Diary of October   Makko's Diaryの目次へ   ホームへ戻る    翌月へ

10月28日(日) 同期会

元の会社の同期のK嬢とHと新宿で会う。2人は朝から東京モーターショーを見に幕張まで行って来ており私だけが夕方から合流した。
たまたま待ち合わせ場所の近くにK嬢のお気に入りのブティックがあったので、中をひとまわりしながら色んな洋服をあれこれと批評したりお互いに勧めあったり。
さんざん楽しんでから手ぶらで出た私達に店員さんはさぞかしがっかりしたに違いない。
2人が幕張の人混みで疲れていたので、甘い物を補給しようと喫茶店でお茶とケーキを注文。様々な話題に花咲かせながらケラケラと笑い続ける。

ウィンドーショッピングにお茶にケーキ。女性同士のデートコースの王道である。独身の2人にとってはともかく、私にとっては、「そうそう、こういうデートなのよ、
私が長らくご無沙汰していたのは!」という感じ。特にウィンドーショッピングなんて親子3人では親子3人では絶対に楽しめない。どの洋服を体にあてて
見せても「いいんじゃない?(どうでも?)」というダンナに、ちょっと退屈すると悪さをしでかす娘では。

夕食時になったのでK嬢が知っているお店へ。なぜか雑居ビルの地下一階にある薄暗い居酒屋(笑)。お酒が飲めないのにオヤジくさい店を知っているもの
である。料理はとても美味しく、わかりにくい場所にあるわりに店が繁盛しているのにも納得。「おやじデート」の王道らしく、話題の中心は会社にうつる。
どの部署の話になっても興味深く聞けるのが、全社員を覚えている元人事部員の特権かもしれない。一緒にあーだこーだと議論しながらため息をついたりして
ふと可笑しくなる。そうだった、自分はもう退職したんだっけ。
それでも、新卒で入社し充実した社会人生活を過ごした、思い入れのある会社である事は変わらない。

そういえば、2人に「会いたい、と泣いてた」と、ダンナからの伝言を伝えるとなぜか爆笑された。目下のダンナの「淋しく厳しい留学生活」を想像すると、
あながち冗談でもないのでは、等と思ったりもしているのだが。

10月27日(土) 散歩

不動産屋から「契約が無事終了しました」との電話が入った。マンションの鍵を宅急便で送るために最寄のコンビニへ。「散歩にいく?」と娘を誘うと
「もえちゃんもいく!」大喜び。「いってきまぁあす!」とはりきってついてきた。

「まま、宅急便で送るものがあるからね。お店に行こうね。」と言いながら家を出たものの、「あ、かいだん!」と早速寄り道をする娘。
のぼる。おりる。またのぼる。「ままー、おいで、おいで!」と誘う。一緒にのぼると「んふふふふふ。。。」と笑う。
2、3段上から手を貸して飛び降りさせる遊びを数回してあげると、やっとまた歩き出した。。。と思ったら今度はマンションの入り口の階段を発見。
「モデルルーム展示中」のカラフルな張り紙のせいか、「このお店はいろーよ!」。「ここはお店じゃないよ。あっちのお店に行こう。」
すると、そこへ同い年と思われる男の子を連れたママさん。「あ、おともだち!まま、おともだちだよ!ばいばーい!」と手を振る。男の子の方は手に石を持って
いるせいで手が振れないらしいが、何度も振り向いてくれる。
「あ、あっぱ(葉っぱ)!あっぱだよ!」、「てんとーむし、いた!」、「いし!まま、いし、はい!」。次々と戦利品を見つけては母に渡してくれる娘。単なる
散歩も、この年頃の子供にとっては大冒険である。かと思うと、「まま、しゅーくぃーむ、かう?」と、妙に現実的だったり。

やっとコンビニに到着。申込用紙を記入している横でレジのお姉さんに「まじょのたっきゅーびんなの!」と説明する娘。面白がって相槌をうってくれるお姉さんに
散々愛想をふりまいてから「ばいばーい!」と、小さなチョコレートのお菓子を手にお店を出る。
「おうちに帰ってから食べようね。」というと、帰り道は実にスムーズである。それでも最後の角を曲がるところで階段に向かって歩いていくので、やっぱり階段の
魅力はそれ以上なのかと思ったら、1段目に座って「ここでたべよっか。」
自分のしたい事のためには本当に知恵がまわるんだなあ、と感心はするがここで譲ってはいけない。「あれー、もえちゃんのおうちはどれかなー」と探すふりを
すると、「こっち、こっちー!あ、もえちゃんのおうち、あったよー。」
この年頃の子供は、びっくりする程頭がまわるかと思うと、簡単にごまかせたりもする。そのギャップの大きさが可笑しくて、つい色々と「遊んで」しまう事もある。
娘のすこやかな成長にひびかないといいけど。

