Diary of September   Makko's Diaryの目次へ   ホームへ戻る    翌月へ

9月30日(土) コンサート

元の会社の同期であるK嬢が所属している「TAMA21交響楽団」の定期演奏会を、同じく元同期のH(女性)と一緒に聴きに行った。
「TAMA21交響楽団」には専属の指揮者がいないらしく、演奏会の度に外部から指揮者に来てもらっている。「今回の指揮者はすごくかっこいい女性なの。
同い年なんだよ。」と聞いていたので、初めて見る女性の指揮者を楽しみにしていたのだが、実際に演奏が始まるとその姿にくぎ付けになってしまった。

西本智美さんというその女性は既に国際的に活躍している若手指揮者らしいのだが、とにかく素敵なのである。女性らしい、優雅な動きにうっとりしていると、
次の瞬間には凛々しくて力強い指揮に一変し、オーケストラならではの迫力を存分に引き出す。団員達も生き生きと演奏を楽しんでいるように見える。
華があるのに決して派手ではないその指揮に、演奏の間中見惚れてしまった。

コンサート終了後にロビーでK嬢を待っている間、元の会社の先輩・後輩に会った。ご家族でいらしたKさん、K嬢と同じ部のK君とHと同じ部のN君。
K君・N君は私の育児休職中に入社した若手社員なのだがダンナの事は良く知っているらしく、アメリカでハードな毎日を送っている彼の身を案じてくれた。

私達が持ってきた花束やお菓子を渡す前から、既に花束や楽器などの大荷物で現れたK嬢。「大丈夫っすか?駐車場まで運びますよ!」と荷物持ちを
かって出るK君とN君を見ていると、「先輩と後輩」というよりは「あねさんと舎弟」という感じである(笑)。
車で来ていた彼らに、最寄駅まで送ってもらったのだが、ドアの開け閉めまでしてくれるジェントルマンぶり。K嬢とHはさぞこわい「お姉さま達」なのだろうなあ。

9月29日(土) 模様替え

母がリビング部分の床のワックスがけをするというので手伝う。実家は一軒家なので、自宅マンションと違ってリビング部分だけでも半日仕事である。
ダイニングセットやソファセットを順番に廊下に運び出しながら掃除機をかけ、床をふいてからモップでワックスをかける。家族が多い上に母の仕事コーナーも
LD部分にあるため、運び出す家具の数も半端ではない。
家具を運び出したついでに、多少配置も替える事に。限られたスペースに多くの家具を置いているのでたいして選択肢もないのだが、コンセントの位置や
普段の生活パターンを考えながらあーだこーだと議論する作業がまた楽し。部屋の模様替えも整理整頓以上に好きな家事(?)の一つである。

すっかり勢いがついたので、夕方から納戸の整理を始める。以前から気になっていたのだが、大仕事になりそうなので見てみぬふりをしていた場所である。
2時間ほどかけて納戸を片づけたところで遅めの夕食をすませ、食後に今度はキッチンの食品棚の整理に取りかかる。また今度にしよう、という気持ちもあるの
だが、1度片付け始めると私の場合、止まらなくなるのである。
そんな訳で全てが終わってお風呂をすませる頃にはくたくた。満足感と充実感に満たされてベッドに入る。

夜、2日ぶりの「こっこ」に成功した娘。少しずつ一日一回のペースに近づきつつあるので安心。
ダンナゆずりの一重の細い目に、ぷくぷくしたほっぺ。真面目な顔をして力んでいる姿が誰かに似ていると思ったら、「パタリロ」だった(笑)。

9月28日(金) 使われているのはどっち?

実は私は「整理魔」である。他の家事については人並みまたは人並み以下だと思っているが、整理整頓に関しては半分趣味に近い。
会社に勤めていた頃も、企画にいきづまると頭の整理と称して机まわりを片付け始めたものだ。上司は「そんな暇があったら仕事をしてくれ」と言えずに
さぞストレスをためていただろうなあ(笑)。
とにかく片付けだけは疲れている時でも苦にならないのである。ただし、整理整頓をきちんとするそもそもの動機は「探し物をするのが面倒だから」であり、
「掃除」に関しては「がんこな汚れに苦労するのがいやだから」である。単なるぐうたらともいえそうだ。

数日前のHPのトラブルは、実はこの「整理ぐせ」が災いしてしまった。HP関連のファイルはもともと「まっこHP」という一つのフォルダにまとめて保存していた
のだが、ファイルの数が増えてきたので軽い気持ちでサブフォルダを作って整理しなおした途端にアップロード出来なくなっちゃったのである。
それぞれのファイルを点検しながらリンク先のファイル名を片っ端から設定しなおしてみたのだが、それでも上手くいかなかったので結局、ネット上の全ての
ファイルを一旦削除し、手元の全てのファイルを一から読み込んでやっと復旧した次第である。その時にサブファイルに整理した状態で試せばよかったのかもしれないが、結局「まっこHPフォルダに全てのファイルがいっしょくた」、という最初の状態で読み込んでしまった。一体、私が費やした時間は
なんだったんだろーか。。。

翻訳を仕事としている母と私の共通の結論だが、「パソコンはとっても便利だけど、いざトラブった時の修復にかかる労力とストレスもバカにならない」。
本来ならばあっという間にこなせる作業だと分かっているだけに、それができない、しかも手探りでの修復に手間をとられる、となった時のパソコンは最高に
イライラさせられる代物である。しかもこの代物に頼っている度合いはもはや計り知れないのだからなお始末に悪い。
かといってなんでもかんでも印刷して保存しておくのは本末転倒だし。。。そもそもトラブったりしないよう、パソコンの知識を蓄えるしかないのか?

