。大人のようにうがいでのどのイガイガをとれれば
だいぶ楽になるだろうに、残念ながら「くちゅくちゅ」はできても「がらがら」はまだである。結局、眠るのが咳も止まって一番楽なようで、今日も終日眠っていた。
今日辺り、必要な買い物だけでも3人で済ませようと思っていたんだけど、もう一日我慢だ。

渡米してから1週間、外はまだ雪景色ではあるが確実に暖かくなっている。雪の上をリスが走っていくのを見かける事も多くなった。屋根から垂れ下がっている
つららも、おととい辺りからぽたぽたと溶けてきている。時々「ズ。ズズッ。ズズズッ、ドーン!」と大きな音をたてて屋根の上から雪の塊が落ちてくる(これが場所
によっては氷だったりするから怖い。。。玄関の真上だけは早速シャベルで落としておいた)。
娘が眠っている間にダンナとSachem Villageの敷地内を散歩。カチカチに凍って歩くのも危なかった雪だが、踏むと形が崩れてべちゃべちゃになる。
雪国にもやっと春が来たようだ。
スキー、スケートにそり遊び。こっちに来たら早速娘に体験させてあげようと思っていたけど、まだ間に合うかなあ?

2月15日(金) "サクラ サク"

午前中、日本の実家から電話。私が昨年受験した「インテリア・コーディネーター試験」の合格通知が届いたとの事だった。待ちに待った知らせである。

ダンナに初めて「アメリカに留学したい。」と相談されたのは娘が生まれた1999年の大晦日だった。その時の私の反応を、ダンナは「ハトが豆鉄砲をくらったよう
だった」と言っているが、2001年4月に職場復帰の予定で当時会社から育児休暇をもらっていた私にとって、実際それは全く予想外の話だったのだ。
MBAの受験勉強もこれから、という段階での相談だったが、もし万が一(その時点では万が一、としか思えなかったのよ。ごめんなさい。)合格したら自分の
身の振り方にも確実に影響が出てくる話。会社にはMBA派遣制度はなかったし、そのような理由による休職制度もなかった。つまりダンナが合格すれば
彼は退職しての自費留学、私も同行するなら退職しなければならない。
当初は「ダンナ単身留学、私当時の自宅のまま職場復帰」、「ダンナ単身留学、私実家に戻って職場復帰」等のパターンも想定してはみたものの、最も
現実的な選択として、最終的に「一家で渡米」という結論に落ち着いたのだった。一つだけ今でも申し訳なく思うのは、育児休職をとったまま退職した事で
会社や自分の所属部署、そしてこれから育児休職をとろうとする女性社員に様々な面で迷惑をかけた事だ。

「合格したら一家で渡米」という新たな目標が出来たその日が、自分の今後についても考え直すきっかけとなった。なんといっても2003年に帰国した時、私は
30も半ばの子持ちの専業主婦。会社勤めのブランクも4年以上である。よほどの特技でもないと再就職の道も厳しいだろう。せっかくの機会だから、とそれまで
の社会人経験にとらわれずに自分のやりたい仕事を改めて考えてみた結果、今回の「インテリア・コーディネーター試験」に行きついた。
本当は渡米前に合格したかったのだが、残念ながら初めての挑戦は二次試験で不合格。一次試験が2年間のみ免除されるため、去年9月に帰国して
今回やっと合格できた訳である。
正直、受験直後は「今回もダメだ、来年また一次帰国するのか。。。」とがっくりきていただけに、信じられないという気持ちと、棚ぼたの気持ちが半々である。
何はともあれ、これで今年再受験しなくて済む事が一番うれしい。これ以上アメリカでの生活が短くなるのは悲しすぎる。