何はともあれ、大冒険を終えて満足そうにお菓子を食べた娘であった。

10月25日(木) 初「大家」

最後にして最大の心配事がやっと解決。わがマンションに11月から借り手が決まったのである。固定資産税等は別だが、ボーナス払いを含めた年間の
住宅ローンがほぼカバーできる程度の家賃収入が入る事になり、心底安心している今日この頃である。

嬉し恥ずかしの初「大家」体験。実家は今は持ち家だが、私が結婚した時までは転勤が多かったせいもあってずっと「借り手」の経験しかしてこなかった。
借りる側としては常々疑問に感じていたのに、いざもらう側になってみると、ああ、ありがたやニッポンの礼金制度(笑)。8月〜10月までの空室期間中の
ローンもこれでほぼ相殺できそうである。

借家生活の長かった実家はいろんな大家を経験している。杉並区に住んでいた頃にはこの「礼金」を悪用している強欲ばあさんにあたってしまった事がある。
「自分は住まないから」更新は何度でも可能だという事で、長く住める家を探していた両親はその家に決めた。ところが、1回目の更新直前に突然、
「娘夫婦が外国から帰国して一緒に住む事になったので出て欲しい。」と言われたのである。あわてて新しい家を探してバタバタと引っ越したのだが、
しばらく後になって近所の人から、「ああ、あのお婆さんね。別の人に貸してるわよ。あの人2年毎に同じ理由で借り手を追い出してるのよ。」と聞いて母は
非常に腹を立てていた。

かと思えば「ごめんなさいねー。ちゃんと掃除をしようと思っていたんだけど、引越し直前に体調を崩してしまって。。。」と謝っていた大家もいた。
ところが引越し当日、中に入ってみて唖然。一週間どころか、どこもかしこも何年も放っておいたとしか思えないような汚れ方であった。お医者さんの奥様
だったが、掃除できないなら業者にお願いするべきなんじゃないの?超ビンボーな私達でさえ、自分で掃除した上にクリーニング業者にも依頼したのに。
ちなみにそこの家を出る時は、午後にはもう入居したいからとお向かいさんのお宅でお茶を飲みながら待っている彼らにせき立てられるようにして
家族総動員で最後の掃除をすませたものである。電気・ガス等の業者にもちゃんと連絡を済ませて出たら、その奥さんは後で「お茶も飲めなかったわ。」と
こぼしていたらしい(そんな事、知るか)。

絶対、あんなに非常識で自分勝手な大家にはならないぞー、と1人心に誓う私であった。。。

10月24日(水) 常識人

渡米前から通っていた歯医者に行く途中の電車の中で、向かい側に座っていた女の子2人の会話が聞こえてきた。話している方の女の子は
居酒屋でアルバイトをしているらしい。
「この前客が吐いちゃってさー。もう最悪だったよ。」「げっ、まじー?なに、それ誰がふいたのー?」「ほとんどは店長がふいたんだけど、私も手伝ったんだ。」
「うわ、さいあくー。でもなんで?そこまでしなきゃいけないの?自分達でふけばいいじゃん。」「てゆーかさあ、友達が膝枕をして介抱してた時に吐いちゃった
から、その友達も膝にかかっちゃって動けない状態だったんだよねー。。。もー、ガキじゃないんだからさー。ほんと、ちゃんと考えて飲めって感じだよねー。
いい年してさー。。。」

「いい年」というのが何才位の事なのかは最後まで分からなかったが、聞いていると肩身の狭くなるような会話であった。私自身はまだそのような「そそう」をした
経験はないのだが、その手の「お友達」には男女含めて非常に(!)恵まれているからである。もちろん、ダンナもそのうちの1人だ。
おかげで、人の「置き土産」の後始末をしたり、店員さんに謝ったり、はたまたバレる前に皆で逃げ出したりと、いわゆる「さいあくな酔っ払い集団」に加担する
ハメになった経験は数知れない。

