Diary of December    Makko's Diaryの目次へ   ホームへ戻る    翌月へ

12月31日(月) 大晦日

ダンナの実家でのんびりしている間、私の実家では大掃除の真っ最中であった。つみほろぼしのため、母の最後の買い出しに同行し、最後に残っていた窓を
何枚かふく。
全員で年越しそばを食べた後は次々とお風呂をすませ、それぞれ好きな事をしながら年のかわる瞬間を待つ。テレビのチャンネルをいろいろかえてみるが、
結局紅白に落ち着いてしまう。どうも他の番組だと年越しをする気がしないのよね。暗いニュースが多かった一年を払しょくするかのように、出演者の選曲も
「希望」をテーマにしたものが多いみたい。

来年はもっと明るい年になりますように。願わくば誰にとってもそうであって欲しい。

12日30日(日) 再び実家へ

28日までは義父は仕事、ダンナはインターンシップの面接だったので日中は義母と娘の3人でのんびり過ごした。ダンナの実家は夜床に着くのが早いため、
深夜に戻ってくるダンナとはすれ違いの日々。毎日息子のページを見ている義父から「今日は〜だったらしいぞ。」と報告してもらう始末であった。
それでも25日の夜はダンナも帰りが早かったので、義姉と姪っ子3人も遊びに来てにぎやかにおしゃべりできたし、男性陣の仕事と面接が全て終わってからは
一泊で鬼怒川温泉に連れていってもらった。
ホテルに到着してすぐに日の高いうちから温泉に入る。おっきーいおふろにはいるよ。」と言うと「おっきーおふろ!わーい、わーい!たのしみー!」と喜んでいた
娘は大浴場に入った途端、にこりともしないで周りを見まわすばかり。私にしがみついて離れようとせず、知らない人を指さして「あのおばちゃん、なーに?」と
不安(不満?)そうである。温泉をひとり占めししようとはまったくいい根性だ。
翌日の朝一番に、寝ているダンナと娘を置いて1人で温泉を堪能。チェックアウト後に向かった日光猿軍団では「おしゃるしゃん」達の芸達ぶりに
驚いたり笑ったり。「年内はすいてます」と言われていたのに会場は立ち見で一杯であった。
鬼怒川からの帰り道、途中で義父母と別れて再び私の実家に戻る。次に会えるのは来夏のサマーインターン時だろうか。

大掃除等に追われてバタバタと忙しい年末年始しか経験した事がなかったので、「こんなに平和な年末の過ごし方もあったのねー。」と目からウロコである。

12月24日(月) クリスマス・イブ

昨日から弟夫婦が泊りにきて、実家は大人9人+子供1人の大賑わい。夕食は近くにある居酒屋風のレストランへ。
誰からもかまってもらえる我が家の姫であるが、目下帰国したばかりのパパが最大の「おもちゃ」のようだ。私の隣でひと通り食事をすませると,「ぱぱのところに
いく」と、一番遠い席に座っているダンナのところに移動したっきり戻ってこなかった。

久しぶりの再会の瞬間は、もじもじして私にしがみついたまま頑としてダンナには抱かれようとしなかった。私が「あれー、これは誰かなー。知らないおじちゃん
だねえ。」というと、「こえ、しらないおじちゃんじゃないよ。こえ、もえちゃんのぱぱ!もえちゃんのぱぱよ!」とむきになって私をたしなめ、それをきっかけに
手をのばしているパパに抱きついた。自分こそ知らないおじちゃんだとおもってたんじゃないのかな?
ダンナも以前より自分になついている娘が可愛いのか、せっせと遊んであげている。3ヶ月半の空白を埋めようとしているのかもしれないなあ。

明日からはダンナの実家だ。

12月22日(土) ダンナの帰国

午後3時過ぎ、成田着のコンチネンタル航空でダンナが帰国した。3ヶ月半ぶりの再会。夕食を食べに銀座に向かう。
電車の中で座っている人のほとんどが居眠りか携帯でメールにふけっているのを見て、ダンナは日本に戻ってきたのを実感している。
銀座に到着すると、人の多さに驚き、街を歩く女性がお洒落だと喜び、きらびやかなネオンに感心し、和光の時計のライトアップをデジカメに収めている。
ちょっと会わないうちにすっかり「おのぼりさん」である。
夕食を食べながら向こうでの生活の様子をあれこれと話してもらう。クラスメートやその家族達の話を聞いているうちに来年の再渡米が再び楽しみになってきた。

12月13日(木) 師走

11月24日にホームページを更新したきり、地味ながらもバタバタと忙しい毎日を過ごしていた。やっと忙しさも一段落したと思ったらもう師走である。
自分のHPの表紙はまだ真夏のままなのに、気がつくとハノーバーではもう大雪が降り、日本では敬宮愛子内親王殿下が無事に御生まれになり、医療改革
制度は一応の方向性が定まったかと思うとサッチ―が脱税で逮捕され、田代まさしが風呂場のノゾキおよび覚せい剤所持でこれまた逮捕されていた
(なんのこっちゃ)。

あと10日しないうちにダンナが帰国する。在日米系企業での来夏のインターンシップを希望しているので、そのための面接を日本で受けるためである。
例年は企業の人事担当者がアメリカまで出向いてくれるのだが、同時多発テロの影響でその予定が一部変更されたらしい。
その結果、娘と私の再渡米も当初の12月半ばから1月半ばに延期となった。なにはともあれ、お正月を日本で、しかも家族全員で過ごせるのは嬉しい事だ。

9月にボストンを発った時はあれほど後ろ髪をひかれたのに、今では再渡米がなんとなくおっくうにさえ感じられる。すっかり実家での生活に馴染んでしまった
自分を、もう1度8月上旬に渡米した時のテンションにまで引き上げるのは結構大変だ。
「渡米」という生活環境の変化には色々な雑事がついてきて、直前はそれこそ不安に思う暇もなく引越し等の諸準備に追われた。ダンナはもちろん、
同行するだけの私もある種の覚悟と興奮でアドレナリンを放出「しまくって」いたと思う。そして私の方は、一時帰国した瞬間に張り詰めていた糸がブチッと
切れてしまい、日本の実家での生活はまさに「のほほーん」という感じである。
一方ダンナの方は、私が帰国してからも3時間睡眠ぐらいで猛勉強&遊びと、更にハイピッチで走り続けているらしい。自他共に認める「睡眠なしには生きて
いけないタイプ」だったのに。いざとなったら人間って実に頑張れちゃうものである。
それなのに私の方が再渡米するのを「おっくう」などとほざいていては、ダンナを含むTUCK生全員を敵にまわしてしまいそうだ。
しかし易きに流れ始めるととどまるところを知らないのもまた人間なもんで。。。

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