ところで今日は "Chinese New Year's Party"があった。旧暦の正月祝いだ。中華料理や子供達の踊り等が企画されていて、日本人の子供達も練習の
成果を披露するそうだ。娘が全快していればお友達が踊る所を見せてあげたかったのだが。
娘はやっと平熱には戻ったものの、今日も終日眠り姫、である。でも少し食欲が出てきたのでやっと一安心。ダンナは「やっぱり一緒にいけないか。」と心配し
つつも、1人でパーティに参加するつもり。そうかい、そうかい。HPには「渡米したら家族との時間をたっぷり取りたい」なんて書いてたくせに。
娘は昼寝、ダンナは図書館。今日も1人取り残されて家でふててたら、3時過ぎに日本人パートナーのIさんが娘のお見舞にバレンタイン・クッキーを持って
来てくれた。Iさんにも娘より半年程幼い女の子がいる。早く一緒に遊ばせてあげたいなあ。
思いがけないIさんの心遣いに元気が出たところにダンナが勉強を終えて帰宅。合格祝いに、隣町のNorwichにある"Alice"というケーキ屋のケーキとシャンパン
を買って来てくれた。一緒にケーキを食べて(これが実に美味しかった!アメリカにも探せばあったのね)から、再び外出するダンナ。快く送り出すゲンキンな妻。
(言っとくけど、ケーキにつられた訳ではないぞ。気持ちの問題なのだ)
娘に少しとっておいてあげたケーキ、あんまり起きてこないのでついつい食べてしまった。。。また買ってきてあげるから許してね。

2月14日(木) おこもり

朝8:30に電話が鳴った。受話器を取ると保険会社のMike。今日の午前中に車を見にくる約束だったのだ。「今West Lebanonに来てるけど、Sachem
Villageがよくわからない。ガイドできるか?」というので、「今どこ?」と聞くと「"Dunkin Donuts"の前だ」。ダンキン・ドーナッツ。おー、食べたい〜と思いつつ、
店がどこにあったか思い出せなかったのでダンナにバトンタッチ。ダンナはしばらく電話で話した後で「行って来る。」と言う。Mikeは道順を説明しても全く理解
してくれない上に、地図も持ってきていないのだそうだ。
でもそのおかげでドーナッツのお土産が。中学生の頃、日本で食べて以来のダンキン・ドーナッツだったが、意外にも普通に美味しい。本家本元はもしかすると
めちゃめちゃ甘いかも、と思っていたんだけど。
Mikeは今日だけで被害の見積もりの客が11件も入っているらしい。雪国のこの季節、事故も多いんだろうな。ダンナ曰く、学内でもギプス姿が実に多いとか。
凍った道で転倒しての怪我のようだ。うちも玄関から目の前の公道までのアプローチがカチカチに凍っている。娘をだっこしてる時は特に気をつけなきゃ。

今日は4連休の初日だったけれど、買い物もダンナにお願いして結局またまた終日"おこもり"の日となってしまった。娘がどうにも全快しない。さすがに40度
まではいかないものの、37度〜38度前半の微熱がなかなか下がりきらないのだ。起きている間中だっこをせがみ、また再び眠ってしまう。
去年の8月に渡米した時はこんな事はなかった。13時間のフライトに8時間の時差、梅も咲き始めた東京から雪に閉ざされたSachemに逆戻りでは無理も
ないよね。とにかく気長につきあってあげよう。
ここ数日で、日本人の奥様の何人かから「再渡米の挨拶&娘のお見舞」のお電話をいただいている。本来ならばこちらから連絡すべきなのに、申し訳ない
やら有り難いやら。日本からも、ダンナや私のHPを見てメールを書いてくれる人達がいる。
ご心配をおかけしてごめんなさい。それから本当にどうもありがとうございます。渡米直後の事で心細く感じていただけに、ふっと心が軽くなる一瞬です。

深夜、HPを更新しようとして今日がバレンタイン・デーだった事に気がついた。しまった。。。

2月13日(水) 母娘共にやっと快方へ

今回は解熱剤なしで頑張った娘は、一晩の間に少しずつ熱を下げ、明け方には再び平熱に。私の熱も同じタイミングで下がる。
娘は2時間ごとに目を覚まして水分をとる夜が続いたため、睡眠不足を取り戻すかのように今日は一日中気持ち良さそうに寝ていた。しかしながら、普段
よりも甘えん坊で目が二重なのは変わらず。完全に復調するまでにはあと2日ぐらい必要かな。私の方は微熱が出たり治まったりの一日。やっぱりもうしばらく
用心しなければならなさそうだ。

午後に電話が2本入る。いずれも保険会社からだった。そうだ、例の玉突き事故の件があったんだった。。。看病に振りまわされてすっかり忘れていたが、」
これまた頭の痛い話なのである。事故の翌日、日の下で見たら結構イカれてました、うちの車。ぶつけた車の方はどのぐらいの被害だったんだろう。。。
渡米して以来、未だ自宅にこもりっきりで英語とはほど遠い生活をしているため、相手のせっかちそうな早口にたじたじ。ダンナの帰宅時間を告げてかろうじて
伝言だけメモしたものの、気がついたら担当者の名前(しかもファーストネーム。だって聞きなおしたら、相手がそれしか言ってくれないんだもん)だけで、
会社名を聞くのも忘れてしまった。新入社員以下の出来である。