女の子達は髪全体を派手な金色に染め、渋谷でみかけるガングロちゃんほどではないが、服装も化粧もかなり力の入った「いまどきの」女の子達だった。
一方、私のお友達はというと、普段は正統派のスーツをビシッと(?)着こなし、完璧な敬語を操りながらテキパキと仕事をこなしているビジネスマン達である。
やはり人間、見かけで判断してはいけない。

10月23日(火) 育児考

ダビングした「となりのトトロ」を見過ぎてテープを壊してしまった娘は、替わりに借りてきた「魔女の宅急便」を一日2回は見ている。トトロほどではないが、
気に入ったらしい。
娘がテレビを見るときは時々気に入ったセリフを何度か口真似している。子供ってこうやって言葉を覚えてるのねー、と感心してしまう。
既に知っている単語だけなら「とないのとっとよ、とっとぉ〜よ」(となりのトトロ、トトロ)と、なかなか上手に歌うのだが、それ以外の部分だとヒヤリングのみに
頼っているため、「ぼぉ〜けぇ〜、あじまうぅ〜」(冒険始まる)等、本人の発音の癖も手伝って何がなんだかさっぱりわからない。
しかし、この似ていないようで似ている歌はなんとも可笑しく、可愛い。音程とリズムだけはかなり合っているので、歌っている歌が分かって聞いていると本当に
爆笑もので、下手なバラエティー番組よりもレベルが高いと思う(これは娘に限らず、この時期の子供の歌なら全てそうだろう)。

しかし相変わらず反抗期が続く小憎らしい娘。何を言っても「いーやっっ!」の返事から始まる毎日である。
昨日はさすがの「ばーば」も堪忍袋の尾が切れてしまい、「なんでもかんでもいやいや言わないのっ!たまには「はい」と言いなさいっ!」と怒ると、間髪入れずに
「はい」と答えた娘に、吹き出しそうになるのを必死でこらえる。

本気で怒っている最中でも何かしら可笑しい事がある。逆にこんな楽しさ位ないと、育児なんて続かないのかもしれない。
虐待事件を引き起こした母親達のほとんどは、そんな余裕も持てない程の孤独の中で、直前まで懸命に戦っていたのではないかと思うのだ。
元気が良いとか良過ぎるとか、偏食が激しい、言葉遣い、わがまま(子供なんてそもそもわがままで当然なのだが)等 ―。真面目な母親ほど、我が子の
全ての言動や性格は、自分(の育児)に責任があると思い込んでしまうものなのである(アバウトな私でさえどこかでそう考えている部分がある)。
1人で全部を抱え込まなくてもいいんだという事、自分が頑張っている事を身近な人が分かってくれているという事、母親がそう実感できるだけで心の余裕は
全く違ってくるのだ。
お子様のいるダンナ様方には、手伝う時間が取れないならせめて奥様にそう実感させてあげて欲しいと心から思う。そして自分で経験しないうちは、決して
「育児なんて誰もがやっている事なんだから」等と考えないで欲しい。

あれ?育児日記だけのつもりがなんでこんな文章になっちゃったんだろう。別に不満がある訳でも育児に疲れてる訳でもないのよ、ほんと。

10月22日(月) 戦の後

妹の修羅場も無事に過ぎ去り、午後一番にアシスタントさん達が帰っていった。食料の買い出しや洗濯物の量、洗う食器の数もようやく元通り。

今回はいつもの人達の都合がつかず、22歳の初々しい新人さん2人であった。
歴代のアシスタントさんの話を聞いていてもその環境は様々。妹と同じく実家に住み経済済的には恵まれた人、1人暮らしで自分の漫画、アシスタントの
アルバイトの他にコンビニ等でも働きながら生計をたてている人、アシスタント業にどっぷりつかっているうちに自分の作品を書くことを忘れてしまった人。
昔来ていた1人暮しのアシスタントさんの中には、「夕食のおかずが2品以上ある。。。」と感激した子もいたらしい。母も最初は気の毒に思っていたらしいが、
何度か来るうちに妹の方が「キレて」しまい、出入り禁止となったそうだ。風呂に入るといつまでたっても出てこない、食事時は元気なのに仕事になるとため息
ばかりで挙句の果てには居眠りを始めるようになったというのだから、無理もない(笑)。一方、お風呂に入る前後もわざわざ「お風呂頂きます。」「ありがとう
ございました。」と居間にいる家族に声をかけていく子もいたりする。
なんの仕事をするにしても基本的な礼儀や常識はあまり変わらないようである。