文明の利器を使いこなすために必死で勉強する私達。

9月26日(水) 交流会

母に誘われて夕方から西麻布のイタリアンレストランへ。広島市文化財団の理事長が主催している「広島ネットワーク」という交流会に参加したのである。
広島出身の母にとっては高校時代の先輩にあたるその男性が、広島にゆかりのある人々に個人的に声をかけて集めている会なのだが、集まった
メンバーの多様な事!某大企業を定年退職して現在は福祉関連の仕事に携わっている人、シャンソン歌手に作詞家、劇団主催者にその劇団員、
エステサロンや音楽学校の社長、日本とイタリアに事務所を持つ建築家、ニードルアートの大家、ピアニスト、作詞家、等俳優志望等々、総勢20名。
既に気心の知れた者同士のこじんまりとした会なので、フルコースの合間に1人ずつ行われる自己紹介と近況報告ではオーディエンスから茶々が入ったり
歓声があがったり。賑やかで笑いにあふれた雰囲気である。出席者の半分を占めていた女性陣も実にバイタリティーのある、元気な人達ばかり。
様々な修羅場をくぐりながら仕事を続けてきた、ほとんどが50〜60歳のその面々の中では、私などはほんの「ひよっこ」である。会場に向かう途中、今後の
資金繰りを考えながらブルーになっていたのが些細な事に思えてくるから不思議である。実際はとても「些細」とは呼べない問題なのだが(笑)。

会場はシャンソン歌手の女性がオープンさせたばかりの、小ホール付きのレストランであった。当然ながら参加者の催促が激しく、ディナー後に下階にある
ホールでシャンソンを2曲程歌って下さった。美味しい食事、気持ちのいい人々、素晴らしい歌と三拍子そろった夕べであった。

自己紹介の時に男性の1人が、「競争心は他人との戦い 向上心は自分との戦い ゆえに競争心は修羅につながり、向上心は調和につながる」
という言葉を紹介して下さった。日頃他人の状況や才能などをついうらやまんでしまいがちな自分にとってはハッとさせられる言葉である。

帰宅すると、便秘6日目の娘がめでたくトイレで「すっきり」したとの事。さすがに浣腸しなければいけないかな、と思っていた矢先だったので安心した。
トイレ嫌いにならないよう、今後はもっと繊維質を取らせなければ。相変わらず偏食の激しい娘なので大変だぞ。

※2日前にうっかりとHPの一部を壊してしまい、やっと修復しました。ビギナーのくせにHP作成本をアメリカに置いてきたので修復に手間取ってしまい、その間
立ち寄って下さった方には大変ご迷惑をおかけしました。ご覧になったタイミングによって写真がなかったり、一部のコーナーに飛べなかったり、
はたまたHP自体がなくなっていたりと(笑)、かなりの混乱ぶりを披露してしまってお恥ずかしい限りです。

9月25日(火) アフターケア

午前中に郵便局と銀行への用事に娘を連れていく。トレーニング終了と言いながら、外出にはついオムツをはかせてしまう、アバウトな母である。
最初に郵便局の用事を済ませると、デパート1Fの熱帯魚売り場とソフトクリーム屋さんへ。ラムネのお土産まで買ってもらった娘はご機嫌である。ここぞと
ばかりに2〜4Fの「大塚家具」散策につきあわせる。途中で「しーしー」と騒ぐのでトイレに連れていくが、「でないの!」。単に母の注意をひくためだったらしい。
銀行をまわる頃にはだっこをせがんだり地面に大の字になったりもしたが、娘の好きな「階段」、「エスカレーター」、「切符売り場」等で機嫌を直ししつつ帰宅。
所要時間は2時間近く、オムツもぬれていない。わりと長い時間我慢できるようである。

ところが、パンツをはかせようとすると抵抗するのである。「オムツなら漏らしても平気」という事がわかっているのだ。機嫌が良くなるのを待って脱がせてみると
やっぱり濡れていた。「パンツをはいている時は漏らさないからいいか」と納得している場合ではない。しかも、20日に初めて「大」を成功させて以来、娘は便秘
5日目である。これはさすがになんとかしなければいけないのだが、どうしたらいいものやら。。。
HPを覗いてくれたママ友達からも「これからが本番。失敗との戦いです」とのアドバイスをいただいたが、まさにその通り。今の状態で早々と「トレーニング終了」
を宣言するのはちょっと虫が良すぎたようである(笑)。

お昼にBSで「セントラル・ステーション」という映画を見た。舞台はリオデジャネイロ。手紙のインチキ代筆をしている1人身の女性と、母を亡くして父親を探す
男の子の交流を描いたロードムービーだったが、なんともせつないエンディング。ハリウッド映画には期待できない、独特の雰囲気のある映画だった。
そういえば、最後に映画館に入ったのはいつだったかなあ。次に行くときはやっぱり「ドラえもん夏休みスペシャル!」なんかに(決してドラちゃんが嫌いな
訳ではないのよ)なるのかしら。あ〜あ。。。

9月24日(月) Anniversary

今日は6回目の結婚記念日。せっかく振り替え休日と重なってくれたのに、肝心の祝う相手がいないのである。
最初の頃の記念日は外食を楽しんでいたのが、そのうち家ですませるようになり、今年はついに別々だ。なんだか尻すぼみだなぁ。。。
来年こそはアメリカで盛大にお祝いしようと心に決めて、とりあえずダンナに電話をかけてみた。勉強の合間に、と思ってアメリカ時間の夜中の2時すぎに
かけたら珍しく寝ていたらしく、貴重な睡眠の邪魔をしてしまった。

アメリカで自分のホームページを立ち上げて以来、心配になった時々に家族や友人が覗いたり、メールをくれたりするようになった。そして帰国した今、
自分がダンナのホームページで無事を確認する毎日である。情緒には今一つ欠けるが、今回ほどインターネットの有り難さを実感した事はない。
少し前にホームページが更新されなくなった事があった。3日目になって電話をかけてみると、「ちょっと前におやじからも電話があったよ」との事。単に勉強が
忙しすぎて更新する暇がなかっただけだったのでひと安心。昔の人達はさぞ気長に無事の便りを待っていたのだろうなあ。
便利になればなるほど、我慢が苦手になっている気がする。最近、人々が「キレやすく」なってきたのも当然の結果なのかもしれない。
(ちなみに私は「キレる」という言葉が嫌いである。この「いまどきの」言葉が登場して以来、なんでもかんでも「キレちゃってさあー」で表現する世の中。
誰もが「我慢しない」事を正当化している気がしてならない。かくゆう私もつい使ってしまう事があるのだが。反省。)

※さっきダンナのHPを確認したら、22日の日記に「インターネットの有り難さ」について書いてあった。これが結婚して6年の成果?