夕方、かなり早く帰宅したダンナは「今から1時間ほど、ポンドホッケーにいってきていい?」とのたまった(もちろん許可を求めている訳ではない)。「I(ダンナの
クラスメート)がポンド、ポンドってうるさくってさあ〜」と言いつつ、いそいそと着替えてあっという間にいなくなった。学校から帰った小学生がランドセルを玄関先に
置いてすぐまた遊びにいく図、であった。

2月12日(火) 熱、再びあがる

昨夜から4時間おきに飲ませ続けたTYLENOLの効果があってか、娘の熱は明け方には37度まで下がり、午前中には平熱に戻った。約束通り、病院に
電話を入れ、娘の回復を女医さんに報告。「平熱に戻ったなら薬は止めてもいい」との事だった。
それとは入れ違いに、今朝から私が喉が痛み出し体中の関節がズキズキしてきた。熱を測ると37度台だったが、時差ぼけが直りかけている分、体はむしろ
昨日よりも軽い。
ダンナは今週は木曜から4連休だ。今日明日、母子共に体調を回復させておけば木曜からは親子3人でゆっくり連休を楽しめる。と思いつつも、ついつい
洗濯や片付けの終わっていない箇所に次々と手をつけてしまう。まったく我ながら貧乏性である。
油断をしないよう、こまめにうがいをし、風邪薬を飲んで時々自分の熱を測る。娘の体温の方はあれから下がったままだ。
父親そっくりの一重瞼の娘はここ数日、両目共くっきりとした二重になっている。熱は下がったのに今日もそのままだ。完全に復調していないからなのか、
それともこのまま二重になっちゃうとか?パッチリとしたおめめは、まるで整形直後のようなわざとらしさがあってなんだか可笑しい。

"TUCK PARTNERS’ CLUB"からのメールによると、今日は独身寮でVALENTINE'S PARTYなるイベントがあるようだ
(ちなみにこちらでは男性が女性に何かをプレゼントするらしい)。きっと昨年以来ご無沙汰している日本人クラスメートの奥様方も参加するんだろうなー。
でも今は我慢、我慢。

夕方、悪寒がひどくなった。38.9度。日本から持参した熱さましを飲んだら効き目が早く、大汗をかきながら夕食づくり。出来あがった頃には熱もかなり
下がっていた。ところが、娘が再び38.8度。。。薬で無理やり熱を下げるより戦わせた方がいいんじゃないだろうか。今度は薬を飲ませずに水分をたくさん
飲ませて寝かせる。しばらく眠ってはまた起きて水を飲む事を繰り返す。普段通りおしゃべりしでよく笑うところを見ると気分はしっかりしているようだ。
頑張れ、頑張れ。

2月11日(月) 病院訪問

前日からの熱は朝になっても相変わらず39度以上。病院に問い合わせて14時の予約をもらえたので、昼休みにダンナに帰宅してもらって休み終了直前、
少し早めに大学付属の病院で降ろしてもらった。小児科の受付で渡米前に加入したAIUの海外旅行保険カードを提示する。
こんなに早く役立つ事になるとは。

予約時間きっかりに呼ばれて入った個室で、看護婦さんが娘の体重・熱を測る。まもなく女医さんが来たので、昨日からの経緯を記録したメモを見せながら
説明。聴診器・喉・耳のチェック、全身のチェックにいくつかの問診等、かなり時間をかけてくれた上に、別室で胸のレントゲンを取ってくるよう指示される。
結果的には、"VIRAL UPPER RESPIRATORY INFECTION"という診断。ウィルスによる呼吸器系感染症という事か。肺炎(PNEUMONIA)ではなく、
また、内心恐れていたインフルエンザでもないだろうと言われ、ひとまず安心する。TYLENOLという熱さましをもらって、規則的に飲ませ続けた上で、明朝に
娘の様子を電話で知らせる事を約束。予想以上に懇切丁寧な対応だった。
タクシーで自宅に戻ってしばらく寝かせてから熱を測ると、37度台に下がっていた。薬の効き目なのか、まる一日続いた高熱もそろそろ下がり頃だったのかは
わからないが、なにはともあれ峠は越したようだ。