10月21日(日) 修羅場

昨日からすぐ漫画家の妹の仕事が佳境に入った。若いアシスタントさんが2人、2泊3日のアルバイトに来ているのである。
一時帰国中の現在私と娘が使っている部屋は、この3日間はアシさん達にお譲りしている。

3人は3日間、半分徹夜状態でひたすら原稿を仕上げ続けるのである。それも大変そうではあるが、なんといってもこの時期一番大変なのは母なのだ。
アシスタントさん用の寝具を準備し、もともと多い家族(私と娘のせいでもあるが)+さらに2人分の食事を用意し、普段は妹の役目であるリュウ(実家の犬。 "Family Report"コーナー参照。)の散歩までこなすのである。翻訳兼漫画家の付き人(そんな職業あるのか?)をやっているようなものだ。今回はヒマ人の
私が手伝ってはいるが、普段はそれを全て1人でこなしているのかと思うと頭が下がる。親というものはいつまでたっても子供に苦労させられるものらしい。
(あ、私か。。。)

10月14日(日) 従姉妹達との再会

朝7時半頃に起床。にも関わらず、朝食は既に用意されている。今回に限った事ではないのだが(笑)。

たいして母の手伝いもしない不出来な娘が、家事の大変さを実感したのは結婚してからである。今回、実家に居候している間は結婚前のつぐないも兼ねて
少しは手伝っているのだが、ダンナの実家では食事の後片付けさえ、「いいからゆっくりしてて。」と手伝わせてもらえない。私ほど甘やかされている「嫁」も
そういないのではないだろうか。
「親はいつまでも子供の心配をするもの」ではあるのだろうが、それにしても私達がこの留学でそれぞれの両親にかけている心配と苦労は大きすぎる。
いずれ必ず親孝行させていただきます。

昼過ぎに義姉が3人の娘を連れて遊びに来てくれた。従姉妹達との再会に娘は大はしゃぎである。
なんといっても「じーじ」以外の全員が大小取り混ぜた女性。かしましいことこの上なし、とはこの事であろう。日頃自分より年下に恵まれていない娘が、一つ
年下にあたる義姉の三女に向かって「ここ、しゅわって。ここ。」と一人前に指図している(全くきいてもらえないのだが)。かと思うと、一つ上の二女とはおもちゃ
の取り合いをし、既に小学校の長女には大人しくおんぶされているのである。子供同士の集団でしか学べない事もあるらしい。

暗くならないうちに帰らなければと、後ろ髪をひかれながら3時頃に駅に向かう。姿が見えなくまるまでじーじ、ばーばに手を振りながら電車に乗り、遊び疲れた
娘はあっという間に眠りに落ちた。乗換えのために安眠を妨害された娘は、ただでさえ大きな荷物をかかえた私にだっこをせがむ。どこで覚えたのか、
「もう、いやっっ!」と泣き叫びながら。それはこっちのセリフだっつーの。まさに「行きはよいよい、帰りはこわい。」。。。

それでもなんとか6時過ぎに実家にたどり着くと、「いやあ、実に静かでのんびりできた2日間だったよお〜。」とは、実家の皆様方のお言葉。
義父母達は「今ごろ、向こうでは萌ちゃんがいなくて寂しがっているでしょうねえ。」と心配してくれていたというのに。

10日13日(土) ダンナの実家訪問

お昼過ぎに実家を出発し、娘と一緒にダンナの実家へ。電車に乗っている時間は約ニ時間、その間に乗りかえる事4回。なるべく座っていけるルートを選んだ
ので、ジュースとグリコの「ビスコ」、そして電卓サイズのお絵かきボードで間をもたせる事ができた。
(ちなみにお絵かきボード遊びは、「これはなんですか?」「バナナでしゅ!」「正解!」と遊んでいるうちはよかったのだが、「もえちゃんが!」となってからは大変。
ぐちゃぐちゃっと描いた「なにか」を「こえはなんでしゅか?」と聞かれても。。。「大きいトトロかな?」「ちがいまーしゅ!ちーしゃいととよでしゅ」(娘は今「となりの
トトロ」という宮崎監督のビデオに夢中)。。。次に描いたのが「おーきいととよ」だったらしいのだが、その違いはさっぱり分からないのである)。