9月22日(土) 持ち時間

帰国以来初めて一人で外出した。外出といっても近くのスーパーまで買い物に行っただけなのだが、アメリカではどんな用事でも娘を連れて歩くしかなかった
ので、久しぶりの贅沢である。本屋でのんびりと本をのぞいてまわったり、再渡米の時に持参するキッチン雑貨を見てまわるだけでも気がつくと2時間以上
たってしまった。

一方ダンナの方はというと、毎日明け方までの勉強で慢性的睡眠不足の生活。元来のんびりした性格なのに、1分1秒が惜しくて走って移動しているそうだ。
「時間は誰に対しても平等に1日24時間与えられている」というが、この場合、むしろ頑張っているダンナにのんびりしている私の時間を分けてあげられる方が
平等のような気がする。

9月20日(木) 出たぁ!

午前中、大分上手になってきた「しーしー」をおまるにしている最中、突然娘がお尻を上げて「あぁ〜ん!」と取り乱している。(取り乱す、という言葉はどうも
子供の描写には合わない。。。?) 見ると、おまるの中とフローリングにごろんごろんした「モノ」が転がっているのである。18日・19日と出なかった「大」が、
とうとう出たのだ!
「あ〜!もえちゃん、でたねえー!すごいねー!もう一回座ってごらん!」
(多分)叱られる、と思っていた(?)娘は、かなりびっくりした様子でもう1度おまるに座ったものの、いやがってじっとしない。そこでトイレに場所をかえてみると、
出るわ出るわ、3日分の、石のように固くなった「こっこ」がゴロゴロと出た(3日分だと思っていたら、午後にまたたくさんの「やわらかさん」をした。あれを
全部小さなお腹にため込んでいたのだから、さぞ辛かっただろう)。

これで「大」の方もトイレで出来るようになった訳だ。めでたくトイレ・トレーニング完了、といってもいいだろう。あとは、「しーしー」はおまる、「こっこ」はトイレ、
という娘の思い込みを微調整すれば完璧である。
結局、2歳4ヶ月でトレーニングを開始して5日間で完了。床を拭くような「そそう」をしたのは最初の2日間のみ。しかも実家でトレーニングしたので、
経験者はいる、人手はある、という絶好の環境。母に「これで完了なんて、あなたラクをしすぎよ。優秀な娘に感謝しなさい。」と言われるのも仕方がないか。

めでたく「大」の心配がなくなったところで、エネルギーを持て余している娘を散歩に連れ出す。実家に犬がいるため、娘は毎朝「じーじ」と犬の散歩に
行っていたのだが、ここ数日は散歩も控えめにしてなるべくおまるの近くで遊ばせるようにしていたのである。
私と一緒の時は数歩あるくと「だっこ」とせがむ娘が、なるほど両親が言っている通り、実によく歩く。車通りの少ない田舎だから、というだけではなさそうだ。
どうも私が問題だったようである。
元の日本の自宅でもアメリカに行ってからも、散歩でさえ常に目的があった。効率的に用事をこなそうとするあまり、ついつい前後に自分の用事をくっつけて
しまうのだ。知らないうちに自分の足もはやまり、道草につきあっている間も娘をせかしていたのかもしれない。
小さな我が子の、ゆったりとした時間の感覚につきあえる月日なんてそうそう長くもないのに、自分は何を焦っているんだろうなあ。しかも、今では無職で
時間もたっぷりあるというのに(笑)。自分の貧乏性を反省。子供から学ぶ事はまだまだ多そうである。

9月18日(火) Birthday

3○回目の誕生日が来た。ダンナとダンナの実家からは電話、友達からのメールも何本か届く。誕生日を覚えてくれている人がいるのはやはり嬉しいものだ。

少し前までは、今頃は育児休暇から職場に復帰し、"Double Income One Kid"のバタバタした生活を送っていると思っていた。それが今は
アメリカにダンナを置いてきたので「妻」らしい事もできず、実家に居候状態では「主婦」とも名乗れず、「ばーば」、「じーじ」や「おばちゃん達」が大スキな娘も
寄りつかないので「母」も失格。アイデンティティに悩む今日この頃である。

娘のトレーニングは進んでいるような停滞しているような。朝9時頃、おまるに「しーしー」をした後は何度座ってもだめ。日中、水分もたくさん飲ませていたのに
「おもらし」をする訳でもない。結局夕方の5時頃、やっと大量の「しーしー」をした。
我慢する力は既に大人以上なのに、自分の意志で「出す」コツはまだつかめていないらしい。

「こっこ」は出ず。膀胱炎や深刻な便秘にならないうちに、早くおまるに慣れておくれ〜。

9月17日(月) Blue Note

昨夜、母の友人より電話。「明日、東京ブルーノートでやるザ・プラターズの招待券があるの。いかない?」との事だった。ザ・プラターズといえば50年代から
現在に至るまで活動し続けている、両親の世代なら誰もが知っている人気グループである。おととしも実家全員でコンサートにいっており、母は二つ返事でOK
した。前日の夜では一緒にいける友達も見つからず、家族で唯一暇だった私がお供する事に。こういう事情だと、娘がトイレ・トレーニング中でも
おむつをつけて妹に預ける事を許されるものである。