病院の診察を受けている最中に感じた事。言葉が上手く通じない不安などは、自宅で熱に耐える娘を見守るしかない不安に比べるとなんでもない。素人
ではない、専門家に見てもらっているという安心感がどれだけ大きいものか。
再渡米して最初に英語を使った場所が病院、というのは私にとってはいささか手にあまる洗礼ではあったが、この先再び病院に行く事があっても気楽に決心
できそうである。

2月10日(日) トラブル3連荘

7時頃     私と娘は起床。ままごとやビデオ、散歩のかたわら一日家の中を片付ける。

16時頃     ダンナが図書館に出かける直前、昼寝からおきた娘。顔が赤いので熱をはかると39.3度!
         とりあえず様子を見る事にし、ダンナは外出、私は娘に日本から持ってきた熱さましをのませて一緒に寝る。

20時頃     39.2度。水分と薬を飲ませる。
         寝かせる直前、トイレが溢れる。あわてて娘と浴室の外に避難し、水浸しになった床の応急処置をする。仕上げはダンナに任せる事に。

22時頃     ダンナが帰宅。トイレの床を見てもたいして驚きもせずにてきぱきと始末。5ヶ月のSachem寮生活のキャリアが感じられる姿である。
         食欲のない娘に買ってきてもらったアイスクリーム。娘を心配する父親に対する台詞は「あ、あいす!。。。ちっちゃいねぇ。」

         ダンナは夜からのアイスホッケーを休む事にし、幹事当番を友人にお願いするために一旦出かける。約1時間後に帰宅。「車ぶつけた。」
         夜から雨が降り、路面がツルツルに凍っていたリンクの駐車場で3台の玉突きをやったらしい。ぶつけた車の持ち主を探し出して事情を説明
         したら地元のおじちゃま・おばちゃまに「TUCKの学生か。さすがTUCK生は実にきちんとしている。」とかえって感心されたとか。
         今回の被害は保険でカバーされるはずだが、来年の保険料が怖いぞ。人を巻きこまなかったのが不幸中の幸いだ。

0時頃     薬を飲ませて熱をはかる。39.6度。「やっぱり連れていこうか。。。」と、病院に電話して事情を説明。
         病院のアドバイスは「水風呂に入れて熱さましを4時間ごとに飲ませて。明日になっても熱が下がっていなかったら朝来て下さい。」。
         事故を起こした直後に車に乗るのも不安があったのでほっとした。が、水風呂。。。案の定、娘は大暴れ。

4時       39.6度。水風呂に入れてアイスと薬を飲む。娘はまたもや大泣き。「もえちゃん、さっきおふろはいったよぉ〜!きれいだよぉ〜!」

2月9日(土) 時差ぼけ

睡眠不足で目はしょぼしょぼしたままなのに、朝6時から頭だけが冴えてしまった。昨日もマイペースで寝たり起きたりしていた娘も元気一杯なので、とりあえず
起きる。
予想通りなーんにもない冷蔵庫。とりあえずお米だけ炊いて、その間に娘と遊びながらダンボールと手荷物を開梱。
台所の床には処分したらしい酒瓶の底跡がベタベタとついている。棚を触ると白いほこりがぶわぁ〜っと舞い踊る。開梱したはいいが、そもそも収納する場所が
ないので、家の中が取り散らかる一方である。途方にくれながら思わずテレビを見て、お茶を飲んで、メールをチェックして娘と朝ご飯を食べる(はっきりいって
現実逃避)。気を取りなおして少しずつ収納場所の整理と掃除機がけから始める。

終わったところで10時過ぎ。ダンナは「今日は10時から近くの池に親子連れがたくさんあつまる"Pond Party"があるからそれに行こう。片付けはなるべく平日に
まわそうよ(=私に1人でやってね、の意味)。」と言っていたのに、肝心の本人が高いびき。やっぱりね。今まで1人で起きてこられた方が不思議だったけど。
私も急に眠くなってしまったので、娘と一緒に2度寝。