2ヶ月ちょっとぶりの義父母との再会。NYのテロ事件以来、さぞ心配な日々だろうと思う。
短い間にさらに子供っぽく(つまり大人に)なった孫を見ながら感心したり笑ったり。娘もあっという間にいつもの調子で家の中を走り回り、義父に誘われた散歩
にも、「じーじとおしゃんぽいくの。まま、ばいばーい。」と、1人で出かけていった。
義父母にはたまにしか会えないせいか、少し前までは慣れるのに半日程かかったものだが、今回はその心配も不要なようである。言葉の方も、誰が聞いても
かなり理解できるほど、発音がしっかりしてきた(もらったお人形を寝かしつけながらの、「ねたぁこーのぉ〜、かぁわーいしゃ〜。。。」という子守唄までちゃんと
聞き取ってくれた「ばーば」であった)。

電車の中でも一睡もせず、到着してからはもっと元気になった娘がついにがっくりと力尽きてしまったのは8時半。じーじ、ばーばも就寝時間が早いので、
私もそのまま娘と一緒に床についた。

早寝・早起きに和食中心の食事。これほど健康的で模範的な生活を送る両親なのに、なぜその息子はあんなに朝に弱いんだろうか。ダンナも小学生の
頃は毎日7時半にベッドに入っていたというが、今となっては信じ難い事である(笑)。

10月12日(金) 遠出前夜

明日からは娘を連れてダンナの実家に一泊する予定である。「わかるかなー」と思いつつ娘に説明にしてみると、「あしたでんしゃにのってぇ〜、じーじとばあばの
ところにいこーねえ!」と大はしゃぎ。あんまり嬉しそうなので、なんだかこちらまで嬉しくなる。

渡米前から、自宅により近かった自分の実家には何かの用事の度に娘を預けていた。母よりも面倒見の良い叔母ちゃん達や犬猫のおかげか、娘は1人で
お泊りする時でも喜んでついて行ったものである(むしろ帰ってきた時も、車で帰ろうとするばーばに再びついて行こうと泣き叫ぶので、母としては複雑な心境
だった事も)。
それに比べてダンナの両親に会うペースは2、3ヶ月に一回程度。孫をとっても可愛がってくれる義父母に対して、このバランスはやはり申し訳ない。

そういえば前に新聞の投書欄で、「孫が遊びに来てくれるととても嬉しい。しかし一日遊びにつきあわされた後に帰っていく時はもっと嬉しい。」というような
内容のものがあったっけなあ。もしそうだとすれば、迷惑しているのはむしろ実家の両親だったりして。

10月11日(木) 「もえ抄」

ダンナから電話。私が話し出すと、いつものように娘は電話の前の壁にあるインターホンの受話器をとり、同じように話し出した。「んー。。。。んー。。。。
あ、そー。きゃははは!」と遊んでいるのである。「ごっこ」遊びなら実にリアルにしゃべることができるのだが、本物の受話器を耳にあてられるのはあまり好きでは
ないらしく、「いやぁ〜!」と怒って逃げ出す事が多い。
今日も「ほら、パパだよー」と、かわってあげようとしたらさんざん嫌がったのだが、いざ電話に出た途端、「あ、ぱぱー!」と珍しく反応。「んー。。。んー。。。」と
神妙にうなづいていたかと思うと、なんと「もえちゃん、ぱぱにあいたぁ〜い!」と、ここ一番の殺し文句をキメた。そんな台詞、聞いた事ないんですけど。
ぱぱは電話の向こうで男泣きに泣いていた。。。かどうかは、母にはわからない(笑)。
12月半ばにアメリカで再会するまでには娘もさらに大きくなり、口もたっしゃになっているはずだ。この成長の著しい時期に4ヶ月間も娘に会えないというのは
父親としてはやはり辛いところだろうなあ。(しかし、12月には果たして渡米できる状況になっているのだろうか。。。)