開場と同時に店内に入り、軽食をとりながらチラシを見ていると「あら?メンバー全員入れ替わっているじゃない。」と母。結成以来メンバーは何度も入れ
替わっているが、リードボーカルを長らく「張ってきた」ソニー・ターナーまで引退していたのである。それなりに楽しめたライブだったが、CDで聞き慣れている
歌い方・声とはやはり多少違った。耳が肥えている母は私よりもご不満の様子。

メンバー全員が替わっているのにオリジナルに近いサウンドを保っているから「ザ・プラターズ」を名乗れる、というのもなんだか不思議な話だ。それならデューク・
エイセスだって、かなりいい線いってるぞ。(ライブ中、ワンフレーズを客に歌わせるコーナーで、やたらと上手いおじさんがいると思ったら、デューク・エイセスの
リードボーカルだった。やっぱり研究しに来てるのね。)

妹に留守中の娘の様子をきいてみると、予想通りおむつに「こっこ」をしたらしい。トレーニング開始以来2日間便秘していたので、 「今日こそこっこを
おまるにさせる!プロジェクト」を朝から展開していたのだが。。。
しかし状況をきいてみると、「こっこ!」と言い出した時はまだ出てなかったのがおまるの準備をしているうちに「でちゃた。。。」らしい。一応こっこもおまるにする
つもりでいたのなら上々である。娘よ、進歩の早い君を母は誇りに思う。

9月16日(日) トイレ・トレーニング2日目

おしっこが出そう、という感覚がわかり始めたようである。「しーしー、でう。。。」と、パンツをおさえ、足を内股にしながら言うようになった。
しかしあわてておまるに座らせ、ビデオや絵本等でごまかしながらかなり長い事待ってみてもほとんど出ない。何度も何度もおまるに座ってちょっとずつ出した
挙句の果てに突然、立ち尽くしたままジャーと大量にもらしてしまう事2、3回。
「座った姿勢でおしっこを出す」のは、子供にとっては相当の切り替えが必要なようである。しかしそれはかなり我慢ができているという事でもあるので、
めげずに何回でもつきあう。

夕方にはある程度のまとまった量がおまるに出る事も何度かあった。ばーば、じーじ、ママの3人に囲まれて、手放しで誉められた時の娘の誇らしげな顔は
なんとも可笑しく、可愛いものである。

9月15日(土) トイレ・トレーニング

風邪と時差ぼけから回復しはじめたところで、娘のオムツはずしに取りかかる。実は年明けに当時の自宅一度トライしてみたのだが、寒い季節だったせいか、
夜通しおしっこをしない程間隔の長かった娘が、15分間隔でもらすようになってしまい、断念したのであった(4人の子供を育てた経験豊富な母によると、
「子供も神経質になるんだから当たり前。あんたの覚悟が足りなかっただけでしょ。」という事だったが)。
今回は「トレーニングパンツ」のような便利グッズを使わずに普通の子供用パンツをはかせる。

突然トイレの場所を指定され、何をしていても10分間隔で「トイレは?」と周りに聞かれるようになった娘は案の定神経質になり、1時間ちょっとの間に4回も
雑巾がけ&パンツ洗いをプレゼントしてくれた。叱られるたびにぽろぽろと涙を流しながら声をあげて泣くのだが、ひととおり叱られ終わってきれいなパンツに
着替える時には、「あ、こえもえちゃんの?もえちゃんのぱんつ、かあいいねえ!」とニコニコ。ブラブラ歩きまわりながら「あ〜あ、おこらえちゃった!」。
そしてしばらくするとまた、「あ。。。」と、突然ガニマタになって立ちつくしているのである。

「トイレ・トレーニング」というのは、子供にとっては最初のカルチャーショックというべきか。さて、これからいつまでこの戦いが続くのか、楽しみでもあり怖くもある。

9月14日(金) 続報

12日の大惨事以来、毎日のように新たな続報が流れる。小泉首相の米国指示表明、各国の救援体制、オサマ・ビン・ラディン氏の首謀者有力説等。
犠牲者の顔が見えるような、より感情に訴える報道も流れてくるようになった。

今回の犯人は周到な計画を実行に移す頭脳、組織力や資金力を備え、民間人をまきこむ事もいとわない残虐性を持つ上に、目的のためには自らの命を
平気で投げ出せるような相手である。実態もはっきりしていない、悪魔のような相手に対して一体どのような手立てがあるのだろうか。

アメリカ国民の70%以上が報復行動を支持し、ブッシュ大統領の支持率も急上昇しているという。ブラウン管からは「戦争」ムードがひしひしと伝わってくる。
テロリストに屈服するような事は絶対にあってはならない。しかし、アメリカのトップであるブッシュ大統領に対しては、決して感情的な判断を下さないよう
祈るような気持ちである。

一方、日本はといえば「アメリカを全面的に支持する」と表明したものの、未だ何一つ具体的な支援策を打ち出していない。アメリカの各大学では事件当日
の午後より、献血やカウンセリング、宿泊施設としての校舎提供等のボランティア体制が次々と実行されたというのに。
常にテロリストの攻撃にさらされてきたアメリカと、その保護下でのほほんと過ごしてきた日本の、危機管理体制のレベルの違いに改めて愕然とする。