ダンナが起きた時には娘の方がぐっすり熟睡してしまったので、池には夕食の買い出しの前にちょっとだけ立ち寄る程度に。そろそろ暗くなり始める時間、
残念ながら知り合いには会えなかった。
こちらについて以来、「思ったより寒くないなあ。」というのが第一印象だったが、外を歩いているとやっぱり耳が痛くなってくる。氷の張った池の上を娘の手を
ひいて歩く。つるつると滑るのが不安らしくまたもや「だっこ!」。一方では娘と同じぐらいの子供がスケート靴をはいて母親に支えられながらよろよろ滑って(?)
いる。アイスホッケー(池の上でやっているのでポンドホッケー)をしている集団の中にも実に巧みな滑りの少年達がいる。冬の長いこの辺りでは、スキーも
スケートも誰でも子供の時からやっているスポーツなのだろう。

2月8日(金) 再渡米・ボストン到着

母の手助け&見送りを受けて無事に成田空港を出発。長く長く感じられたフライトもいつしか無事に終わり、スーツケースとダンボール1個、貴重品を入れた
リュックにPCや渡米直前の衣類等を入れた大きな肩掛けかばん、そして今回最大の「お荷物」となった娘を連れて汗だくの状態で無事ボストンに到着。
最近、肝心な場面で「だっこ、だっこ!」が出る娘には今回本当にてこずらされた。それに子連れなのに大荷物を持参したのはやはり甘かった(乗り継ぎの時
に全ての荷物を再チェック・インしなければならなかったのも計算外でした)。

成田出発時にはよりによって貴重品全てを入れたリュックを手荷物検査所に置き去りにし、出国ゲートを通る直前の呼び出しで無事回収。シカゴでの
乗換え時には娘を抱きかかえながら走っていて搭乗券とパスポートを次々と落としまくっていくのをすれ違ったアメリカ人の男性に呼びとめられたり(「足、速いねえ!」と笑われました)。各検査所ではコートを脱ぎ着したり、PCや貴重品等を出し入れさせられて、自分でも何をしまったんだかしまっていないんだか分から
ない慌しさのまま、乗り継便にはギリギリの滑り込みセーフ。「よく一つの荷物も欠ける事なく無事に着いたなあ。」、と後になって思わず感心してしまった。

ボストンからはダンナの車で2時間近くで懐かしの我が家に着いたのは23時前。5ヶ月間のダンナの寡暮らしのせいなのか、5ヶ月間の間に私の記憶がだいぶ
美化されていたのか、「あれ?こんなだったっけ。。。」とその雑然ぶりにひとしきりびっくりする。今夜はスーツケース分をなんとか開梱するのが精一杯。
明日からの作業が思いやられそうだ。

2月7日(木) 前日

荷造りもないし、買い物もない。準備が全て終わった渡米前日はj実にのんびりと過ぎた一日だった。
寝泊りしていた部屋を片付けて掃除機をかけ、ついでに一番下の妹の部屋も掃除する。どちらもこの5ヶ月間、娘が我がもの顔で散らかしまわった部屋だ。

日本最後のお風呂を娘が一番下の妹と入ったため、私は1人でのんびりと湯船につかった。明日からはまた洋風バスタブに逆戻りかぁ。
子供の頃、ドイツで入っていたのも同じタイプだけど、やっぱり日本のお風呂が一番いい。

でもいよいよまたアメリカでの生活が再開するのである。日本での居候生活がズルズルと長びくにつれて、「このまま気がついたら2年間が過ぎてしまうんじゃ
ないかしらん。」という気さえしていたが、ちゃんと渡米の日は来た。
向こうにいったらしなければいけない事がたくさんある。家の中もまだ完全には落ちついていないし、3月始めにはまたまた別の寮に引っ越さなければならない。
でも、まずはあまりにも季節感のないホームページの表紙をかえなきゃね。

2月6日(水) 渡米準備

午後、宅急便のお兄さんが集荷にきてくれた。「魔女の宅急便」を何度もビデオで見ている娘は、「あ、たっちゅーびんのおにーさん!。あめりかにいくのねー。」
と話しかけている。「もえちゃんもこの中に入ってアメリカに連れていってもらおうか。」と意地悪をいう大人達に、「もえちゃんはかばんをもつのよ。はいらないの。」
と真面目に反論している。
スーツケースとダンボールがなくなると、玄関が急に広々とした。渡米する際には大型家具のほとんどを手放したが、それでも実家のいたるところに処分しきれ
なかった小さめの家具や細々とした生活用品、ダンボール等が点在している。少しでもすっきり見えるようにと、整頓して掃除機をかける。