しかし最近の娘はとても扱いにくい。現在2歳5ヶ月。。。3歳に向かっていわゆる「反抗期」という時期に差しかかっているようだ。
実家は人間だけでもじーじ、ばーば、ははに加えて2人の「叔母ちゃん」がいて、その他に犬一匹、猫一匹の大家族である。全員があれこれとかまってくれる
おかげで、言葉の発達はめざましいものがあるのだが、要らない知恵の方も比例してついているような気がする。なにせ、「もえちゃん、ごめんなさいは?」に
対して「もーいったもん!」なのである。
2人の叔母ちゃん達は「もえちゃん、最近かわいくなーい!」と言いながらも、なんだかんだとかまってくれているのだが、最近は2人とも仕事が忙しくなり
(1人は漫画家、1人は管理栄養士)、娘は彼女達の部屋に入れてもらえなくなった。
やっぱりそのせいなんだろうか。。。とにかくやたらと怒りっぽいのである。もともとめったに泣かない方だが、この頃はさんざん駄々をこねた挙句の果てに
怒られて大泣きするパターンがすっかり定着してきつつある。

早く妹達の仕事が落ち着かないかなー。(非力な母。。。)

10月8日(月) お土産ツアー

3日前に会ったドイツ人の友人と夕方に新宿で待ち合わせ。友人は木曜には全ての公演を終えて帰国する予定である。
思えば育児休暇以来、3年近くご無沙汰していた新宿。グッチやルイ・ヴィトンなどのブランド直営店が並び、すっかりみちがえている様子に驚く。
今回は友人の子供達へのお土産を買うための新宿ツアー。まず様々なキャラクターのフィギュアや漫画、ビデオ等が買える「超オタッキー」なお店に向かった。
ドイツではちょうど「ドラゴンボールGT」の放映が始まったところで、彼の12歳の息子はそれに夢中らしい。流行りすたりの早い日本では、ドラゴンボールグッズは
愛好者向けの専門店でわずかに売られているだけのようだ。
初めて入ったそのお店にはウルトラマンシリーズ、ガンダム、デビルマン、セーラームーン等、様々なキャラクターグッズが所狭しと陳列されており、ドラゴンボール・
フィギュアは1,500円程度。普通のオモチャ屋を探しまわって半ばあきらめかけていた友人も大喜びで一体購入した。7歳の娘には柴犬のぬいぐるみを買い
(一家全員が"SHIBA-INU"の大ファンで、自宅で一匹飼っている)、お土産ツアーもめでたく終了した。
天ぷら屋さんのカウンターで夕食をとりながら公演の入り具合を聞くと、万単位のチケットにも関わらず各回ともほぼ満席との事。フィギュア専門店でも人気
キャラクターには6桁の価格が表示されているものまであった。
不景気のニッポンとはいえ、お金はあるところにはあるらしい。

10月7日(日) 秋葉原ツアー

母のお供で秋葉原へ。翻訳の仕事で辞書として使うためのPC(2台目)を買うためである。
最初は「今時、同じ電気店なら都心もこっちも変わらないんじゃない?」と、地元にいくつかある電気店で決めるつもりだったのだが、先日私が地元の
どの店でも取り寄せになると言われたデジカメ関連商品を渋谷であっさりと見つけてきた事で、やっぱり多摩(実家は多摩である)と都心では大分差があるの
かもしれない、と認識を改めたのである。
せっかく都心まで出るなら一番の激戦区である秋葉原まで行くべし、という事で娘を「じーじ」に預けて都内にくり出した。
何年ぶりかの秋葉原は相変わらず数ある電気店がひしめきあっているものの、全体的に小奇麗になったような気がする。手始めにまわった数軒の値段は
大体同じようなもので地元のと変わらないのでちょっとがっかり。それでも「激安!最大70% off !」、「在庫処分セール!」、「アウトレット商品!」等の
うたい文句につられて次々とまわっているうちに、IBM商品をどこよりも安いキャンペーン価格で陳列しているお店を見つけた。それまでに決めかけていた
国産メーカーのPCよりも安いのに性能は上。即決してめでたく「秋葉原に来た甲斐があったねー!」と帰りの電車に乗った。

ハードディスク容量が20GB、30GBのPCをあれこれと品定めした一日。ふと思い立って確認してみた我が愛機のハードディスク容量は、なんとたったの6GB
だった。最新ではなかったとはいえ買ってからまだ2年半しかたっていないのに、秋葉原でも一番古い中古品扱い。なんの支障もなく使えているのに、
なんだか悲しいなあ。