9月12日(水) 大惨事

昨夜、突然ブラウン管に流れ始めた速報と映像。人々の想像を絶する、史上最悪のテロ事件がニューヨークで起こってしまった。
飛行機らしき物体が衝突した次の瞬間、爆発を繰り返しながら激しい黒煙を上げて炎上する世界貿易センタービル。さらに2機目が突入。
砂の城のごとく、瞬く間に崩壊していく建物。ビルの何10階もの高さから飛び降りる人、悲鳴をあげながら真下を逃げ惑う人。。。
これはハリウッド映画のワンシーンなのだろうか?にわかには現実の事として受け入れ難い、最悪の惨事を目前にしてただ呆然とする。

すぐにアメリカにいるダンナにメールを送る。クラスでも授業を中断してニュースを見守っている、騒然とした雰囲気だ、という事だった。アメリカ人学生の中には、
友人がビル内にいたり、以前の自分の職場だった人さえいるらしい。そしてハイジャックされた飛行機の一部は、2日前に自分が娘と飛び立ったボストン・
ローガン空港発の旅客機だった。
紙一重の差で大惨事の犠牲になった人と免れた人。その差の、なんと大きい事か。

ニューヨーク市内では泣き叫びながらインタビューに答える人達。一方、アフガニスタン国内では反米勢力が街中を車で行進し、国旗を振りながら歓喜の声を
上げる人々(子供まで!)に対して、余裕の笑顔とVサインでこたえている。対照的な光景に憤りながらも、安全な場所からテレビをながめているだけの自分。
人間の残酷さが、無知で非力な自分が、情けなく、悲しい。

ブッシュ大統領は「我々はテロに対する戦争を勝ち抜く」と語った。今後、憎しみがさらなる憎しみを呼び、悲劇が新たなる悲劇を呼ぶのだろうか。
そして犠牲になるのは、国の政策に対する直接的決定権を持たない、非力な一般市民だ。

9月11日(火) 留守管理申請、承認される

日本にもって帰ってきたパソコンのアドレスに、"Tuck Partner's Club"の催し関連のメールがたくさん届き始める。パートナー同士の親睦を深める企画の
数々が今週から本格的に始まるらしい。うー、くやしい。

夕方、マンションのローンを管理している銀行より、「住宅公庫の留守管理申請が承認されました」との朗報を受け取る。

留守管理申請とは、取得したマイホームに何らかの事情でしばらくの間住めなくなった場合、第3者に賃貸する旨を申請する手続きである。
住宅公庫からお金を借りる場合「本人がそこに入居する」事が条件の一つなので、それが出来ない時は公庫から許可を得なければいけないのだ
(いくらお金を借りてるからとはいえ、自分の家なのになんで人に許可を求めなければいけないのか、未だに納得がいっていないのではあるが)。
渡米直前に売却から賃貸に方針を変更し、銀行での手続きの際も「転勤等のケースしか取り扱った事がないので、承認がおりるかどうかは
お約束できません。」と窓口のお姉さんにおどかされたので、渡米後夫婦で一番気にかけていた懸案事項であった。
これで最大の心配事が解消した。残るは「借り手を見つける」という、最後のハードルのみである。

しかし改めて考えると、実に無計画に渡米を実行したものだ、と思う。
もし留守管理申請の許可がおりなかったら今ごろどうしていたのか。今後、自宅の借り手がいつまでたっても見つからなかったらどうするつもりなのか。
資金計画にしても、2年間アメリカで生活できるだけの蓄えが用意できている訳ではない。「なんとかなる」という、根拠のない楽観的観測のみでアメリカ留学を
強行した、実におめでたい夫婦である。
そんなおめでたい夫婦の計画を、心配しながらもだまって応援してくれているそれぞれの両親には本当に心からの感謝の念しか浮かばない。
必ずや充実した留学生活をまっとうし、投資した以上の「何か」を手にして帰国する責任が、私達にはある。

9月10日(月) 実感

体調不良と睡眠不足を解消したかったのに、時差ぼけの娘に朝の6時に起こされてしまった。一緒に朝食をとりながら、実家に転送された数々の書類の
整理をする。アメリカにいるとつい忘れてしまっていたのだが、実は日本の自宅の借り手がまだつかずにいる。ローンだけが順調に銀行口座から引き落とされて
いるこの状況がずっと続くと、アメリカ留学どころではなくなる。明日あたり不動産屋に連絡を入れてみよう。

今日は台風が接近していて風がかなり強く、雨も降ったり止んだりである。新幹線や電車も大事をとって運休。
引越しを週末にしてフライトを先のばしにしていたら、帰国が大幅に遅れていたかもしれない。格安チケットで日程変更ができなかったのが幸いしたようである。

午後、母と一緒に近くのスーパーとデパートに買い物。野菜は新鮮、店員は皆笑顔で感じ良く、丁寧すぎるぐらいの包装。
普通の家庭料理の夕食も、野菜たっぷりでお腹一杯食べても胸焼けしない。娘も昨日から胃に穴があいたのかと思うほど、食欲旺盛である。

ボーっと見ていても内容が理解できるテレビ。NHでは乾燥しすぎて腕まで粉をふいていたのが嘘のようである。小さな事の一つ一つに、日本に帰って
きたんだなあ、と実感する。2日前までアメリカにいた事が夢の中の出来事のようにさえ思えてくる。
しかし今ごろダンナが1人で勉強を頑張っているのはまぎれもない事実である。

9月9日(日) 成田到着

はやく過ぎて欲しい、と祈り続けながら耐えた飛行機の旅もやっと終わりを迎え、成田に無事到着。両親が迎えてくれ、ようやく娘の世話から開放された。
成田からはリムジンバスで立川駅まで向かったのだが、その間はひたすら眠り続けた。とにかく目の奥が痛む程眠かった。

飛行機の遅れ等もあり、八王子の実家に着いたのは夕方6時頃。娘は久しぶりの実家にはしゃぎ気味で、飼っている犬と猫の存在を確認してから
さっそく妹の部屋に上がっていった。
これから3ヶ月間、ここ、八王子の実家での居候生活が始まる。