夕方、母の買い物に同行。昨年帰国して以来買い物にはほぼ毎日つきあってきたが、それも今日で最後だ。二人で両手に一杯のレジ袋を持って帰り
ながら「1人になるとまた買い物が大変になるね。」と言うと、「あなた達がいなくなったら、おかげ様で買い物の量も減るんでございますよ。」と笑う母。
なるほど。

ダンナのHPを見ると、5ヶ月間でたまった酒瓶の処分を始めた様子(ってゆーか、ためるなよ)。証拠隠滅の必要な品々もさぞやたまっていた事だろう。
メールには「渡米が決まってよかった。準備が大変だけど頑張って。」と書いてきたダンナだが、準備が大変なのはこちらだけではないようである。

2月5日(火) 荷造り

空港でチェック・インする荷物の荷造り。
宅配業者に金曜に成田空港に届けてもらうには2日前にお願いしなければいけないらしいので、明日の午後に集荷をお願いしたのである。
荷物はスーツケース1個にダンボール1個。ダンボールは補強をきちんとしてから重さをはかると25kg。娘と私、2人分のエコノミーチケットなら5キロオーバー
ぐらいは大丈夫だろう。適当に詰めたのに実にいい感じの重さになった。
すっかり安心して、残りの荷物をスーツケースに。すきまのない完璧な詰め方に我ながら感心しつつ、最後に重さを量った。37kg。
37キロ?。。。まじですか。。。?

詰めた荷物はすぐに要るものばかり。今更減らせないよお。重量オーバーした荷物って、キロあたりいくら払わされるのかなあ?
。。。そうだ、娘の体重が12キロしかない分、かわりにオマケしてくれないか頼んでみよう。

2月4日(月) 渡米日、確定

午前中にメールを開いたら、待ちに待った「フライトの予約OK」のメールが入っていた。すぐに旅行会社に電話して申込み用紙をファックスしてもらう。
渡米日程がめでたく確定したので、早速昨日書き出しておいた保険会社の支店に電話をすると、「いまからでも申し込めます。」との返事。「2週間以上
前に申込み」というのはオンライン申込みの事だけだったのかなあ。

立川の保険会社に出向き、無事海外旅行保険の申込みを済ませる。当初の予定通りオーダーメードで必要な項目・内容の保険を申し込むと、HP上の
ベーシックプランよりも35,000円以上安くなった。やっぱり保険はオーダーメードがお得みたい。
航空券の代金も振り込み、頼まれた買い物も多少した。ようやく渡米が目の前に見えてきたという心境だ。

2月3日(日) 連絡なし

旅行会社からの「フライト確定」メールを待ち続けた一日。結局連絡はなかった。日曜だからだと思う事にする。
保険会社のHPで海外旅行障害保険の内容を調べる。先日HP経由で問い合わせをしていた保険会社からメールが入っていた。会社が用意した空欄に
従って加入人数、期間等の詳細だけでなく、個別コメントまで入力して返事を待っていたのに、来たのは3ヶ月以内の短期旅行について説明されただけの
通り一辺倒な返事だった。今回自分が必要としている保険には全くなんの参考にもならない内容にがっかり。

保険会社によっては「3ヶ月以上の長期の海旅保険は出発日の2週間以上前に申込み」等と書いてあるところもあって、8日のフライトに間に合うのか
だんだん不安になってくる。本当は保険項目を自分で選ぼうと思っていたが、日にちもないのでHP上に紹介されているベーシックプランのオンライン申込みを
試みた。が、なぜか申込みページが開けない。問い合わせも日曜ではできないので、とりあえず自宅から近い立川の支店を何社かリストアップしておいた。
飛行機のフライトもとれるかどうかわからないし、もう一週間先のフライトも問い合わせておいたほうがいいんだろうか。

2月2日(土) 実家に戻る

再び自分の実家に戻る。片道2時間ちょっとの道程なので、体も大きくなり、わがまま盛りでもある娘と電車を乗り継ぎながら移動するのはなかなか大変だ。

メールをチェックしてみると、航空券の件で旅行会社より連絡が入っていた。「8日は大変混雑しており、往路はキャンセル待ち中。復路は予約OK」との事。
復路はいらないんだけどね。ボストン直行の便、等とわがままを言える状況ではとてもないみたい。長期休暇シーズンでもないし、アメリカ行きの便が混雑して
いるなんて予想もしなかった。オリンピック開幕が近いからかな。とにかくまずは旅行会社の返事を待つしかなさそうだ。

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