10月5日(金) ドイツの友人との再会

留学時代の友人と会う。オーケストラでビオラを弾いている40代(推定。そういえばちゃんと聞いた事がないのだ)の男性なのだが、日本での演奏は7,8年ぶり
で、本当に久しぶりの再会となった。これも一時帰国して良かった事の一つである。
仕事柄、旅慣れている上に日本には何度も来ている友人なのでどうしようかと考えた末、「ラーメン博物館」に連れていく事にした。

料理が得意で食べる事も大好きな友人なので、結果的にこの案は大当たり。いつ来てもダントツに列が長くて入れたためしがなかった「すみれ」と「こむらさき」
をはしごして2人とも大満足であった。(特に「すみれ」の味噌ラーメンは、今までのラー博ツアーの中で一番気に入りました!)

今回気の毒だったのが、一週間遅れて日本に来るはずだった彼の奥さんが突然来れなくなった事。南米の女性なのだが、イギリスでのトランジットの際に
「VISAがないとだめです」と、乗換えが許可されなかったらしい。旅行好きな夫婦だが、そんな事はこれまで1度も言われた事がないそうだ。これもNYの
テロ事件の影響なのだろうか。
半年前から日本旅行を楽しみにし、東京だけでなく京都や広島等への遠出も計画していたという。「本当にがっかりしているんだけど、文句を言ったからって
どうにかできる訳じゃないからね。」と気持ちの切り替えの早い友人なのだが、2人の子供がいる彼らにとって今回のチャンスは本当に希少だったはずだ。
2人の気持ちを考えると、気の毒で仕方がない。

久しぶりにドイツ語で話した一日だったが、情けないぐらい錆付いていた。しかも話していると、たまに英語とごっちゃになるのである。混同するほど英語が
話せるようになった訳でもないのに(笑)。
やっぱり語学は使ってなんぼ、である。勉強し続けなければだめなんだなあ、と痛感した一日であった。

10月4日(木) ミニ同窓会

大学時代の友人3人と渋谷で会う。1人は仕事をやめてドイツに留学、現在一時帰国中、1人は私と同じく結婚して2歳の娘を持つ専業主婦、もう1人は
NHKで局内結婚し、現在DINKS。唯一仕事で時間制限のあるNHK勤務の友人を昼休みに呼び出す形で、渋谷での再会が実現した。

卒業してからもう9年にもなるのだが、皆全然変わってないなあと思う(ちょっとずうずうしいかしら)。それでもおしゃべりの中には、思い出話のほかに
「仕事」、「家庭」、「育児」、「親」等、当時はたいして真剣に考えなかったテーマが自然に出てくる。月日がたったんだなあと実感。

10月1日(月) マンション訪問

娘を連れて渡米前に住んでいたマンションのママ友達を訪問。未だに空き家状態(!)の我が家ものぞくつもりだったのに、あろう事かマンションの鍵を忘れて
しまって入れず(キーホルダーは出がけに確認したのに、肝心の鍵をキーホルダーから抜いていたのを忘れていたのだ)。クリーニング業者がピカピカにして
くれた姿を楽しみにしていたのに残念。

ママ友達のHさん宅には他のママ友達も集まってくれたので、大人5人に子供9人(私以外は全員2児の母)の、昔懐かしい大所帯となった。
「久しぶり!」とはいっても、考えてみればたかだか1ヶ月半しかたっていない。それでも子供達、特に幼い第2子達がしゃべるようになっていたり、赤ちゃんから
おしゃまな女の子になっていたりするその成長ぶりはめざましく、実際以上に時がたったような気もして感慨深い。

お茶を飲みながらOさん曰く「ホームページをみてると、つもる話もないというか。。。」。確かにその通りなのである(笑)。
そんな訳で特にアメリカでの話に集中する事もなく、渡米前のようにありとあらゆる話題で盛り上がりながら過ごした午後であった。(久しぶりにとっても楽し
かったです。ありがとうございました!)

娘は懐かしいお友達の名前を実によく覚えていて、遊んでいる間中誰かしらに抱きついていた。愛情表現だけは早くもアメリカナイズされたようである。

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