※ 帰国中の本HPの扱いについては色々と考えてみましたが、とりあえず気が向いた時に週1、2回程度のペースで少しずつ更新していきたいと思います。
3ヶ月更新しないと、HPを削除される可能性もあるそうですし。。。
"Living in NH"というタイトルからはちょっと外れてしまいますが、12月中旬頃には再びNHに戻る予定ですので、「八王子での生活なんかに興味あるかい!」
という方はその頃にまた覗いてみて頂けると嬉しいです。

9月8日(土) 帰国

5時半にチェックアウトをし、空港でのんびりと朝食。。。のはずだったのが、単純な勘違いや確認を怠ったのが原因で、ターミナルを2度も間違え、
ギリギリ滑りこみセーフのチェックインになってしまった。別れを惜しむ暇もなかったが結婚して約6年、3ヶ月も離れるのは今回が初めてである。

娘は離陸直前にスースー寝息を立てはじめたので、まずは一安心。今回は渡米時と違って近くには子供も座っていない。一緒に騒いでスチュワーデスに
怒られたりする心配はなさそうだ。
しかし4、5時間後、元気一杯で起きた娘は別の楽しみを見つけてしまった。「まあ、可愛い」とほめてくださった隣の席の日本人女性にすっかりなついて
しまい、こちらが恐縮してしまう程、ちょっかいを出し始めたのだ。
Sachemに入居した夜からひきはじめた私の風邪も悪化する一方。誰とも話したくない程喉は痛み、鼻がつまってだんだん頭もボーっとしてくる中、娘に本を
読んであげたり、度が過ぎる騒ぎ方を制止したりするのはかなり辛い仕事であった。無邪気な娘の笑顔が悪魔の笑いに見えるのはこういう時である。

9月7日(金) ボストン泊

今日は午後3時頃にボストンに発つ予定。今日の私の役目はこれから3ヶ月間「にわか独身貴族」になるダンナのための生活セットアップである。
朝、ダンナを大学へ送って帰宅。朝食をとってから航空会社へのリコンファームや新居を担当する電気会社への名義変更届け等の電話を済ませ、
Sachem寮の生活ガイドの一部を要約し、コインランドリーで洗濯する。そして日本から持参したワイシャツのアイロンがけ。まもなく来夏の企業内インターン
シップに応募するための面接が始まるからだ。こちらの学生がスーツを着用する、数少ない機会である。
最後にご飯を10合分、焼きおにぎり等の形で冷凍。娘の相手もし、途中でダンナを大学に迎えにいったりしていると、結局Sachemを出発できたのは
6時頃だった。
ボストンのホテルには9時前にチェックインし、夕食は入国当日と同じジャパニーズレストラン"Bisuteki"で食べた。たった1ヶ月前の事だが、あの頃に比べると
アメリカという国に対して自分なりのイメージが大分出来てきたなあ、と思う。結構色々な事を経験した、密度の濃い時間であった。

明日の飛行機は7時半発。ちゃんと起きなきゃ。

9月6日(木) 新居

朝ダンナを大学へ送り、自宅に戻ってまもなく引越し業者が到着。
来てくれた男性スタッフ2人はとても感じがよく、あばら家から次々と荷物が減っていく。
一番気になっていたのは新居に持ち込むラグであった。電話予約の際に「靴を脱いで作業をして欲しいんだけど。」と言うと、案の定「当日向かうスタッフに
交渉するのはかまわないが、怪我等の問題もあるから本人達がOKするかどうかはわからない。」との返事。
頼んでも無駄だろうな、とお願いするのをやめる。ドカドカと土足でラグの上を歩きまわるお兄ちゃんとおじちゃん。。。見なかった事にしよう。

40分後にすっかりがらんどうになったアパート。工夫をこらしてそれなりに快適に住んではいたが、こうして眺めるとやっぱり「引っ越せてよかったあ!」という
ボロ家であった(笑)。

新居への全ての荷物の運び入れが終了し、支払いを済ませてからいよいよ新居を整える作業を開始。ダンナも昼食を大学でとって夕方まで帰らない予定
なので、いっきに仕上げよう!。。。と思ってたら、ダンナから電話。昼食のテイクアウトをするから迎えに来てとの事。新居をはやく見たいわけね。
買ってきた昼食をキッチンに置いたダイニングで食べながら「いやあ、ホントにSachemに来ましたなぁ」と会話も弾む。
ダンナは久しぶりに手に入った「書斎」を眺め、午後の予習があるはずなのに引越し前に買っておいた本棚を組み立て始めながらニコニコしている。
よっぽど今まで集中できなかったらしい。

夜まで働き続けてひととおり家の中が生活できる環境になった。裏庭のあちこちをリスが走りまわっており、夜中には満天の星に包まれるSachem。
入居できた喜びもつかの間、明日の午後は帰国するためにボストンに向かう。

9月5日(水) 引越し前日

明日はいよいよ引越しである。今日はその準備におわれ、実に慌しい一日だった。

朝ダンナが車で大学へ行ってから荷造りと引越し前最後の洗濯へ。(ソフトクリーム屋は「臨時休業」。がっかり。。。)
帰宅後、荷造りの続きをしながら昼食の準備。ダンナが帰宅したので、昼食を食べてまたすぐに大学へ送り、Housing Office でSachemの鍵をもらう。
掃除道具を持参したのに、「床のワックスを乾かさなきゃいけないから5時まで入らないでね。」と言われてしまい、泣く泣く帰宅。

空き時間ができたのでディーラーへ。昨日から車のエンジンランプがつくようになったのである。金曜にはボストンまで行かなければいけないのに。
検査日は一番早くて来週の月曜との事。「ランプがついていてもボストンに行くぐらい、大丈夫。」ホントかな?仕方なく信じて検査を予約する。

帰宅してダンボールをいくつかと掃除道具を持って再びSachemへ。家中をざっと掃除し、ダンボールの中身を棚にしまってからダンナを迎えに大学へ。
夕食をとったらダンナは再びスタディ・グループのミーティングへ。私と娘は荷造りに戻る。
こんな時、子供というのは一番やって欲しくない事ばかりをやってくれる。何度も中断(妨害?)されてはかどらない荷造りにいらつき、娘を怒鳴りつける。
直後に自己嫌悪に陥るのだが、こりない娘をしばらくするとまた怒鳴りつけてしまう。母子ともにストレスの多い一日である。
ダンナが帰宅して荷造りの仕上げをし、HPを更新していたらもう夜中である。一日中時間を気にしながら動き回っていた気がする。

明日の引越しの時間はなんと、朝の7時半〜8時!しかもそれまでにダンナを大学に送って帰ってこなければならない。ちゃんと起きられるかなあ?
なんとか大きなトラブルもなく無事に引越しできるよう、祈るばかりである(日記を書いてる場合じゃないって)。

夫婦そろってHPを更新しようとして、電話がつながらなくなっている事に気がつく。もう引越し当日になっちゃったのね。

9月4日(火) 下見客(今日の日記は長いです)

本日よりダンナのMBA本カリキュラムが始まった。
昨日のダンナのHPの日記コーナーは「所信表明」のような内容。本人もかなりの覚悟を決めているようである。

"地獄のFall Term"と呼ばれる秋学期。時間割を見ると、月〜金は午前中のみ授業、そして夕食後のスタディ・グループのミーティング。土曜はお休みで
日曜にグループ・ミーティング。つい、「なんだ、すごく楽そう。」と思ってしまったが、自由時間の多さにだまされてはいけないらしい。自由時間=そっくり自習時
間、というのが実態で、アメリカ人でも時間が足りない程たくさんの課題が出るそうだ。

ダンナを送りだしてからボストンのホテルを予約。土曜日の早朝にボストン発の飛行機で帰国するため、前泊するのである。8月9日にボストン入りした時と
同じホテルをとった。家族で1ヶ月前を振りかえりつつ、しばしお別れするのも一興なり。
(ちなみに、そのホテルにはJapanese Restaurantがあった。"Bisuteki"。 ??? ビフテキ? すきやき ???)

そしていよいよあさってに向けて引越しの準備。渡米にあたっては最小限の荷物を一番安い郵便局から送った私達。ダンボールが到着した時には、全ての
角がとれてまん丸になってしまっており、とても使える状態ではなかった(中身が無事だったのは奇跡だ)。ダンナの日本人クラスメートのメーリングリストに
ヘルプを求めると、あっという間に必要個数が集まった。それも日通やクロネコヤマト等の、非常に頑丈なダンボールばかり。本当にありがとうございました。

午後一番、ダンナが一時帰宅したのと入れ違いに近くのスーパーへゴミ袋やガムテープ等を買いに。帰宅すると、「すぐに大学に戻る」と言っていたはずの
ダンナがまだいた。「。。。最悪。。。トイレあふれちゃったよ。。。」浴室をのぞくと床が水(?…)浸し。せっかく敷いたビニールシートもぐにゃぐにゃである。

あんまりじゃない?最後の最後まで。

キッチンペーパーにトイレットペーパー、貴重なタオルも雑巾におろして夫婦でトイレの床を拭く。水遊びと勘違いして嬉しそうに走ってくる娘を追っ払いながら。
大体拭けたところでダンナは時間切れ。大学に戻っていった。
「バリバリ荷造りするぞー」と勇んで帰宅したはずの私は、まだ水が染み出てくる箇所にトイレットペーパーで栓をし、放心状態のままキッチンで茶を飲む。

「4時にはConnie(不動産屋)が客に部屋を見せにくるんだっけ。それまでに間に合わせないと。。。いっそこのまま見せてやろうか。「こんなひどい家なんですぅ」
ってか。いやいや、せっかく円満に契約解除が出来たのに、墓穴を掘ってどうするんだ。。。弁償しろとか言われかねないって。。。」
気をとりなおしたところでようやく腰をあげ、洗剤と雑巾で床を拭き、栓をしたトイレットペーパーを取り替えてから3時半に目覚ましをセット。Connieが来る直前
に仕上げの一拭きをするためである。

荷造りに取りかかって30分もたたないうちに、ドアをたたく音。なんと敵の到着である。まだ2時なのに。
「4時じゃなかったっけ?」かなりうろたえながら聞くと、「1組急に入っちゃったの。連絡できずにごめんなさいね。」
玄関ドアのところで靴を脱ぐようにお願いして急いで浴室にむかい、床のあちこちに敷いていたトイレットペーパーをゴミ袋に捨てる。ゴミ袋を隠すヒマはなし。
もちろん仕上げ拭きの時間もなし。しかも壁際からまだちょっとしみ出てるって。。。

下見客はとっても感じのいい学生さんらしき男性1名。2人は全ての部屋を見てまわり、「ありがとう」と言って帰っていった。
浴室に入っていった学生さんは知らずに水たまりの横2cmのところを歩いていき、サンダルできたConnieは裸足で中へ。(あ〜あ。。。)

4時に再びConnieが連れて来たのは若いカップル1組。やはり感じのいい女性と、なぜかアイスをなめながら入って来た男性。
今度はとりあえず浴室も片付けた後であり、荷造りの真っ最中だった先ほどとはちがって家の中も大分すっきり。3人はそれぞれの部屋をまわりながら、
ニコニコしながら帰っていった。

2組とも、「ちょ、ちょっと、チェック足りないんじゃないの?」と言いたくなるほどあっさりとした下見である。どこも触らず、どこも開けず、水の出具合や換気扇の
場所(といってもないけど。なんとレンジフードもない)も確認せず(日本で写真も見ずに一年契約を交わした私達が言うのもなんだが)。
そして、彼らの反応は"Oh, very good !"、"It's really nice!" と上々なのである。

そうなの?この家はOKなの?私達が贅沢すぎるの? 

9月3日(月) お客様

今日はお客様を3名ご招待。我があばら家への最初で最後のお客様達である。
正午に来たのはダンナと同じクラスのアメリカ人、マイクである。大学で「クラスメートと文化交流を図るためのランチをせよ」という宿題が出たため、ダンナが
自宅に招待したのだ。"Japanese favorite menu"と説明してトンカツ定食でもてなした。
お母さんがスコットランド出身だというマイクは、アメリカ人のユーモアとイギリス人の品の良さをあわせもったナイス・ガイで、お互いの文化の紹介や卒業後の
キャリア・プラン、この近辺の安くて品揃えの良い店の情報交換等をしているうちに、あっというまに3時間がたってしまった。

その後、ダンナはスタディ・グループのために大学へ。それぞれのスタディ・グループが明日からの本番のために予習を始めている。
私は洗濯とお客様第2弾をお迎えするための準備に入って、朝から煮込んでいたカレーと残りのトンカツを揚げる準備。

7時に来たのは、こちらでの生活が既に4,5年になる医学部在籍のS氏と、日本人クラスメートのT氏である。2人とも独身なので、なんの芸もないカツカレーと
サラダの夕食をこちらの方が気持ちよくなる位、嬉しそうに食べてくれた。有り難い事である。S氏はこちらで発行されている日本人向けの雑誌(さすが、アメリカ
生活のキャリアを感じる)、T氏は日経新聞を持参してくれた。海外生活者にとって一番嬉しい手土産である。
彼らの話をきいていて思ったのは「こっちで出会った日本人達は本当に好奇心旺盛でマメだなあ。」という事だ。実に行動力があるというか、たくましいのだ。
そういう人達だからこそ海外に出ようとするのか、海外で生活するうちに必要に迫られてそうなるのか。立場は全然違うのだけれど、こちらまでパワーをもらって
いるような気がしてくる。

しかし、S氏にしてもT氏にしてもダンナより2,3歳年下。年上女房の自分はこよい最年長であった。
MBAの「取り時」が20代後半〜30前であるため、日本人クラスメートの奥様方の間でも自分が限りなく最年長に近い。うーん。。。

9月2日(日) ジャパニーズ・パーティー

午後1時より日本人クラスメートのK氏宅にて焼肉パーティー。集まったのは、日本人23名+アメリカ人1名の総勢24名(含む子供)!
家に入りきるのかと思いきや、実に広くてお洒落な一軒家であった。家の裏にある広い芝生と森はそっくり「マイ・ガーデン」。
家の中も外も別荘さながら、まさに「自然に恵まれたアメリカの豊かな生活、ここにあり」という感じである。

印象的だったのはKさんご夫妻のホスト役のこなしぶり。
ゲスト達に細やかに気を配りながらも、本人達にはそう感じさせない、絶妙な
バランス。そして何よりも、本人達がパーティーを心から楽しんでいた。
パーティー経験は特にないとの事なので、ご夫婦の気さくな人柄がなせる技で
あろう。
Kさんご夫妻のお嬢ちゃんも含めて2歳児が3人に1歳未満の赤ちゃんが1人。
友達&おもちゃ天国のKさん宅で、娘は渡米以来、一番のはしゃぎようである。

男性陣はキャノピー張りとグリル担当、女性陣が焼肉や焼き鳥、焼きおにぎり等
の準備を担当し、料理とおしゃべりをこころゆくまで楽しんでいたら、結局正午から
夜の9時近くまで長居してしまった。

出来過ぎなのではないかと思う程、楽しい人達ばかり。どこにいっても人には
恵まれるなあ、と改めて実感する。それは何よりも貴重で幸せな事だよね。

あれ? 今日って、もしかして一言も英語しゃべらなかったんじゃ。。。

 

9月1日(土) コリアン・パーティー

今日は3連休の初日。月曜日はLabor's Day - 祝日なのである。ダンナにとっては秋学期が始まる前の最後の休日。
にもかかわらず、この3日間のスケジュールはもりだくさん。今日の夜は韓国人クラスメートに誘われて韓国料理(つまり焼肉!)のパーティー、
明日の昼は日本人夫婦宅で焼肉パーティー、そしてあさっては昼にアメリカ人1名、夕食に日本人2名を自宅にご招待。刹那的なまでのパーティーづくし。

買い物の前にコインランドリーに立ち寄ると、偶然ダンナのクラスメートのビルに会った。ハーバード大卒の、アメリカ人の彼が洗濯の合間にテキストを
開いて勉強している。対して「勉強するよぉー!。。。火曜日から。」とのたまう英語力イマイチのダンナ。世の中これで許されるはずはない。

夜のパーティー会場はおなじみのSachem Villageである。今回の主催者である韓国夫婦2組は、コの字型に並んだ2階建てのタウンハウスに住んでいた。
コの字の内側が公園になっており、まるで自分の庭に公園があるような感覚である。また各世帯のリビングが公園側に面していて普段から交流も盛んらしく、
今日のパーティーにもご近所さんがふらっと立ち寄って一緒に料理や会話を楽しんでいた。

奥様2人で5時間かけて作ったという韓国家庭料理のオンパレードにグリルで焼いたカルビ肉。最近はアメリカの料理にもずいぶん慣れてきたが、それでも
久しぶりに心底「美味しい!」と感じた夕食だった。次は自分達が「日本パーティー」を企画する番なんだろうな、やっぱり。。。
料理のセンスに欠ける自分としてはプレッシャー大である。

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